エピソード 1ー5

 回帰前の記憶を頼りに薄暗い街の通りを進む。石畳の道はまだ静まり返っているが、遠くからは市場の目覚める音がかすかに聞こえてくる。

 その道の先、たどり着いたのはレンガ造りの大きな建物だ。大きな木製の扉には、精緻な彫刻が施されており、その上にはノウリッジという情報ギルドの紋章が掲げられている。冷たい朝の空気が私の頬を刺すように感じる中、意を決して扉をノックした。

 営業時間外だが、情報ギルドはその性質上、二十四時間いつでも受付が控えている。ほどなく、「なんのようだ」と強面のおじさんが現れた。


「ノウリッジのマスター、ダリオンに取引がしたいと伝えて」

「……ん? こんな時間になにごとかと思ったら、ずいぶんと幼い声だな。ここは嬢ちゃんみたいなのが来るところじゃないぜ。とっとと帰んな」

「グレイ。分かるでしょ? こんな時間に来るくらい急いでるの」

「……っ。なんで俺の名前を知ってやがる?」


 回帰前に部下として働いてもらったから――とはもちろん口にしない。


「言ったでしょう、ダリオンに取引があるって。彼に伝えて。私の依頼を受けてくれるなら、貴方を取り巻く闇を照らす光の在処を教えてあげるって」

「……いいだろう、少し待て」


 その言葉に従ってしばらく待っていると、私はノウリッジの中へ通された。入り口のホールは広々としており、壁には古代の地図や壁画の模写が飾られている。

 静寂に包まれた廊下を経て、一番奥の部屋に案内される。そこには孤児院にあるのとは比べものにならないほど一流の調度品が並べられ、床には盗聴防止の魔方陣が敷かれていた。


 ここは一般の客が通される部屋ではなく、ギルドマスターが使う執務室だ。ローテーブルの向こう側、革張りのソファに男が座っていた。

 シンプルながら上品なブラウスを纏っている。歳は二十一。中肉中背で精悍な顔立ち。ブラウンの髪と瞳を持つ彼こそがダリオン。ノウリッジの若きマスターである。


「……おまえか、俺の求める光の在処を知っているというのは」

「ええ、その通りよ」

「……そうか。話を聞こう。まずは座れ」


 彼の向かいの席を勧められる。私はそれに従って席に着き、さっとフードを脱いだ。私のグリーンの髪がサラサラとこぼれ落ちる。

 彼と同じテーブルに着くことが出来たけど、ここで彼に見限られたら終わりだ。

 回帰前の私は大きな取引を何度もおこなっていたけれど、いまの私はそこまで自信を持てない。すべての記憶が戻っている訳ではない、というのが理由だろう。

 それでも、私は精一杯の虚勢を張って背筋をただす。


「それで、嬢ちゃんの名前は?」

「私はアリーシャよ」

「声から想像していたが、ずいぶんと幼いな。まだ十代前半程度か?」

「十四よ。……子供と取引はできないかしら?」


 私が問うと、彼はふっと笑った。


「重要なのは嬢ちゃんの持つ情報の中身だ。ただし、その中身がつまらなければ叩き出すぞ」

「それなら望むところよ」

「そうか。ならば早速確認させてもらおう。俺のことをどこで知った? なんてつまらねぇことは聞かねぇ。俺の求める光がなにか話してみろ」

「あなたの妹の治療方法よ。魔力欠乏症という病気なのでしょう?」


 私の言葉を聞いた瞬間、ダリオンの目が細められた。彼は手元の書類を片付け、私に全神経を集中させる。


「……嬢ちゃんはその治療法を知っているのか?」

「結論から言うわね。私が知っているのは魔力回復薬の存在よ」

「魔力回復薬、だと? そんなモノが……?」

「ええ。それの作り方を知ってる」


 私がそう言うと、彼は考える素振りを見せた。


「……魔力回復薬か。治癒ポーションは有名だが、魔力の回復するポーションなんて本当にあるのか? いや、存在するとして、魔力欠乏症に効果はあるのか?」

「それは……」


 生まれつき魔力が少ない魔力欠乏症の者は、病気や怪我への抵抗力が低いなど、様々な不利益を被ることになる。ときに命に関わることもある病気だ。


 その体質に魔力回復薬が効くかどうか確証はない。回帰前、ダリオンの妹はこの魔力回復薬が発明されるまえに亡くなってしまったから。

 だけど、魔力回復薬の開発に貢献したのはダリオンだ。そして彼はこう言った。『今後、妹のように魔力欠乏症で苦しむ奴が現れたら、この魔力回復薬で救ってやってくれ』と。

 だから――


「私は信じるわ。魔力回復薬にはあなたの妹を救う力があるって」

「……そうか。現状では眉唾物だが、試す価値はあると見た。だから、ひとまずは嬢ちゃんの話がすべて事実だと仮定する。その上で、嬢ちゃんは対価になにを望む?」

「孤児院の院長マグリナの告発。あるいは、違法な人身売買組織の摘発をして欲しいの」


 そう言うと、彼は一瞬だけ思案顔になり、直後に「あぁ」と言った。


「嬢ちゃんはあの孤児院の子供か。あそこは代替わりしてから酷いそうだな」

「事情を知っているのね。告発の協力をしてくれないかしら?」

「そうだな。嬢ちゃんの情報が事実なら、取引としては悪くない――どころか、破格の条件と言えるだろう。で、期限はいつまでなんだ?」

「今日」

「……は?」

「正確には今日の昼ね」


 私の要望に、彼はたっぷり十秒ほど開けて答えた。


「いや、無理だろう」

「どうしてよ……っ」


 思わず立ち上がりそうになり、寸前のところで踏みとどまった。


「いや、どうしてもなにも、いますぐ準備をしても今日中は厳しいぞ。それに、たとえ間に合うとして、嬢ちゃんの情報が事実かどうか、今日中に証明できるのか?」

「それ、は……」


 たしかに、彼から見れば空手形で仕事をしろと言われているようなものだ。

 でも、今日を逃せば、エミリアが死んでしまう。いや、正確に言えば、死ぬのは今日じゃないだろう。でも、エミリアの行き先が酷い場所であることを私は知っている。

 だから、捻り出せ。

 回帰前の記憶を持つ私なら、ダリオンを説得する材料を用意できるはずだ。

 

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