その2 私を生育環境から救ったエンタメと創作
某動画投稿サイトのとある投稿者のコメントに、『この人は本当に面白い。まるで空気清浄機だ』と言ったようなコメントがついている動画あった。
私はその動画を面白いと思っていたので、なぜこの動画は面白いのだろうか、私に足りないものはなんだろうか、そう考えた。
ふと、小学生の頃、お笑い番組ばかりを見ていた頃の記憶を思い出した。
お笑いが好きだったとか、お笑い芸人のファンだった訳では断じてない。
特定の好きな芸人はもちろん居たが、わざわざ劇場へ見に行くほどではなかったし、お笑い芸人になりたいわけでもなかった。
何か、漠然とした、憧れのようなものが、幼いながらにあって、そしてそれは、自分の生育環境が故あったものであると、なんとなく想像がついていた。
思えば、私は一人っ子だった。コミュニケーションの問題を難なく乗り越えることの出来るお笑いというスキルに対して、憧れがあったのだろう。
一人っ子だったから、というだけではこんなにもコミュニケーションに問題が起きるわけがなかった。
よく考えたら、自分の生育環境はあまりに歪で、私はそれを特に周りに話すことは無かった。
だが、今回は丁寧にそれを書きたいと思っている。
私は高齢の祖父母の家で育てられた。
祖父母は、昔ながらのお堅い考え方を持ち、ことある事に私の言動を否定した。
例えば、面白かった漫画の話をしたら「くだらない」と言われた。
その漫画で描かれたストーリーやキャラクターの心情などを、どれほど力説しようと無駄だった。『漫画なんかくだらない』、そう一蹴された。これはアニメでも同じだった。
そんな彼らが、表面上のエンタメ性をなぞり、アニメや漫画では溢れるほど繰り返された安易なストーリーの恋愛ドラマにかじりつきで見ていて、私はそれに、ほとほと呆れていた。
また、料理をすれば『食い意地が張っている』、ゲームを始めれば『勉強をサボっている』と言われた。
勉強をしたところで褒められるわけでもなく、むしろテストの点が取れなかった時に「どうして勉強してるのに出来ないんだ」と責められる理由になるのがわかっていた。
そんな有様だったから、それらの言葉を素直に受け入れることも無く、次第に私は彼らの言動に聞く耳を持たなくなって行った。
人として成長するには、彼らに従っていてはダメだと感じたからだ。
特に、私はゲームがすこぶる苦手で、同級生の中で対戦ゲームをさせたら一番弱かった。
友達とゲームをするとコミュニケーションができるというイベントが発生するが、そもそもゲームを持たせてはくれない親だったので、隠されたゲーム機を見つけては隠れて遊び、上手くなろうと練習していた。
祖母は「『普通の人間』として当たり前のことをして欲しい」、と常に思慮の浅い言動をし、とにかく否定し、私を困惑させた。
私には、彼女の考える普通とやらが何を指しているのか理解出来ず、周りの友人たちと共に、先生に隠れて漫画を学校へ持ち込んでは、その感想を休み時間に語り合っていた。
祖父は『普通の人間』でない私を蹴り、殴り、容赦なく否定した。
一度、私がベッドで泣きながら訴えている時、足を開くように太ももの内側を触られたことがあり、それは今でも心の傷として強く残っている。
これは、思い出す度に頭痛が起きる。
書いている今もだ。
祖父もおそらく思慮は浅く、幼少期、私からの『将棋の練習に付き合って欲しい』という言葉にも耳を貸さなかった。
祖父は将棋が強いのだが、おかげで私の将棋の腕はからっきしである。囲いすら作れない。
そんな中でもさらに私を苦しめたのが父だった。
父は三歳の頃に離婚し、定期的に実家へ帰ってきては私に「社会の厳しさ」とやらをしつこく説教し、私が泣いてもそれは続いた。
私は、ずっと父の話を聞き、耐える、ということだけをしていた。怒らせるのが、怖かったからだ。
父は暴力こそ振るわないが、少しでも口答えをしようものなら家にいられなくなるだろう、と、思わせる威圧感があった。
そんな毒親達に人格を否定され続け、家族愛などというものが自分の中に存在しないまま、ただ憎しみと怒りを抱えて人生をボイコットしていた。
部屋に鍵をかけ、ひたすらゲームや漫画、動画投稿サイトを眺めて一日を費やした。
エンターテインメントを見るのが好きだったのは、嫌な現実を忘れられるいい時間だったし、それを作る人間の思慮深さ、作り込まれた世界観や構成を、どうにか自分の人生に取り入れられないかを考える時間にもなった。
ゲームの腕に関して言えば、アクションゲームは相変わらず苦手だったが、パズルゲームはとても得意だった。
一日中パズルゲームでマラソンモードをプレイして、ほとんどミスをすることなくプレイし続けられた。
ゲームをクリアすることはできていたが、それ以上の何かを追求してずっとプレイしていた。
自分で漫画を描こうとしたこともあった。
ただ、父は少し読んだだけで私に「才能がないから小説を書く方がいい」、と否定した。
祖母は、私の描いた裸体のデッサンを見て酷く激高し、強い口調で非難した。
それ以来、絵に対しては本気になることは無くなってしまった。
惰性で描きたいものをちょこちょこと描いて、ネットに上げるものの、当然そんなやる気のない絵にリアクションがつく訳もなく、やる気は下がるばかりだった。
そんな中で、文章を書くことは、ほとんどやめなかった。
小学校で日記をつける宿題を出された日から、文章を書くことに対して病みつきになってしまった。
ノートを買えばひたすらに思いついた文章を書いて、気に入った本の文章や表現があれば、それを手持ちのメモ帳に事細かにメモをした。
文章は私を否定しなかったし、裏切ることも無かった。
書けば、書いた分だけ、ちゃんと残る。
文字は私にとってもはや家族であり、生涯の友達となっていた。
現実世界の矛盾や不合理を文字に起こして、悦に入るということをしていた。
ただ、一度だけ文章を書くことに見切りをつけたこともある。
それに関しては、エッセイ「希う話の中で(https://kakuyomu.jp/works/16818093081813008091)」で語っているので、そちらを参照してもらうとしよう。
とにかく、私にとって、文字とは、文章とは、私の友人であり、家族であり、全てなのである。
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