怪異鬼譚:銀獅子
音羽ラヴィ
プロローグ”1890/9/30”
「どうしたのかね、教授。君の計略はもう終わりなのかね。それとも、私の策が君の計略を凌駕してしまったのかな」
祭壇に立つ死の王を、老人は忌々し気に睨み付ける。
王は燃えるような瞳で、教授をせせら笑うと、赤く塗れた唇を、更に赤い舌で舐めると、「時に教授」と問い掛ける。
「君たち人間には、まず以て理解しがたいかもしれないが、この世には私と同様に等しい存在が溢れているのだ」
「なん、だと!?」
教授と言われた老人が反応する。そんなばかな、とでも言いたげだが、そんなことを他所にして死の王は足元に落ちていた銀貨を拾い上げて、息を吹いて埃を払うと、老人に向かってこれ見よがしに翳して見せた。
「この銀貨は君が屠り殺した下僕どもに作らせたものだが、なかなかどうして質が良い。偽物、悪貨というやつだ。だがね教授、君ほどの勇猛智謀の老師ならばわかろうものだが、悪貨なるものはこの世に塵芥ほどもあり、正しい通貨と共に混じり使われているのだ。
つまり、我々はそういうものなのだよ。我々の存在は偽物ではないが、偽の通貨と同じように、そう!まるで水に浸した麻のように、君たちの社会とやらに深く、重く染み込んでいるのだ」
「…………嘘だ。お前は嘘を吐いておる。人を誑かすのが得意なことくらい、私にもわかるぞ。お前はそのようにして、ルーシー・ウェステンラ嬢を殺したのだ」
「言わぬさ嘘など。虚言を吐くのは人以外に居らぬことぐらいわかるだろう。畜生の死んだふりは生きるための正当な嘘だが、欺くための悪意に満ちた嘘などというのは、人でない私にはとても吐くことかなわん」
「ならば訊くぞ、ドラキュラ」
「何かね、ヘルシング教授」
手に持った鉄槌を、ギュッと握り込む。
「お前はどこへ向かうのだ。孤独で哀れなお前が、神の御許へも這いずったとて
「知れたことを。君ほどの男にしては愚拙な設問だ。君は自分がこの世に一生を授かった意味を考え、答えを出したことが、君の生涯七〇年ほどの間に一度でもあったのかね。いいや!ないだろうとも!四〇〇年も彷徨う私ですら導き出せぬのだ!私にこそその智慧を、分けてはくれまいかね!?」
気付けば、周囲を取り囲んでいたドラキュラの従僕たちは、勝ち誇ったような顔で、整然と祭壇を去っていく。
老人の足元に、赤が滴る。腹部を貫いた凶弾は、もはや老人の身から刻一刻と、まるで使い終えた粥鍋から熱が抜けていくように、力を奪い、時を剥いていく。
「伯爵よ、お前は少し勘違いをしているように思う。お前は殺し過ぎたのだ。人を殺し、魂を犯し、心を壊した。私の口からお前に救いなど与えぬぞ。嘆きと叫びの果てに、お前は苦しみ抜いて狂い死ぬのだ」
息荒く、老人は膝を小鹿のように震わせて、白み始めた眼だけはしかし、けして伯爵から放さない。最期の瞬間その寸秒まで、彼奴をこの目に灼き付けんと、歯を食い縛って、終幕の時間に抗い続ける。
「死せるともお前を憎もう。生きるともなく死ぬともなく、ただ屍と成り果てたハーカー夫人が主の御許へ逝けるよう、切に重ねて願うとしよう…………」
「君は逝けるというのかね、教授。君に死の御使いが訪れると?」
「逝けるとも。訪れようとも。しかし逝くのは今でないぞ。お前の永遠はさぞ空虚なものだろうが、私は七〇年の短い一生涯の意味を、今、見つけた」
教授は鉄槌を振り上げた。左手には、白木の杭を握っている。
「お前の心臓をこの杭で打ち抜き、お前が呑み干した魂を清算することだ」
鬼の王はただ驚愕した。
死の帳が迫ろうとも、瀕死の老教授はただ気迫と根気のみで踏み込み、吸血鬼に最期の一矢を打ち込まんとしている。
それは、四〇〇年の中で最も濃密な一秒にして────同時に、永遠にも等しい刹那。
「────!」
杭が血に染まる。削った先端が、伯爵の胸元に沈む。
くずおれる。途端に力が入らなくなり、伯爵は教授に組み伏せられた。この瀕死の老体の、どこにそのような力があるのだろう。
鉄槌が、今まさに杭の頭を叩こうとした瞬間だった。
「…………間に、合わなんだ」
その言葉と共に、老人の手が、止まった。ぽたり、と伯爵の頬に血が染みた。
寂として声もなく、吸血鬼は弱々しく震える手で、伯爵は胸の杭を抜くと、老教授を押し退けて脱出する。
埃りを払い、冷たく、しかし燃えるような紅眼で、教授を見下ろす。
「ヒトとは脆く、弱く、貧しく、幼い生き物だ。そうは思わんかね。…………教授」
「ああ。────今はお前の心臓にこの鉄槌を振り下ろせるならば、永遠を欲する気持ちが僅かばかりにも湧いてきた。だが、求めるには少し、遅すぎたようだ」
そこまで言うと、老教授は壁にもたれかかったきり、がっくりと項垂れ────老教授は、息をすることをやめた。
寂として声もなく、怪物はしかし嗤った。嗤うことしか出来なかった。けれど、眼からは炎より赤い血が、涙の如く溢れている。
「そうか。私は勝ってしまったのか。これが、勝利なのか」
城の外では、たった一人の不死の王の勝利を祝う法螺貝のように、黒狼の遠吠えが何百にも重なって、
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