エピソード 1ー10

     ◆◆◆



 日差しが傾き始めた街中を古びた馬車ががたごとと音を鳴らしながら走っている。内装は粗末で、硬い木のベンチが並んでいるだけのそれは、人身売買の斡旋組織が手配した馬車だ。

 その馬車に揺られながら、エミリアは過去に思いを馳せる。


(まさか、アリーシャがあんな大胆なことを考えるなんて……)


 計画を聞いたエミリアは心の底から驚いた。そんな大それたこと、普通は思い浮かばない。浮かんだとしても、実行しようなどとは考えないと思ったから。


(でも、初めて会ったときから変わった子だったのよね)


 アリーシャが孤児院にやってきたとき、彼女は自分で服を着替えることが出来ないくらい常識を知らなかった。けれど、決して愚かでなければ傲慢でもなかった。エミリアに対して、算数や読み書きを教えるのと引き換えに、常識を教えて欲しいと提案してきたのだ。

 その結果がいまの関係。「あの頃は、こんなに仲良くなるとは思っていなかったなぁ」と、エミリアは馬車に揺られながら呟いた。


「あん? なんか言ったか?」


 馬車に同乗する男の片割れ。商人ではなく、護衛の少年が呟いた。エミリアとそう年が変わらないながらも、使い込まれた革鎧を身に着け、腰には剣を携えている。

 そんな彼のブラウンの髪の下に隠れた瞳がじぃっとエミリアを見つめている。それに気付いたエミリアは慌てて「いえ、なにも言ってません」と答える。


「……そうか? しかし、おまえは大人しいな。売られた子供は普通、もっと暴れるか、絶望したような顔をするんだが……なにを考えてる?」

「……そう、ですか? 私には、分かりません」


 内心の驚きを押し殺して答える。平民の子が普通に暮らす上で、心を読まれるなどという経験をすることはあまりない。普通ならここで慌てて尻尾を出していただろう。


 だけど、エミリアは別だ。

 不完全とはいえ、アリーシャの教えを受けた。聡い彼女とずっと言葉を交わしていた。少し心を読まれたからと言って過剰に驚くことはない。

 その差が、ギリギリのところで計画の露呈を防いだ。


「そうか。まぁその、なんだ。おまえが思ってるほど酷いことにはならないはずだ」

「……え? もしかして、私の心配をしてくれてるんですか?」

「バカ言うな。暴れられたら面倒なだけだ」


 ぶっきらぼうに言われ、エミリアは変な人と心の中で呟く。顔立ちは悪くないけれど、性格はねじ曲がってそうというのが、このときのエミリアの感想だ。

 そんなエミリアの内心を知ってか知らずか、護衛の少年は話は終わりだとばかりにシートに身を預けた。その後は特にしゃべることもなく、エミリアはただひたすらに脱出の機会が訪れるのを待った。そしてほどなく、エミリアの望んだように馬車が急に停止する。


「なにがあった?」


 商人の男が覗き窓から御者に問い掛けると、「道に荷物が散らばっていて馬車が進められません。すぐに片付けるのでお待ちください」という答えが返ってきた。


「……荷物だと? おい、カイ。様子を見てこい。遅れたらおまえの責任だからな!」

「分かりました」


 カイと呼ばれた護衛の少年がブラウンの髪をなびかせ、扉を開けて馬車から降り立った。陽に照らされる彼の背筋はまっすぐに伸びている。彼の後ろ姿を見送っていると、開いた扉の向こうに見える薄暗い路地に、ローブを纏った女の子が見えた。ローブのフードからはグリーンの髪がちらりと覗き、その瞳は鋭く輝いている。


(アリーシャだ……)


『あなたが乗る馬車を途中で止めるわ。だから、隙を見て私の方に走ってきなさい。そうしたら、あなたのことを助けてあげる』


 エミリアは(ホント、無茶なんだから)と声に出さずに独りごちる。エミリアに親友を巻き込むつもりはなかった。自分一人が我慢すればいいと思っていた。

 なのに、アリーシャはただの一言でエミリアの覚悟を打ち砕いた。


『私には、貴女が必要なの』


(ホント、殺し文句よね)


 エミリアはアリーシャのすごさを知っている。

 持ちつ持たれつの親友同士だが、相手から与えられた恩恵は自分の方が多いことをエミリアは理解している。だからアリーシャを尊敬し、いつか本当の意味で対等に肩を並べたいと常日頃から思っていたのだ。その尊敬する相手から、貴女が必要だと言われた。

 あの瞬間、エミリアは自らの目指す未来を決めた。


 カイは馬車から少し離れたところで荷物の片付けをしている。逃げるならいましかない。そう覚悟を決め、エミリアは息を吸い込む。直後、アリーシャが路地の向こうで手を差し伸べる。それを見た瞬間、エミリアは馬車から飛び出した。


「おまえ、なにを!? ――カイ、商品が逃げた!」


 カイが驚いて振り返り、すぐに追いかけてくる。エミリアの心臓は激しく鼓動し、足元がもつれそうになる。だが、彼女は振り返らず、ただアリーシャの手を掴むために走りだした。

 

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