第3話 相談
翌朝、私はいつもの時間帯に目覚めた。
メイドがやってきていつものように身支度を手伝ってもらう。
誰も昨日のことに触れることはない。
あれだけの出来事だから、宮廷の人たちで知らない人はいないはずだけど。
(……なかなか触れにくいデリケートなことではあるけど)
昨日と変わらぬ朝。
「殿下はどうされてます?」
そう私がそれとなく尋ねると、メイドたちがぴくっと反応する。
「で、殿下はいつものようにお過ごしかと思われます。言伝などございますでしょうか?」
「……平気よ。ありがとう」
昨日の今日でどうしたらいいのだろうか。
そもそもあの結婚破棄は有効じゃないんだから、私たちはまだ婚約者ということになるのだけど。
『俺の妻になって欲しい』
不意に、陛下の言葉を思い出し、頬が火照ってしまう。
あんな風に熱っぽく見つめられるなんて、初めてだった。
手を優しくも力強く握られるのも。
殿下と一緒に過ごす時もあんな風に触れられたことなどなかったし、婚約者といえども未婚の間柄で手を繋ぐのは、はしたないと教えられてきた。
(お父様に相談したいわ!)
しかし父は宰相で忙しい。
食事を済ませ私は、いつもの王太子教育の時間を迎える。
もしかしたら昨日の今日だから王太子教育はないのでは?とも思ったけど、時間通りに家庭教師たちがやってきて、何事もなく授業がはじまった。
家庭教師たちから語学や歴史、礼儀作法などをみっちり学ぶ。
勉強をしている間は昨日のことを考えずに済む。
私はいつも以上の熱心さで、家庭教師たちからの言葉を一言一句聞き逃すまいと集中できていたと思う。
だからこそ授業が終わり、お茶の時間を迎えると、途端にどうしようと頭を抱えてしまう。
陛下は本気だ。
本気で私にプロポーズをしたのだ。
それも貴族全員の前で!
これからどんな顔をして、会えばいいんだろう。
社交界では昨日のことで持ちきりだろうし。
溜息をつくべきじゃないと分かりながらも、つかずにはいられない。
その時、扉がノックされた。
メイドが応対に出ると、「宰相様でございます。お会いになられますか?」と聞いてくる。
(お父様!)
さすがは父娘。心が通じ合ったんだわ!
私は心の中ではしゃぎたい気持ちを抑えつつ、頷く。
「もちろん。通して」
私は人払いをして、二人きりで会う。
私は居てもたってもいられなくなり、身を乗り出す。
「お父様。わ、私……どうしたらいいのですかっ?」
「とりあえず落ち着きなさい」
「あ、ご、ごめんなさい……」
熱々の紅茶をぐいっと口に含んだ。
「まず王太子殿下だが、騒ぎを起こした角で謹慎処分になっている。パメラは侍女を首になり、今は屋敷に戻っている」
「……陛下は」
「陛下は、いつも通り、執務に励んでおられる」
お父様は渋面をつくる。
「あの……昨日のことなんですが、あれはあの……お戯れではないのです、よね……?」
「陛下は大真面目だ」
「私はどうお答えしたら、というか、私はそもそもまだ殿下の婚約者のままですよね……?」
「うむ、そうだ。殿下がどう考えておられるかは分からないが、あんな一方的な宣言で婚約破棄ができるはずもない」
「でもきっと殿下はそうは考えておられないと思います」
「……まったく、殿下にも困ったものだ。婚約者がいる身でありながら、あんな下級貴族の娘ごときにのぼせあがるなんて」
「ええ、まあ」
「あ、すまない。私としたことが変なことを言ったな。で、お前はどうなんだ? その……陛下からのプロポーズを受けるのか?」
「……分かりません。そんなことを考えたことは一度もございません。私は殿下の許嫁で、陛下は未来の義父上……という風にしか見てはいませんでしたから」
「そうだよなぁ」
父が嘆息する。
幼い頃から、陛下のことは屋敷でお見掛けしていた。
陛下と父の間には誰にも入り込めぬ絆があるのは、幼心にも分かった。
陛下は子どもといえども優しくするような方ではなく、一瞥されるだけで動けなくなるほど眼光は鋭く、怖かった思い出しかない。
「……まあ、だがこの国以上に陛下ほどイイ男がいないのも事実」
「はい?」
「正直、あの阿呆な王太子に嫁ぐより、陛下に嫁いでもらったほうが、親としては安心だ。陛下なら、わけのわからん女にうつつをぬかした挙句、貴族たちから総スカンを受けるような発言をすることもない」
「父上は一体誰の味方なのですか!?」
「それはもちろん、お前の味方に決まっているだろう。私は父親だぞ。だからこそ、闇雲に、陛下からのプロポーズを断れとは言えない……」
「では、陛下からプロポーズを受けた娘の父親ではなく、この国の柱石たる宰相としてのご意見をお聞かせくださいっ」
「それを言うな。そんなぽんぽん答えが出せるのなら苦労しない」
その時、ノックの音がして、先触れが現れる。
「陛下がいらっしゃいますっ」
私たちが慌てて立ち上がると、陛下が現れた。
「親子水入らずのところを邪魔したな」
「いえ、陛下。話は終わりましたので」
お父様は頑張れと言うように、私に頷きかけると部屋を出ていく。
というわけで二人きり。
緊張と気まずさで、私は落ち着かない気分になった。
「あ、えっと、良ければお茶でも」
「もらおう」
陛下は椅子に座り、ティーカップに注いだお茶を飲む。
私も一緒に頂く。
「それで、今日はどうされたんですか?」
「いや、別に用事という用事はないんだ。ただ、将来の王妃の顔を見たくて、な」
「!!」
そんなことを言われたのは初めてでどう反応していいか分からない。
「戸惑わせてすまない」
それはきっと昨日のことを言っているのだろう。
「昨日も言ったが、本気だ」
「……ですが、私は殿下の許嫁です」
「ならば、許嫁でなければ、俺の気持ちを受け入れてくれるのか?」
「それは」
私は何と言っていいか分からない。
「だが決しておかしいことはないだろう。将来、あれが王になれば、君は妃になる。そのための教育も受けているはずだ」
「それはそうですが」
「問題はないだろう。王太子妃を経ないというだけだ」
「陛下は一体私のどこをお気に召されたのでしょうか。陛下の周りには魅力的な女性がたくさんいらっしゃいます。その方々と比べれば、私はまだまだ子どもです」
陛下とはこれまで殿下とお会いする際、ときどき宮廷で顔を合わせるくらいで、ちゃんと話したことはなかった。
私が殿下の許嫁になった経緯にしても、お父様が子どもの頃から陛下と親しく、誰よりも信頼を得ているという関係からだと聞いている。
「確かに話をしたことは数えるほどしかない。だが、俺は君に何度も救われている。庭先で散歩しながら侍女たちと語らう君の笑顔に、執務で疲れた心が癒されたり、君の可憐な笑顔を見ていると不思議とほっと息をつくことができるんだ。こんなことは、これまでこんなことは一度もなかった」
陛下の言葉を聞けば聞くほど、やはり戯れではないと分かる。
「俺は答えを急がない。ゆっくり考えてくれ。お茶、ごちそうさま」
私は立ち上がる。
「見送りは大丈夫」
「あ、そうですか」
「では、ミレイユ。また来る」
陛下が私の右手を取ると、手の甲に口づけを落とし、去っていった。
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