第2話 格下げされていた

 「本当にごめんなさい。 私は〈あなた〉に嘘をついて浮気をしていました。 でも、もう二度としないと誓います。 私が愛している人は、〈あなた〉だけなんです」


 そして、冒頭ぼうとうに戻る訳なんだが、妻が俺に向かって土下座で謝っている状況だ。


 「一月前から、君の様子が変だと思ったから、調査をしてもらっていたんだ。 俺は君のことを信じていたのに、すごく残念だよ」


 「うぅ、ごめんなさい。 〈あなた〉が信じてくれていたのに、裏切りと言われても仕方がないことをしてしまいました。 いくらでも謝りますから、二度と浮気はしませんから、どうか許してください。 本当に愛しているのは、〈あなた〉だけなんです」


 妻は涙を流しながら、俺に許しを真剣にうているようだ。

 一緒に暮らす中でおおむねの性格は分かっているから、妻は本気で言っていると思う。

 今は嘘をついてはいない。


 浮気をしていると疑ったのは、〈残業と言って帰りが遅くなる〉、〈スマホを肌身離さず持ち歩く〉、〈夜の行為を拒否する〉、と言う典型的な浮気時の行動だったため、妻は隠し事がかなり下手くその方だと思う。


 〈夜の行為を拒否する〉以外は、俺をないがしろにするようなことはなく、以前と同じように接してくれていたのだから、俺を嫌いになった訳じゃないらしい。


 浮気相手と熱愛している間は、愛する対象じゃなくなり、俺は気心の知れた同居人へ格下げされていたのだろう。


 「それじゃ、ここからは会話を録音するから、正直答えてほしい。 いいかい」


 「えっ、録音するのですか」


 「そうだよ。 言った言ってないという、トラブルを回避するためだよ」


 「うぅ、〈あなた〉がそうしたいなら、従います」


 「それじゃ、まず浮気相手の名前とか連絡先を教えてほしい」


 「うっ、あの、あちらには赤ちゃんがいますので、言いたくありません。 奥さんに申し訳なくて、そっとしておいてあげたいのです」


 はっ、コイツ本気で言っているらしいな。

 それならどうして、浮気なんかしたんだよ。


 それに、俺が浮気相手の名前を言ったのを聞いてたくせに、まだ白状はくじょうしないのか。

 浮気相手の家庭が壊れても、バラしていないから自分のせいじゃないって、言いたいのだろう。


 ほんと、自己の都合しか考えていないな。


 「次の質問だけど、これから君はどうするつもりなんだ」


 「あの、離婚はしたくありません。 二度と浮気はしませんし、一生あなたに尽くしますので、どうか許してほしいです」


 えぇー、浮気相手の名前も言わないで、結婚生活を続けるつもりなのか。

 名前を言わないという、夫(俺)の不利益となる行動を、何の拘束力も担保もない言葉だけで、おぎなえると思っているのか。

 信じられないことを要求してくるな。


 浮気相手を、まだ愛していてかばっていると思われても、仕方がないことなんだぞ。


 「もう一度聞くけど、浮気相手の名前とか連絡先を教えてほしいんだ」


 「さっきも言いましたけど、赤ちゃんがいる家庭を、壊すようなことはしたくないのです。 〈あなた〉もそう思うでしょう。 その分〈あなた〉に尽くしますので、申し訳がないのですがこらえてください」


 「君がした浮気が、家庭を壊したとは思わないのか」


 「そうだと思います。 私がしたことは最低のことで、心から反省しています。 だからこれ以上、奥さんや赤ちゃんにご迷惑をおかけしたくないのです、分かってください」


 「最低なことをしたのに、その責任をとって俺の希望である離婚はどうしてしないんだ」


 「うぅ、責任は取りますけど、〈あなた〉を愛しているから、離れたくないのです」


 「君は尽くすと言い、責任を取ると言うけど、具体的には何をしてくれるんだ」


 「えぇっと、あの、浮気は二度としません。 嘘もつきません。 良い奥さんになって、〈あなた〉に人生を捧げます」


 「ふぅん、具体的なことは一つも無いんだな。 それに当たり前と言えば、当たり前のことばかりだ」


 「えぇー、そんな。 私の言うことが信じられないのですか」


 「はっ、嘘をついて浮気をした女の言うことなんか、信じられはずがないじゃないか」


 「でも、私が〈あなた〉を愛しているのは、本当のことです。 これは嘘じゃありません」


 一緒に暮らしている夫がいるのに、平気で嘘をつき浮気をしていたんだぞ。

 それは愛している男にすることじゃない、どうでも良いと思っている男にすることだ。


 〈あなたを愛している〉と言う言葉が、一番の嘘じゃないか。


 「君は俺のことを愛していると言うけど、二番目か三番目に愛しているってことだと思うよ。 残念ながら俺が一番じゃないんだ」


 「はぁ、そんなこと、あるはすが無いでしょう。 私には〈あなた〉しか愛している人はいませんよ」


 「それは昨日、一番愛していた男に捨てられたためだろう、一番がいなくなったから二番目が浮上してきたにすぎない。 また一番に愛する男が出来たら、君にとって俺はまたどうでも良い存在になってしまうんだよ」


 「はっ、〈あなた〉は二番じゃありません、一番に決まっています」


 「ふーん、それじゃどうして、浮気相手とはしてたくせに、夜の行為を拒絶したんだ。 俺が望んでいるのに、浮気相手の連絡先を教えてくれないんだ」


 「…… 」


 「答えられないんだな。 君と話しても時間の無駄にしかならない。 離婚届を用意してあるから、名前を書いてハンコを押してくれよ」


 「いゃぁー、別れたくないよー、許してよー」


 妻が叫ぶように自分の希望を言いやがる。


 俺のして欲しいことは全く叶えようとしないのに、自分の希望が叶えられなかったら、大声を出して俺を糾弾きゅうだんするつもりなのか。

 涙まで流して、いったい何をしようとしているんだろう。


 「はっ、大きな声をだすな。 それじゃ答えてみせろよ」


 「うぅ、夜に誘われて断ったのは、申し訳ありませんでした 。断った理由は私にも良く分かりません。 おかしくなっていたんだと思います」


 「おかしくなっていたことが、証拠そのものだよ。浮 気相手を一番に愛しているから、夫だけど二番の男には抱かれたくは無かったんだよ。 一番愛している人を裏切ることになるからな」


 「…… 」


 「はぁ、答えられないなら、早く名前を書いてハンコを押してくれよ」


 「うっ、絶対に違う。 おかしくなっていたから、そんなの説明できないよ。 それに前も今も〈あなた〉を一番愛しているわ」


 「はぁー、それじゃ、またおかしくなったら、浮気をするってことじゃないか」


 「はっ、もうおかしくなったりしないわ」


 「君がおかしくなるのは、自分ではコントロール出来ないよ。 異性を好きになるのは理屈じゃなくて感情だからな。 君は恋をしたら、周りが見えなくなるタイプだと思う。 積極性も一途なところも持っていると思うな」


 「浮気をしたのは、ほんの出来心なんです。 私は〈あなた〉に一途だったじゃないですか」


 「そうなら良かったのだけど、俺はしょせん君の本命じゃなくて、安定を得るための男なんだ。 君は俺のことを確保しつつ、刺激的で燃えるような恋愛をまたしてしまうんだよ。 一番愛している男の部分が空白だから、それを埋めようとするんだと思う」


 「はぁー、私のことを私より理解しているように言いますけど、私はそんな尻軽な女じゃありません」


 「でも浮気したじゃん」


 「一回だけです」


 「えぇー、違うよ。 三回はしているだろう」


 「回数じゃないです。 相手の人数を言ったのです」


 「はっ、もう止めよう。 一人だけなら良いと思っている時点で、ダメだと思うな」


 「…… 」


 「もう良いだろう。 名前を書いてハンコを押してくれよ」


 妻がもう一度土下座をしてきた。

 また何かどうでもいい言い訳をしてくるんだろう。


 「私にもう一日猶いちにちゆうよをください。 〈あなた〉に言われたことを、良く考えてみたいのです。 どうかお願いします」


 俺は妻とのやり取りに、思っていた以上の疲労を感じていたので、話し合いを長引かせるのは良くないと分かっていながら、願いを聞いてやることにした。


 このまま話していても、らちが明かないとの思いもあったんだ。

 妻も一晩寝て冷静に考えたら、俺の言っていることを分かってくれるとの、期待も少しあった。

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