エピソード 1ー15
孤児院の院長先生が不正で摘発された翌朝。私は孤児院の応接間でダリオンと向き合っていた。昨日の顛末と、その後について話し合うためだ。
窓から差し込む朝陽が応接間の古びた家具やカーテンに柔らかい光を投げかけ、部屋全体を穏やかな雰囲気に仕立て上げている。窓の外では小鳥たちのさえずりが聞こえ、静かな朝の訪れを感じさせる。そんな中、ダリオンがコーヒーを一口飲み、静かに口を開いた。
「人身売買の斡旋組織は無事に一網打尽に出来たそうだ。末端まですべてという訳にはいかないだろうが、少なくとも組織としては壊滅したと思っていい」
それを聞いた私は安堵する。張り詰めていた空気が緩んでいくのを感じる。
「ダリオン、無茶な依頼を果たしてくれたこと、心から感謝するわ」
「対価に見合う仕事をしただけだから気にするな」
彼はそう言って再びコーヒーを口にする。その姿はものすごく絵になっている。ホント、こういう仕草が似合う青年だ。
「後は魔力回復薬を完成させて貴方の妹を救うだけね」
「ああ、いまからフロスト・ブロッサムの開花時期が楽しみだ」
そう言って再び笑う。彼は私のレシピが本物だと信じてくれているみたいだ。回帰前の関係を取り戻せたみたいで少しだけ嬉しい。
そんなことを考えながら、お茶請けのスコーンを口にする。すると、ダリオンが「ところで、孤児院の方はどうなんだ?」と言った。
私は口元を指で隠し、スコーンを食べ終えてから優雅に口を開く。
「いまはエリオが不正の証拠を集めたり、子供の事情聴取をしたりしているわ。既にいくつか証拠が挙がっているから、マグリナの破滅は確実ね」
「……そうか。なら一段落ってところだな」
「ええ。改めてお礼を言うわ」
それで私とダリオンの取引はひとまず終了だ。
もっとも、フロスト・ブロッサムの開花までは一ヶ月ほどあるので、魔力回復薬のレシピを確認するのにはそれ以上の時間が掛かる。
「……それで、嬢ちゃんはこれからどうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「嬢ちゃんは素性を明かすつもりはないのか?」
「ないわ。私はこれからも孤児院で暮らすつもりだもの」
私は迷わずに答えた。
エミリアを救い、悪しき院長先生も排除することができた。でも、セイル皇太子殿下への恩返しはこれからだし、孤児院を取り巻く問題だって終わった訳じゃない。
回帰前、マグリナが断罪されたことで孤児院の院長はいなくなった。そして曰く付きになった孤児院の院長になろうとする者は現れず、孤児院は解体されてしまった。
私はみんなと離ればなれになりたくない。だから、次はその運命を変えるつもりだ。
「ふむ、孤児院での生活を続けるつもりなのか」
「ええ、あそこが私の帰る場所だもの」
ダリオンはコーヒーカップを手に取り、一口飲んでから「……そうか」と呟いた。カップから立ち上る湯気が、肌寒い朝の空気に溶け込んでいく。
私はそこに不穏な空気を感じ取った。
「……なにか問題があるの?」
「ああ。このままだと、嬢ちゃんの帰る場所がなくなるかも知れないぞ」
予想外の言葉に息を呑む。私は震える唇で、「それはどういうこと?」と聞き返した。
「あの孤児院は問題を起こしすぎた。そんな曰く付きの孤児院の院長になりたがる奴はいない。幸か不幸か子供の数も少ないし、ほかの孤児院に吸収されることとなるだろう」
「……あぁ、そのことなら大丈夫よ。院長には私がなるつもりだから」
「……嬢ちゃんが、孤児院の院長?」
「なによ?」
「いや、まぁ……いいんだけどな」
まったくもってそうは聞こえない。
言いたいことがあるなら言いなさいよと睨み付ける。彼はそれを無視して、「なら、ノウリッジのメンバーとして、孤児院の院長になるのはどうだ?」と提案した。
「……ノウリッジのメンバーとして?」
「嬢ちゃんがノウリッジの見習いだと言っちまったからな」
「あぁ……そう、だったわね」
私の正体を隠す片棒を担いだ彼は、どう足掻いても正体を知らなかったという言い訳を使えない。彼を窮地に立たせてしまったのだと気付いた私は「ごめんなさい」と言って唇を噛む。
けれど、彼は「ま、俺が勝手にしたことだからな、気にするな」と笑った。
「……ダリオン?」
「約束してやるよ。嬢ちゃんが望まない限り、秘密は誰にも話さない。もちろん、契約が終わった後もな。だから、そんな顔はするな」
「……いいの?」
「あまりよくはねぇが……嬢ちゃんに恩を売るのも悪くねぇだろ」
ダリオンは肩をすくめてコーヒーを飲み干した。それからカップをテーブルの上に戻すと、姿勢を正して私を見た。
「それより、孤児院の件だ。嬢ちゃんが希望するなら、ノウリッジから推薦してやる」
「それはありがたいけど……可能なの? 孤児院に出資しているのは領主様。つまり、この街の代官か、その傘下……警備隊あたりに決定権があるんじゃない?」
「嬢ちゃんの言うとおりだ。だが、適切な人材の提供はノウリッジの仕事だ。それに、問題のある孤児院にノウリッジの見習いを送り込んで監視させる、というのはいい名目だろ?」
なるほど、ノウリッジの見習いという建前を強化するのね。それは正体を隠す上でも重要だ。ノウリッジが推薦してくれるならありがたい。
「その提案、受けさせてもらうわ」
「よし。ならば、今日中にでも、警備隊に話を通しておいてやる」
こうして、私は新たな道を歩み始める。
それから数日と経たずして私はセイル皇太子殿下に目を付けられることとなる。このときの私は、自分の素性がいきなりバレるなんて欠片も思っていなかった。
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