第4話 花

 生きぬきに庭を散歩しようと思い立った。

 いつまでも部屋にこもっていては駄目。

 こういうときこそお日様の下に出て、新鮮な空気を吸い、気分転換をしよう。

 そうすればいい考えも思いつく、かもしれない。

 部屋を出ようとして驚く。

 いつもは二人の騎士が守りに当たってくれているのだけど、今日は六人態勢。

 それもこれまで一般の衛兵だったのが、その上位互換というべき、黄金の甲冑に赤いマントという近衛騎士の正装姿。

 近衛騎士とは国王の直属。

 幼いころから親元から引き離され、体力や剣術はもちろん、頭脳まで鍛え上げられたスーパーエリート。

 通常、近衛騎士が守るのは国王と王妃(先代の王や王妃でさえ、近衛騎士はつかない)、さらに外国の要人に限られる。


「こ、こんな大勢で何か異常でもあったのですか……?」


 恐る恐る尋ねる。


「いいえ。警備を厳重にせよとの陛下のご命令でございます」

「そ、そうですか」

「今からどちらへ?」

「庭を散歩しようかと」

「かしこまりました」


 侍女たちだけでなく、騎士六人を引き連れることになってしまう。

 ちょっとした行列だ。

 これには侍女たちも戸惑いを隠せないようだった。


(ありがたいけど、これじゃあ、気が休まらないわ。かと言って、せっかく陛下がつけてくださったのを邪険にするわけには……)


 結局、このままで行くしかなさそうだ。

 と、向かいからも一団が現れる。

 王太子のフェリックスだ。


「これは殿下。ご機嫌麗しく」


 私はスカートを両手でもちあげ、頭を下げる。

 騎士たちを引き連れた殿下は、国王陛下から殴られた右頬に湿布を貼りつけて、痛々しい。


「なぜ、お前がここにいる。婚約破棄をしたはずだ」

「口約束で解消できる類いのものではございません。ですから私はまだ殿下の婚約者でございます」

 殿下の拳に握られた両手に力がこもる。

「……のか?」

「はい?」

「父上と、結婚するのかと聞いたんだっ」


 まるで仇のように睨まれてしまう。

 どうしてこれほどまで憎まれなければならないのだろう。

 それほどまでに殿下はパメラ嬢に夢中だということなのだろう。

 私はなんと答えればいいのか分からなかった。

 今の気持ちはもちろん『ない』と言うべきなのだろうが、それを陛下ではなく、殿下に言うべきではない。


「……殿下、顔の怪我は大丈夫でしょうか」


 私は今の問いかけを聞かなかったことにして、話を逸らす。

 殿下は自分の問いかけが無視されたこともあって、ムッとしたらしい。


「お前に心配される謂われはない! だいたい、この怪我は元はと言えばお前のせいなんだぞ! 分かっているのかっ!?」


 いくらなんでも暴論すぎる。

 そもそも殿下がありえないことをあんな衆人環視の場でしなければ、大騒ぎになることもなかった。

 と言って、ここでいくら弁解しても、火に油を注ぐだけだろうから口を閉じるしかない。


「おい、聞いているのかっ」


 フェリックスが一歩踏み込むや、近衛騎士たちが素早く前に出てきて、私を守る。


「な、なんだお前たちは! 邪魔だ! 私は王太子だぞ!?」

「申し訳ございませんが、陛下よりお守りせよとの命を受けております。たとえそれがどんな相手だったとしても、例外はございません」


 フェリックスは怒りのせいで顔を赤黒く染め、私をキッと睨みつけ、指を突きつける。


「お前のせいで、パメラは宮廷から追い出されたというのに、どうしてお前がここにいるんだ。普通、逆だろう!?」

「失礼ながら、あれだけの騒ぎを起こしたのですから、普通、パメラ嬢があのまま侍女でいられることが間違っています。そうしなければ、周りへの示しがつきませんから」

「ハハハハハ!」


 突然、殿下は笑い出す。

 周囲の者たちがぎょっとする。


「本音が漏れたな。やはりお前はパメラに嫉妬していたんだ! パメラは正しかった! あの子の訴えが裏付けられたっ!」


 裏付けられてなんておりませんけど。

 心の中で抗議しつつ、殿下の反応に驚きを覚える。

 殿下は女性関係に淡泊な方だとずっと思っていた。

 物心がつく前から私たちは婚約関係にあったけれど、殿下からパメラ嬢に向ける情熱の十分の一も、向けられてこなかった。

 それをこれまでは特別気にしてこなかったが、パメラ嬢を見る殿下の眼差しを見てから、少し気にしてしまう。

 寂しさや羨ましさとは違う。

 ましてや殿下が鬼の首を獲ったように言う嫉妬心では絶対にない。

 ただ殿下の中に、私を想う気持ちが僅かもなかったことにガッカリしているのかもしれない。

 私はこれまで殿下の心に寄り添おう、たとえ政略結婚だったとしても絆を育もうと思い、行動してきた。

 でも結局は私の独り相撲だったのだ。


(……政略結婚なのは分かっていたけど、こんな虚しい気持ちになるのは初めてだわ)


 私は頭を下げ、通路の端へ避けた。

 殿下はフンッと鼻を鳴らして歩き去っていく。

 殿下の姿が見えなくなると、私はまともに呼吸ができるような気がした。

「あの態度はさすがにありえませんわ」

「パメラの言葉を鵜呑みにした殿下に非があるのに」

 侍女たちがひそひそと言葉を交わす。

「みんな、殿下の悪口は言ってはだめよ。何があろうと、殿下が王太子殿下……未来の国王陛下であることに変わりはないんだから」

 私はやんわり言うと、侍女たちは「申し訳ありません……」と頭を下げる。

 でも殿下には私との婚約破棄はそのままで構わないけれど、一刻も早く目を覚まし、冷静になって欲しいとは思う。

 女性にうつつをぬかしているようでは、立派な国王にはとてもなれない。


(陛下があれほど優れた方だから余計に)


 殿下も決して無能ではないけれど、今は陛下には遠く及ばない。そういう面を支えられるよう、日々学んでいたはずなんだけど。


(今も一応王太子妃教育は続いているけど、目標を失っちゃったものね……)


 どういうモチベーションで学べばいいのだろうか。そもそもいつまで私が王宮にいるべきなのかも分からない状態だ。



 庭の緑が、日射しを浴びて鮮やかに輝いている。

 さっきまでは不意な殿下と鉢合わせたことで気分が沈んでいたけれど、花の甘い香りをかいでいると気分が上向く。


「あぁ」


 庭を散策をしていると、侍女の一人が落胆したような声をこぼす。


「どうかした?」

「昨日ここに、綺麗なフリージアが咲いていたんですけど」

「残念。誰かが摘んでしまったのね。そんなに見事だったら陛下のお部屋に飾りたかったのに」

「あちらにスズランもございましたので、そちらはいかがでしょうか」


 別の侍女が言う。


「そうね。スズランも綺麗よね」


 私は庭で摘んだ花を定期的に陛下の執務室に飾っていた。

 一度足を運んだ時、その殺風景さにびっくりして、「よろしければ花を飾りましょうか?」と提案したところ、陛下が許可して下さってからの習慣になっていた。

 散策を終えると、私はスズランを摘む。

 釣り鐘の形をした小さな花の形がかわいらしい。

 花瓶に生けると執務室へ向かう。

 プロポーズをされたことを考えると少しドキドキしてしまう。


(平気よ。変に意識せずにいつも通りしていればいいんだから)


 執務室を守る顔見知りの近衛騎士の方々に花瓶を見せる。

 騎士のお一人が部屋に入ると、すぐに戻って来る。


「どうぞ」


 私は邪魔にならないよういつも通り花瓶をおいたらさっさと御暇しようと思っていたんだけど、「見事な花だな」と陛下から声をかけられてしまった。


「! は、はい……」


 やっぱり意識はしてしまい、うまく目を合わせられない。

 執務室にはお父様もいる。

 いつもこうして二人で話し合って政策を決めるのが、陛下が即位して以来のやり方のようだった。


「その花、可愛いな」

「スズランです。お庭にありましたので」

「庭に……」

「はい。さきほど散策をしておりまして。……陛下。私、変なことを言いましたか?」


 陛下は口元を緩めていた姿が気になった。


「俺たちは気が合うと思ってな」

「?」


 陛下の優しい微笑に、どうしたらいいのか分からず硬直していると、お父様が「ゴホン!」と大きな咳払いに我に返った。


「陛下、まだ仕事の真っ最中です。ミレイユ、お前も用事が済んだなら下がりなさい」

「あ。はい。失礼いたします」


 私は逃げるように執務室を後にすると、ドキドキと高鳴る鼓動を意識しながら廊下に出た。

 目を閉じると瞼の裏に、狼のような精悍さからは想像がつきにくい優しげな笑みが思い出してしまう。

 これまでそんな笑顔を見せてくれたことは一度もなかったのに、愛を告白してから見せてくるなんてズルい。

 私が部屋に戻ると、侍女がにこやかな笑みを見せる。


「? どうかしたの?」

「さきほど陛下からの遣いの方が見えまして、このようなカードと一緒にお花を届けてくださいました」

「お花?」


 窓際に置かれたのは、濃い赤や目の覚めるような黄色、鮮やかなピンクなど色とりどりのフリージア。


(これを陛下が!)


 気が合う、と陛下が仰ったのはこういうことだったのか。

 カードをめくる。


『ミレイユ。お前に似合いそうな、可愛い花を見つけたので届ける。気に入ってくれると嬉しい 

シュヴァイク・ゲルエニカ』


「っ!」


 かあっと頬が熱を持ち、自分でも自覚していなかったが、口元が緩んだ。

 そんな私の様子を覗き見て、微笑ましそうにメイドたちが笑っているのにも気付くほどの余裕がなかった。

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