カガミナルシス・ブラインド・ラヴ
@mukotsu_tomiya
1
私の顔を傷つけた犯人を、絶対に地獄送りにしてやる。
カタカタ──。
と、物騒な文字列をキーボードから叩き入れ、私は休憩のつもりでコーヒーカップに手をかけた。自宅の作業デスクには、仕事用のPCと手頃なサイズの手鏡、それと先程までカップの結露を一身に受けていた百均のコースターが置いてある。何てことのない東京の一軒家だ。
ブラックを味わい、一息つく。
そろそろ締め切りが近い。
苦味を口から吐き出した直後だというのに、また一つ溜息が出た。小説家の締め切り日が近いというのだから、無理のないことだろう。
出版社から仕事をもらうようになって、だいたい三年が経つが、未だにこの時期は心臓が冷える。夏であってもそれは変わらないし、──ましてや今のような冬だというなら、それはなおさらだ。
私の顔を傷つけた犯人を、絶対に地獄送りにしてやる。
自分の小説のフレーズを、脳内で反芻する。机に下ろしていなかったブラックをもう一度喉に流し込む。主人公の恨みと混ざり、苦味が強調されていくようだった。
過去に火事で顔に火傷を負った少女が、六年越しにその犯人を追及する推理小説。今回書いているのはそういう話だ。すでにあらかた書き上がってはいるのだが、特に今回は、この小説だけは、絶対に何としてでも、最高のクオリティで世に出さなければならないという思いが私にはある。だからこそ、普段より気を張る仕事だ。
何せ、モデルが私自身なのだから。
「……モデル、ね」
自嘲的な気持ちになり、再度原稿に向かう。当時の自宅ごと顔を燃やされた主人公の少女が、その放火事件の犯人と向き合っているシーンだった。
──少女は十一歳の時、私は十七歳の時に、火傷を負った。
そこで両親を亡くした私は、唯一残された妹とともに自立して生活することを余儀なくされる。いや、正確には支援を受けることは可能ではあったが、基本的に、その全てを私は拒絶したのだった。
それは、顔を火傷したからだ。
私は、私の顔が好きだった。というよりもそこにしか自信を持てなかった。彼氏も、友達も、そこしか見ていない。私の顔が可愛いからこそ私と付き合っているのだと、高校生になった頃には、私は完全にそうとだけ思っていた。周囲の人間は全てことごとく私の顔しか見ていない。
それはもしかしたら、私の顔つきが普通よりあまりに恵まれていたために生まれた誇大妄想なのかもしれないと、冷静になった今では思うけれど──いや、冷静になんて、今でも──とにかく。
だから自分の方からも、唯一の取り柄である顔面を磨くよう美容や理容やあれやこれやに手を出し、整形することもなく、神から与えられたただ一つの財産であり、才能である、ルックスを究めることに注力したのだった。実を言うとアイドルオーディションの書類選考に出して通ったこともある。そうしているうち、やはり、周りの人間は私の顔を重視しているという感覚は、強くなっていった。そういう目線を、それが偽だったか真だったかわからないけれど、私はクラスメイトや大人、家族たちからいつも感じていた。物心ついた時からずっとついて回る感覚だった。
しかし私は顔を火傷した。
あの放火事件で、私は両親と、自分にとってかけがえのないものをいくつも失った。犯人は、捕まっていない。
彼氏にLINEで一方的に別れを告げ、友人たちと手早く絶交し、二次選考中だった事務所からの連絡は断ち──高校を中退した。私は妹と二人で暮らすようになった。以来、それ以外の人間には、顔を合わせて名乗ったことがない。
「……残ったのは、この顔」
部屋の隅、窓際にあるデスク。PCの奥に裏向きに置いてある手鏡を取り、私は自分の顔をあらためた。
映った顔の奥に真っ白な天井が見える。ついそこに目が行ってしまうのは、やはり現実逃避の一環なのだろうか。
額から頬にかけて、隠しようのない痣がある。
それは、炙られたベーコンのような色をしていた。皮膚が剥がれたら人間こんなものなのだろうという最も卑近なリアリティは、私を、平凡な独身女性から孤独な推理小説書きに至らせる。
もっとも、私が推理作家になったのは、べつに推理小説が好きだったからではない。ただ、──人と顔を合わせずに済むからこそ、私はこの道に進んだのだ。高校を中退してからは両親の遺産で三年間生活し、無事に推理物の新人賞を獲ってからは、こちらの金を使うようになった。
三年間、死に物狂いで書き続けた。一部の作家先生が「小説家になるために必要なのは、小説を書くことだけに身を捧げること」なんて言っているのを、昔の私はなんだ偉そうにとせせら笑っていたものだが、実際なってみると、確かにそれに迫る迫力はあるように思えた。小説家になる、ということは。三年間、書いて、書いて、書き続けた。そして小説家になって原稿料をもらっている今、私には次なる目標がある。
いつか自分をモデルにした超有名な小説を書いて、当時の犯人に私の恨みを知らしめる。
それが私の最終目標。
物書きには致命的な、長々とした前置きになってしまったけれど──だから、今回の作品は、私にとってとても大事な契機になるかもしれないのだ。
六年前の放火事件の犯人を、十七歳の少女が突き止める小説が、何を意味しているのかは言うまでもない。
時計を見ると午後五時。起きてからずっとデスクに張り付いていたから、そろそろ十時間くらいにはなるだろうか。
「……よし、今日の仕事はいったん終わり」
言いながら、何だかんだメリハリをつけることを覚えてきたので、一度PCを閉じ、腰痛を加速させそうな硬い椅子から立ち上がる。通販での置き配しか使っていないので、組み立て式の物しか買えなかった。歩き、廊下に出る。
向かう先はもちろん一つに決まっている。
六年前に煙をくらって盲目になった、妹の
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