その3 二次創作とリアリティ〜オリジナルは現実に勝てない〜
突然だが、諸兄は二次創作を知っているだろうか。
オリジナルと呼ばれる一次創作を、視聴者やユーザーが勝手に改変し、それを公式の目を盗んで隠れて楽しむ文化だ。
もちろん、著作権侵害であり、親告罪――つまりは、犯罪だ。
ただし、親告罪であるため、隠れて楽しむか、許される範囲で楽しむ分にはグレーの状態、という暗黙の了解がある。
公式に問い合わせなどした場合は、公式としては「ダメ」と言わざるを得ない(著作権とはとても複雑な概念なのだ)ため、見て見ぬふりをしていただくのだ。
そういった、公式のファンによって作成される公式の威を借りた二次創作は、やはり多くの矛盾を孕む。
設定、背景情報、演出、作者の意図。他にも様々な点において、二次創作は矛盾してきた。
かく言う私も二次創作を愛する身である。同人即売会へ一般参加で購入したことも、サークル参加をしたこともある。
そういった分野に置いて、それでも私が譲れなかったものがあった。
それが、「現実に即していること」だ。
HIPHOP文化での「リアル」というものに概念としては近い。
自分が作品で本当に書きたいこと、読者へと訴えたいこと。実体験。リアリティのある描写・感情。
絶対にそれだけは譲らず、作品を作ってきた。
世間的な人気が気になるというよりも、自分が思っている作品でないと私には書けないのだ。
この小説もそうである。
全ての文章は私が心から思っていることから着想を得たものであり、そこにフィクションの余地こそあれ、"思ってもいない嘘"はない。
思っていないことは、書こうと思っても、書けないものである。
私は二次創作を愛している。
そう、愛してしまっているのだ。
二次創作でしかできない表現があって、それはオリジナルでやる場合との差は何かと言えば、「オリキャラ(オリジナルキャラクター)の吸血鬼」と「現実の殺人鬼」位の差があるのだ。
現実の殺人鬼という、「存在していることが明らかであるもの」というリアリティ。二次創作という、「既にあるもの(=存在が確定しているもの)」という強み。
それが、オリキャラというフィクションを使わない理由足り得るのだ。
そう、リアリティは作家を殺し、読者を殺す。
二次創作をするのは、リアリティを求めるが故の、ある種創作者としても当然の解なのかもしれない。
世界観の作り込み、演出の素晴らしさなどを、華美であればあるほど嘘くさく感じ、質素であればあるほど拙く思ってしまう。フィクションがリアリティを欠き、殺される。
そんな私にとって、二次創作とは、とても素晴らしい文化であると言えるのだ。
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