聖剣とその生態についての記録 生理現象編

 熱いシャワーを浴びて汗を流す。


夏の暑さは不快だというのに、シャワーは火傷を負うほどの温度に達さなければいくら熱くても気持ちいのだから不思議だ。




 浴室から手だけ外に伸ばして事前に用意していたタオルをひっつかむ。


それを広げて顔を拭けば、もうすっかり目は覚めていた。




 タオルを脱衣室の洗濯機に放り投げ、自分も浴室から出る。


先に姉ちゃんが風呂に入っていたから既に足ふきマットはしかるべき場所に敷かれていた。




 外出する予定はとりあえず無いのでラフな格好に着替える。


いや、外出する予定があってもこの服装だけれど・・・・・・。


多くの服は実家に置きっぱなしになっていて、こっちに来てから買った服はこういう適当なものばかりだ。


まぁ幼い頃から洋服はデザインでなく着心地の快不快で選んでいたからこの偏りも当然と言える。




 そうして着替え終えて脱衣室を出ると、姉ちゃんが起動したエアコンの涼し気な微風が出迎えてくれた。


そのまま冷蔵庫にペットボトルのお茶だけ取りに行って独房に戻る。


お茶を一口だけ飲んで、パソコンを置いてある折り畳みテーブルの上に置く。


そしてすぐにそこに腰を落とした。




 パソコンの電源を入れ、デスクトップからゲームプラットホームを開く。


別に何かの発売を待ちわびていたということでもないのだが、何となく覗いてみるのがいつもの習慣だった。


ああ、もちろん休日に限りね。




 さて、ここで少し今日一日をどう過ごすかについて考えてみる。


来る月曜のために英気を養わねばならないので、あまり体力や精神を消耗せずに程よく楽しめることをしたい。


そうなってくると結局やるのはゲームということになるのだが、しかし購入済みのゲームは最近どうもマンネリ気味で・・・・・・。


友人とマルチプレイをするなら話は別だが、それでは逆に熱中しすぎてしまうのがあって・・・・・・疲れるのだ。


なんなら夜通し続けてしまう可能性もあるわけで、そのことを考えると・・・・・・。




「積みゲ―消化かなぁ・・・・・・」




 積みゲ―といっても俺が積んだわけじゃない。


友人のギフトによって積まれたゲームたちだ。


その友人は・・・・・・その、ゲームの趣味に関しては少し特殊な嗜好を持っていて、いわゆる”クソゲー”とされるものの愛好家なのだ。


そんな彼の厳選クソゲーが「お前も苦しめ」と送られてくる。


そういったものを俺は少し触っては放置しているのだ。




「あ、そかそか・・・・・・」




 ひとつ訂正。


放置、ではなくゲームデータを削除している。


つまり再ダウンロードが必要だ。


まぁしっかり作りこまれたゲームとはわけが違うのでそんなに時間はかからないだろう。




 ダウンロードボタンをクリックして、その進捗が数パーセント進むのを確認してからパソコンを離れようとする。


するとその時、背後から遠慮がちな声が投げかけられた。




「あの・・・・・・」


「んあ?」




 浮かしかけていた腰を下ろして後ろを向く。


そして声の主・・・・・・アールグレイの方を見た。




「ちょっと、その・・・・・・お願いがあるんですけど?」


「えぇ・・・・・・何? 重要なこと?」




 地球の存亡がかかっているような要件の可能性もあるので、面倒ではあるが一応聞く。


それに対してアールグレイは言いづらそうに「えっと」だの「その」だのを小さな声でつぶやいていた。




「・・・・・・?」


「いや・・・・・・重要といえば重要なんですけど・・・・・・」


「だから何なんだよ・・・・・・」




 奇妙に思うのが半分と、もう半分は多少の嫌な予感。


あのアールグレイが口ごもるような頼み事というと・・・・・・碌なことでない気がするのだ。




「ですからその・・・・・・」


「その・・・・・・?」


「その、ですね・・・・・・・・・・・・トイレ」


「・・・・・・」




 は?




「は?」




 いやそんなことかよと拍子抜けした声が漏れる。


正直おれの知ったことではないし。




「いや知らねぇよ。行きゃいいだろ」


「で、ですからぁ! わたしの体のことを考えてくださいよ! 見てくださいこの神秘的な一点の曇りもない剣の体を!」


「なんでちょっと自慢げなんだよ。あと柄に俺の指紋着いてる」


「・・・・・・それは、まぁあとで拭いてもらうとしてですね・・・・・・。わたしをトイレに連れて行ってくれませんか?」




 ほう、聖剣をトイレへ運搬とな・・・・・・。




「その・・・・・・剣って、出るのか・・・・・・?」




 出るとしたらどこからだろう。


ちょっと聖剣が用を足す姿は・・・・・・滑稽どころの話じゃないな。




「てかお前自分でトイレ出来ないのは分かったけど俺に頼むなよ。姉ちゃんに言えばいいだろ」




 一応の配慮。


それにアールグレイは首を横に振った(たぶん)。




「わたしだって出来るならムギに頼みたいですよ! でも・・・・・・」


「でも・・・・・・?」




 アールグレイの言葉を聞きながら独房の外の様子を窺う。


そこには狭いキッチンの奥で何やら調理器具の準備をしている姉ちゃんの姿があった。




「なに? 姉ちゃん料理すんの? 珍し」




 俺も姉ちゃんも基本的に料理はしない。


流石にアールグレイが居るからって見栄を張っているわけでもないだろうし、となると大学の友達とのなんやかんやの可能性が高いだろうか。




 そんな適当な推測をしていると、姉ちゃんが誰かと通話を繋ぐのが見える。


通話をしながら料理をするとなると、俺の推測は概ね正しかったと言えるだろう。




「・・・・・・なんだか忙しそうにしていてですね・・・・・・なかなか話しかけられなくて。あとはその・・・・・・気持ち的にもなかなか言い出しづらくて」


「で、この最悪の状況に陥ったと」


「・・・・・・はい」




 入浴前の気まずさが再来する。


つまりこれからアールグレイのトイレの介助・・・・・・で言葉あってるのか?を俺がしなければならないと。




「・・・・・・」




 流石にそれはどうなのだろうかと思って言葉に詰まる。


そして逃げ道を探る。




「あの、さっきも言ったけど剣の姿でほんとに出るもんは出るのか・・・・・・? 排泄が要るとなると当然食事だって要るだろうし、その・・・・・・そういう機能が備わっているように見えないし。本当にそういう行為がいるのか?」


「わ、わたしだってわかんないですよ! ・・・・・・けど、確かに機能の段階でお腹すいてたのが今では全然そんなことないですね・・・・・・」


「ほれ見たことか! やっぱ要らないんだよ! だから・・・・・・気の持ちようでどうにかなるんじゃね???」


「そんなこと言ったって尿意はあるんですから・・・・・・どうしようもないじゃないですかぁ!」




 いいながら剣身を震わせるアールグレイ。


いつからトイレに行きたかったのかはっきりは分からないが、結構来てるのかもしれない。


ちらっと視界に映ったパソコンの画面にはダウンロード進捗が80%と表示されていた。




「空腹と同じでこう・・・・・・気づいたらなくなってるんじゃない?」


「それは希望的観測に過ぎないですよ! 待ってればこの感覚が消えるなんて全然思えませんし! もしその時が訪れたときにやっぱり排泄は必要でした、なんてなったら困るのはわたしだけじゃないですよ!?」


「それはそうだけどさ・・・・・・」




 誰も幸せにならないエンディングが訪れる可能性を誰も否定できない。


アールグレイはかつて前例のない状態に陥っているのだから、何がどうなるか分かったものではない。


だが。




「にしても・・・・・・にしてもよ? 姉ちゃんの用事が済むまでその、我慢は・・・・・・」


「・・・・・・」


「無言やめて。一番怖いから」




 ダウンロード進捗は終わりに近づき加速を見せ、96%まで進んでいる。


そしてまたすぐに増えた。




「あ」


「え・・・・・・!?」




 アールグレイのその声に驚いて思わず後ずさる。


震えていた聖剣はピンと立って硬直していた。




「ま、まだ! まだ大丈夫です・・・・・・まだ」


「そ、そうか・・・・・・」




 剣身はそのまま動かず固まったままでいる。




「えっと・・・・・・?」


「・・・・・・」


「だから無言やめてって」


「・・・・・・ミドリ、その・・・・・・ほんとにお願い・・・・・・!」




 逃げ道は無いと、察する。


そうだ、アールグレイだって不本意ながら俺を頼ってきたのだ。


それだけ起きうる中で最悪の結果は避けたいということ。


その決断をした勇気を、俺は汲み取ってやらねば。




「ええい、ままよ!!」




 アールグレイの柄をこれまでにない程の勢いでつかんで、それを両手で保持したままトイレの方へ走り出す。




「み、ミドリ!! ゆらさなっ・・・・・・っくぅ・・・・・・」


「耐えろ! すぐそこだ!」




 初めて、心が通じたように思う。


お互いがお互いのために死力を尽くし、ハッピーエンドを手繰り寄せようとしている。


こんなことで。




 勢いよくトイレのドアを開いて、蓋をつま先で蹴り上げる。


そして聖剣をトイレの真上、便座の中央へ・・・・・・!




「間に合ったか!?」


「ああ、もうっ・・・・・・! 耳塞いで目つぶってくださいっ!!」


「耳塞ぐのは無理だ!! お前を持つので手がふさがってる!」


「あうっ・・・・・・」




 ゲームの再ダウンロードが終了したのか、独房の方からその旨を知らせる通知音が鳴る。


その音を聞きながら、瞳を閉じた。


そして・・・・・・。




「も、むり・・・・・・」




 手のひらの中で震えていた剣の柄がひときわ大きくびくりと震え、動きを止める。


そして・・・・・・。




「えっと? アールグレイ、さん・・・・・・?」


「・・・・・・」




 水音の一つも聞こえないので問いかけるが返事は来ない。


おそらく・・・・・・最中、なのだろう。




 しばらくの沈黙の後に、やっとアールグレイが言葉を発した。




「・・・・・・でちゃい、ました」


「なんも出なかったぞ」


「・・・・・・はい、それは分かってるんですケド・・・・・・。なんか、気持ち的には漏らしちゃったような気分で・・・・・・」


「・・・・・・そか」


「・・・・・・」


「とりあえず、お疲れさん・・・・・・」




 聖剣は空腹や尿意を感じるが、食事も排泄も必要としない。


見つかったな、新たなトリビアがよ。

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