第10話 ある晴れた日に④

 アルだ。その球の中には三匹の魚が泳いでいる。どうやら水を球にして持ち上げている様だ。その不思議は光景に目を奪われていると、その球を持ったまま私たちの間を何食わぬ顔して通り過ぎて行った。何が起こったのかよくわからない私たちは身体を隠すことも声を上げることも動くこともできないままその場に立ち尽くしていた。


「「きゃあーーーーーー!!」」


 悲鳴を上げて身体を隠すために水の中に身体を沈めた頃にはすべて見られた後だった。私たちの悲鳴を聞いてすぐさま振り返ったアルは 、「どうした? 大丈夫か?」と何食わぬ顔でこちらに向かって歩みを進めてきた。


「アンタのせいだーーーーーー! 早くあっち行け!!」


 そう言ってヒルドは左手で胸を隠しながらアルに向かって手あたり次第に石を投げつけた。アルは投げつけられた無数の石を難なく躱しながら「そうか」と一言残し、踵を返してその場を立ち去った。アルは終始無表情だった。


「はぁ、はぁ、はぁ。アイツ! 絶対に許さない!」


 アルに全部見られた。アルに全部見られた。アルに全部見られた。アルに全部見られた……。ヒルドの怒りを尻目にそのことで頭がいっぱいになっていた私はしばらく水の中に座り込んでいた。

 昂っていた気持ちが落ち着いて川から上がった頃には身体は芯から冷え切り、震える身体を何とか操りながら先ほどまで着ていた服に袖を通した。ガタガタ震える身体を二人で抱き合うように重ねながら覗き犯が待つであろう焚火の場所に戻ってきた。そこには案の定アイツがいて、焚火の前に突っ立っていた。よく見ると先ほど捕まえてきた魚を空中に浮かばせた水の中で泳がせている。あれも精霊の力というやつだろうか? 聞きたいことは山ほどあるけど寒すぎてそれどころではない私たちは冷え切った身体を温める為に焚火を背に座った。怒りと恥ずかしさで顔だけは火照っていた。そっと振り返ってみると奴は黙ったまま魚を見つめている。


「なんなのよ。アイツ……」とヒルドが呟いた。本当に何なのよ。人の全裸見ておいて慌てるとか照れるとかなんかないわけ? それとも全く見てなかったの? 私の裸なんてどうでもよかったの? もしかしてヒルドの裸を見てた? そりゃ私の身体なんてヒルドの身体に比べたらちんちくりんかも知れないけど初めて男の人に裸見られたんだよ? 責任取ってよ! って責任て何よ!? あーもう! どうしたらいいのよ! なんか言ってよ馬鹿! って何て言われたいのよ私。 何なの? こっちから私の裸どうだったって聞けばいいの? 聞けるわけないじゃん! どうって何よ? 何考えてんの私!?


「――イル、エイルってば」


「ひゃい!」ヒルドの言葉で我に返った私は驚いてヒルドの方を振り向きながら変な声で返事をした。


「大丈夫? なんかずっとブツブツ言ってたけど」


「あ、だ、大丈夫、大丈夫。何でもないよ」


 私の変な声を聞いてアルもこっちを見た。目が合ったことに慌てて目を逸らした。それを不審に思ったのか火を囲んで反対側にいたアルはこっちに向かって近づいて来た。ヤバい。私は立ち上がり逃げるようにその場を後にした。実際に近づいてきたら恥ずかしくてとてもじゃないけど顔が見れない! 私は川下の方角へ走った。


「ちょっと! 待って。エイルー!」


 ヒルドの声が聞こえるが無視をした。今はとにかくアルから離れたかった。そのまま川沿いを下流に向かって暫く走っていると今度は別方向から声が聞こえた。


「おーい! エイルー」


 シグの声だった。声が聞こえた方を振り向くと両手に食べ物らしきものを抱えたシグが近づいて来た。


「よう。もう水浴びしてきたのか? お前らの事だからどうせすぐ滝の方に行くと思って川下で獣を狩ってやろうとしたんだけどさ、やっぱ剣での狩りは無理だな。折れてるし、というかそもそも近づくこともできねーわ。諦めて食べられるもの探してたらほら、リンゴベリーやビルベリー見つけたぞ。お前ら好きだろ? それからほらキノコ。何か見たことないやつもあるけど喰えるかな?」


 普段は大雑把で傲慢無礼なシグだけど、こういう繊細で紳士的なところがある。特に女性に対してはとても優しく基本的にはいい男なのだ。が、自分の自尊心が脅かされると急に鼻息を荒くする。アルの時が正にそうだった。アルにもこういう気配りができればあんなことには……


「で、エイル何で一人でこんなとこ歩いてんだ?」


「え、いや、そのー……」


 何かを察したシグは川辺の大きな岩に腰を下ろし、隣をポンポンと叩いて私に座れと促す。私は素直に従いシグの隣に腰を下ろした。


「なんだ? アルと喧嘩でもしたのか? アイツ、何考えてるかわかんねーからな。まだ一日くらいしかたってないのに本気でイラッとさせられたり、驚かされたりなんかよくわかんねー奴だよな」


「うん。そうだね。……何考えてるのかよくわかんないよ」


 シグはニッと笑う。


「でも、なんでだろうな。絶対にいいやつだって思うんだよ。お前の事もすげー大切にしてくれるしな」


「……うん。そうだね」


「お前と旅に出るためにずっと訓練してきたけどアイツには全く歯が立たなくて、足手纏いだって言われて何もかも無駄になって、帰ろうと思ったら今度は俺たちが必要だってよ。全く勝手な奴だよ。でも、なんかアイツと一緒に旅を続ければなんかスゲーことができそうな気がするんだよ」


「シグはアルの事信じてるの?」一番アルに腹を立てていたはずのシグの意外な言葉に呆気にとられた。


「お前は信じてないのか? アルの事」


「……まだわかんないよ。出会ったばっかりだし」


「時間とか関係ねーよ。そんなこと言ったら俺は未だにお前の事もよくわかんねー時あるしな。わからないことは何年経ったってわかんねーまんまだ……」


「え?」


 突然立ち上がり振り返って話し始めたシグは真っ直ぐこっちを見ていた。


「ずっと……、ずっと怖くて聞けなかった。……お前は俺を恨んでるか?」


「え? 何? 何言ってるの?」 シグが放った言葉の意味を理解できなかった。


「あの日、俺がお前の事を話さなかったら今でもお前は村で平穏に暮らせていたのかもしれない……俺がお前をこの旅に巻き込んじまった」


「え?」シグの言うあの日というのは私が聖女になった日だろう。シグは私の力を人に言ってしまったことをずっと後悔していたの?


「そ、そんなこと考えたことないよ。それにお義父さんも言っていたでしょ? それを知っていて言わないのは罪だって。他の理由でバレた時もっと大変なことになってたかもしれないじゃない。知ってて隠してたら下手したら死刑だよ? この旅は聖女に生まれた私自身の運命だったんだ……それなのにシグもヒルドも危険な旅に一緒に来てくれるって言ってくれて。ずっと、ずっと感謝でいっぱいだよ。寧ろ私の運命に二人を巻き込んだのは私の方で――」


「俺の事恨んでないのか?」珍しく弱々しい声でそういうシグは少し目を潤ませていた。


「恨むわけないじゃない! 不安な私の心をずっと支え続けてくれた二人には感謝しかないよ!」


「そっか……よかった……良かった」


「シグはずっとそんなこと考えてたの? だから私の旅に一緒に来てくれたの? 罪滅ぼしのつもりで……」


「馬鹿! それは違う! あ、いや、最初はそうだったけど今は違う! 寧ろ感謝してるっていうかお前と旅をするって決めてから必死で鍛錬して、そうしてる内に夢を持てたっていうか、もしかしたら俺もこの旅ですげぇことできるんじゃないかって思うようになったんだ! それからは毎日が楽しくて、鍛えれば鍛えるほどそうなれる気がして……でも、同時に不安も膨れ上がってきたんだ。外の世界にはどんなことが待ってるんだろうとか、俺は本当に役に立てるんだろうかとか、俺にできることはあるんだろうかとか。そんな不安をかき消すようにまた鍛えて……そうやって五年間を必死に過ごしてきた。お前への罪滅ぼしのつもりで旅の同行を決めたけどいつの間にか自分の為にやってたんだ。お前の運命に巻き込まれたなんて考えたこともなかったよ!」


 言葉が出なかった。シグがそんな風に考えてたなんて。


「それでいざ出発の日になって現れたアルに五年間必死で積み上げてきた自信を一瞬で粉々に砕かれて、足手纏いだって言われて……本気で腹が立ったよ。アルに対しても自分に対しても。でも、あんなすげぇ奴に今までやってきたことは間違ってないって言われて、旅に必要だって言われて、自分のやってきたこと、旅の意味を示してくれた。たった一日でだぜ? 頭ん中がぐちゃぐちゃになって勝手な事ばっかり言いやがってふざけんな! って思ったよ。でも、俺は今、この旅に全く不安を感じていない。多分アルがいるからだ」


 その言葉を聞いて胸に何かがしっくりとはまった様な感覚を覚えた。


「確かによくわかんねー奴だけど、俺はアイツを信じる。俺がそう決めたんだからそれでいい。って言うかアルを疑ってしまったらもう何を信じて進めばいいかわかんねぇしな。大体どこに行けばいいのかもわかんねーよ。なんていうかアルを信じていればなんか気が楽だしすごいことできそうな気がしてくるんだよ!」


 そんな情けない事をサラッと言いながら笑うシグはすごく晴れやかな顔をしていた。


「そうだね。でも、ヒルドはアルが何か隠してるって……」


「まぁ確かにな。でも嘘はついてないと思うぜ。俺からすれば隠してるっていうより聞かれてないから答えてないだけって気がするけどな。アルってそんな感じだろ? 変な奴だけど慣れてくるとおもしれーしな。必要のないと思うことは昨日みたいに答えないかもしれないけど必要なことは聞けば答えてくれるし。それでも嘘だって思うようなことを言うならその時疑えばいいんじゃないか?」


「そっか……そうだよね」


「変な奴だけどな」


 笑いながらそういうシグの顔を見て釣られて私も笑ってしまった。そうだ。少なくとも私はアルに悪意があるとはとても思えない。私は私の意志でアルを信じればいいんだ。


「でもヒルドはしばらく様子を見るって言ってたよ」


「ん? ああ。アイツはそれでいいんだよ。俺たち全員が馬鹿正直にアルを信じてたら本当に敵だった時対処できねーだろ? ヒルドが冷静でいてくれるから俺はやりたい放題やれるんだよ」


「ふふ。シグはヒルドを一番信頼してるんだね」


「まぁ兄妹みたいなもんだしな。誰よりも信頼してるよ。もちろんお前もな。あ、 でもヒルドには言うなよ。アイツに聞かれたらまた怒られるから。アンタがしっかりしなさいよ! ってな」


「アハハハハ」


「ハハハ。でも、今まで怖くて聞けなかったオマエの気持ちが確認できてよかった。こんな話ができたのはアルのおかげだと思うよ。アイツがいなけりゃずっとお前を守る為に気を張り続けてたかもしれねぇ。昨日まで不安でいっぱいだった気持ちが今は楽しくて仕方ないんだ。アイツが全力でお前を守ろうとしてくれるから安心してこんな話しちまったのかもな。誰かを信じたかったら一緒に居る時間よりも言葉を交わす事とか相手を信じようと思った自分自身を信じるってことの方が大事なんじゃないか?」


「相手を信じようと思った自分自身を信じる……そうか。そうだよね」


 普段は馬鹿に見えるシグもたまに驚くほどまともなことを言う。彼には彼なりの信念があってそれは簡単には揺るがない。それがシグの一番すごいところなのかもしれない。


「さて、そろそろ戻ろうぜ。二人とも腹を空かせて待ち草臥れてるかもな」


「そうだね。戻ろう。それからシグ。改めて一緒に旅に出てくれてありがとう。これからもよろしくね」


「おう。こっちこそ必要だって言ってくれてありがとう。これからもよろしくな」


 そうして今来た道を引き返した。互いの気持ちを初めて確認して喉の奥に引っかかっていた魚の骨が取れた時のような爽快な気持ちだった。気持ちが落ち着いたからか、身体や髪が濡れて冷え切っていたのを思い出し、焚火が恋しくなった。しばらく歩いてさっきまでいた焚火が見えるとその前でアルに向かって何かを言っている様子のヒルドとそれを正座して聞いているアルの姿が見えた。


「は? なんだこの状況は? 何があった?」


「な、何でもないわよ。ただちょっと配慮に欠けるアルに説教してただけ――」


「ははん。それで怒って一人で歩いてたわけか」


 シグがニヤニヤしながらこっちを見てきた。嫌な笑い方だ。


「おいアル。エイルに何かしたんならちゃんと謝れよ。それでこの話はしまいだ」


「ああ」


 そういうとアルは立ち上がりこっちに向かって歩いて来た。ヤバい! さっきのこと思い出して恥ずかしくなり、咄嗟に目線を外し俯いていると、「エイル。さっきは裸を見て悪かった」とはっきりと言葉にして言いやがった。


「馬鹿ぁ! はっきり言うな! そういうところがダメなのよ!」ヒルドはアルの脚にけりを入れながら大きな声で叫んだ。


「……エイル。さっきの話は無しだ。コイツは敵だ!」


 そういうとシグは折れた剣を抜きアルに向かって剣を振り下ろした。――気が付くとシグは天を仰いで倒れていた。ヒルドは頭を抱えている。シグに攻撃されたアルは不思議そうにシグを見ていた。


「シグ。稽古は食事の後でいい」


 全くの的外れだった。


「アル! あのね。さっきも言ったけどもう少しエイルの気持ちを考えなさい!」


「男に裸を見せることで傷つけてしまった。だから謝った。違うのか?」


「そうじゃなくて、あーもーなんて言えばいいのよ! せめて二人になって謝るとか、責任取るよーとか」


「――! 責任!?」責任って何? 何の責任?


「責任を取るとはどうすればいい?」


「そりゃ……その、特別なヒトになるとか?」


「特別なヒトなら男でも見ていいのか?」


「え? まぁ特別だし、いいんじゃない?」


「どうすれば特別なヒトになれる?」


「もう! 二人ともさっきから何言ってんの! アルもヒルドも馬鹿!」


 そう言ってさっきまで居た下流へ向かって走って逃げた。まだ焚火に当たっていないのに冷えていたはずの身体が熱を帯びている。すでに薄暗くなった川沿いは足場が悪くうまく走れなかったので焚き木の場所から死角になってる場所にあった岩の上に座って蹲っていた。すると案の定すぐヒルドが追いかけてきた。


「エイル……その、ごめんなさい。からかい過ぎた」


「……ヒルドの馬鹿」


「ごめん」


「……うん。もういいよ」二人とも少し黙ってしまった。 こういう時は私から話し掛けないと中々話が進まないのはいつものことだ。


「ヒルド……あのね。さっきの話なんだけどね」


「さっきのって?」


「アルが何か隠してるかもしれないって」


「ああ、あれね」


「さっきシグとも話したんだけどね。やっぱり私はアルの事信じようって思うの。シグが言ったの。アルは何かを隠してるんじゃなくて言う必要がない事や聞かれない事を答えてないだけなんじゃないかって。私もそう思う。隠してるんじゃなくて言えと言われてないから黙ってるだけなんじゃないかって思うの」


「……そうね。正直私もそう思い始めてきてたところ。さっきのやり取りにしたってそう。アイツにそんな器用な事できないと思うわ。アナタが逃げてった後に色々説明したんだけどね? 裸を見られて恥ずかしくて逃げたことを説明したら『なぜ恥ずかしい?』だって。女の子は裸を見られるのが恥ずかしいって説明したら『ヒルドには見せていた』ですって。男の人に見られるのが恥ずかしいって言ったら『ヒルドは恥ずかしがっていない』ですって! 腹立つ! 恥ずかしいに決まってるじゃない! それより怒りが勝っただけよ! だからそのまま正座させて説教してやったの!」


「ああ。だからあんなことに?」


「そうよ。そうしたら『なぜここに座らせる?』って聞くもんだから私の裸を見た罰よ! って言ってやったの。そしたら『どちらの裸も見ていない』ですって! 裸の私たちの近くにいるだけで悪いのって言ったら『そうか』って言って黙って座ってたわ。小さい子どもかっての。いいえ、あれはもう犬よ、犬」


「犬って……」凄くしっくりくる。


「だからここに来る前にもう一度『おすわり!』って言って正座させて『待て!』って言って置いて来ちゃった。これで正座したまま待ってたら犬決定よ」


「もー……アルに酷いことしないで」


「ふふ。でも何か気が晴れた。おっきな犬に裸見られたって思えば別に気にもならないわ。だからエイルもあんまり気にしないで。この旅の間にあのおっきな犬に色々教えて躾けてあげましょう」


「うん」


「さ、戻ろ。もしかしたらホントにアルの奴、本当に正座のまま待ってるかもしれないし」


「さすがにそれはないと思うよ」


 そう言って元の広場に戻ると正座したままこちらを伺うように待っているアルの姿が見えた。「……犬確定ね」とヒルドが呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る