エピソード 1ー14
「アリーシャ! 仕事をすっぽかしてどこへ行ってたんだい!」
警備隊の詰め所から孤児院へ戻る。玄関を上がるなり、マグリナが詰め寄ってきた。
彼女の背後には古びた絨毯が敷かれ、壁には薄暗いランプが揺れている。通路の影にシリル達の姿が見えるが、彼らの顔には不安が滲んでいた。
来ちゃダメよと、私はいつも使っている合図で子供達を牽制する。
「アリーシャ、聞いているのかい!?」
「……ごめんなさい。エミリアのことが気になって」
「あの子なら、貴族に引き取られたから心配ないよ。いまごろ、美味しい食事でも食べてるんじゃないか? まったく、羨ましい話だね」
心にもないことをと心の中で悪態を吐き、不安そうな表情を作る。
「……本当に、エミリアは幸せになれるのですか?」
「あん? なにを言ってるんだい、さっきそう言っただろ」
「でも、お客さんが連れて行った子は二度と戻ってこないって」
「誰だい、そんなデマを流したのは!」
「みんな言ってるわ。あのお客さんは、人身売買の――」
「その忌々しい口を閉じな!」
マグリナは私の髪を引っ掴んだ。それから耳元に顔を寄せてくる。
「誰に聞いたか知らないが、騙される方が悪いんだよ」
「……人身売買をしていたと、認めるのね?」
「あぁそうさ。だが、いまさら気付いたって手遅れだよ。あんたのことも、すぐにどこかへ売ってあげるからさ。だから、諦めて大人しくしてな!」
――パシンと乾いた音が玄関に響き、私は「痛い!」と悲鳴を上げて倒れ込む。次の瞬間、シリルが、ルナが、フィンが私の名を呼びながら飛び出してくる。
「――来ちゃダメよ!」
私は倒れたまま子供達を一喝する。それにびっくりしたシリル達が足を竦めた。
「大丈夫。この悪いおばさんはもうすぐいなくなるから、心配しなくて大丈夫」
「……は? 誰がいなくなるって?」
「決まってるでしょ。人身売買に手を染め、子供に手を上げる小悪党のことよ」
「このっ! 生意気なんだよ!」
マグリナが倒れた私を蹴り飛ばす。私がそれを食らって吹き飛ぶのとほぼ同時、背後の扉が乱暴に開かれ、エリオを始めとした警備隊の人達が踏み込んできた。玄関の古びた絨毯がめくれ、埃が舞い上がる。床に転がってぐったりする私を見てエリオが顔色を変えた。
「な、なんだい、あんた達は!」
「警備隊だ! マグリナ、おまえを虐待の現行犯で拘束する!」
エリオの剣幕にマグリナは視線を揺らした。だがすぐに取り繕った笑みを張り付かせる。
「……警備隊? なるほど、アリーシャが訴えたんだね。この子は虚言癖があってね。いまもちょっと叱っていただけだよ。騒がせて悪かったね」
マグリナは慌てることなくそう言い放った。実際のところ、その言い訳は有効だ。日本ならいざ知らず、この世界では教育の一環として手を上げることは珍しくない。
だけど、そんなのは織り込み済みだ。私は怯える演技をしながら立ち上がり「はい。院長先生は、いつもこうやって私達を叱ってくれるんです。私達にはほかに行き場がないので、院長先生の命令は絶対だって教えてもらいました」と言い放った。
「アリーシャ、余計なことを言うんじゃないよ!」
血相を変えたマグリナが私に掴みかかろうとするけれど、あいだにエリオが割って入った。
「なるほど、その辺も含めて詰め所で話を伺いましょう」
「はあ? そんな必要はないって言ってるだろ!」
「おや、なにか後ろめたいことがおありで?」
エリオの牽制にマグリナは苦虫をかみつぶしたような顔をする。彼女は逡巡した後「勝手におし」と言ってエリオに同行することを選んだ。
ここで抵抗するよりは勝算が高いと思ったのだろう。
「ではご同行いただけますね?」
「……あぁ。従ってやるから勝手におし」
「それと、事情聴取などもさせていただきますがよろしいですか?」
「勝手におしって言ってるだろ!」
マグリナが切れ散らかすが、エリオは顔色一つ変えずに「ご協力感謝します」と言って、部下にマグリナを連行するようにと命じた。
けれど、警備隊に拘束されたマグリナは、私の横を通り過ぎる寸前、私をぎろっと睨み付けた。その目は怒りに燃え、唇がわずかに震えている。
「アリーシャ! 余計なことをして、私が戻ったら、私に逆らったらどうなるかたっぷり教えてあげるからね!」
大きな声で怒鳴り散らす。以前の私はその言葉に怯えていた。でもいまの私は違う。もう、怯える演技をする必要もない。
「マグリナ、貴女はもう終わったのよ。なのに、それすら気付かないなんて、滑稽ね。せいぜい、地獄で後悔するといいわ」
私が嘲笑えば、マグリナは「アリーシャっ!」と顔を真っ赤に染め上げた。そして警備隊の拘束を振り払って右手振り上げて襲い掛かってくる。
私はそのビンタを手の甲で受け止め、クルリと手首を返してマグリナの腕を巻き込んだ。体勢を崩したマグリナは踏みとどまろうと軸足を前に出すが、私はその出足を引っかける。前方に倒れ込むマグリナ。私はその腕を引き、マグリナの身体を投げ飛ばした。
彼女は空中で半回転して背中から床に叩きつけられた。
マグリナはかはっと息を吐き、驚きと怒りをまぜこぜにした顔で「アリーシャ……っ」と怨嗟の声を上げて起き上がろうとするが――私は彼女の顔の横すれすれを踏み抜いた。ダンッと音が鳴り、マグリナは悲鳴を上げて泡を吹いた。
うん。回帰前に身に着けた武術は忘れていないけど、やっぱり身体能力は落ちてるわね。もう少し鍛えないと、これから苦労することになりそう。そんなことを考えながら、呆気にとられている警備隊の面々に視線を向ける。
「あのぅ」
「は、はい、なんでしょう?」
「彼女、見ての通り凶暴なので、ちゃんと拘束しておかないと……危ないですよ?」
「そ、そうですね、気を付けます!」
どっちが凶暴なんだよ! と、心の声が聞こえた気もするけどたぶん気のせいだろう。
ということで、気を失ったマグリナは引きずられるように運ばれていった。そして残ったのは、エリオを始めとした数名の警備隊だ。
エリオが恐る恐るといった顔で話しかけてくる。
「アリーシャ、その……大丈夫か?」
「え? なにがです?」
「最初、酷く暴行を受けていただろう?」
「あぁ、ちゃんと受け流したので大丈夫ですよ」
派手にやられた振りをしたけど、実際には痛みなんてほとんどない。でも服は汚れてしまったと嘆けば、エリオは「そ、そうか」となんとも言えない顔をした。
だけど、次の瞬間には表情を引き締める。
「ではアリーシャ、予定通りにお願いできるか?」
「はい。子供達ならそこに――」
と視線を向けると、三人が泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「姉さん、大丈夫なの?」
「アリーシャ、この馬鹿! 無茶しすぎよ!」
「お姉ちゃん、殴られたところ、大丈夫?」
それぞれ言葉は違うけれど、私のことを心から心配してくれているのがその様子から見て取れる。私は「心配掛けてごめん、大丈夫だよ」と三人を抱き寄せた。
それから、申し訳ない気持ちでエリオを見上げる。
「すみません、この子達を落ち着かせるので、少し待ってもらってもいいですか?」
「……ああ、もちろんだ。子供達を安心させてあげるといい」
「ありがとうございます。あぁそれと、マグリナが横領したお金や裏帳簿の隠し場所には心当たりがあるので、後で案内しますね」
「至れり尽くせりだな。そっちも後で頼む」
マグリナはエリオがあやふやな言い回しをした理由に気付かなかった。だから彼女は「勝手におし」と同意してしまった。
だけど、彼の言った『事情聴取など』というのは、マグリナに対することだけじゃない。子供達の事情聴取や、家宅捜索なども含まれている。
日本のように令状を必要としない世界だから通用するズルいやり口。だけど、マグリナならきっと分かってくれるだろう。騙される方が悪いと、私に教えてくれたのは彼女だから。
こうして、孤児院の子供達を苦しめていた院長先生は一夜にして破滅した。
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