冥界の花嫁は過剰な愛に堕とされる。
音央とお
1
ーー昨日までの記憶がない。
それを不安に思うことは当たり前の感情だと思う。自分が何者なのか、自分が何をしたいのか、何が分からないのかが分からない。……何もない。
そんな無の状態でも、私は不安になることがなかった。それは全て美しい王のお陰で役目を与えて貰ったからだ。
「ルウ様、本日は忙しくなりますよ。先日決めたドレスが出来上がったのでその試着、来賓の方々の名前や肩書きの暗記、
「そうなんですねぇ」
「いやいや、他人事のような相槌をしないでください」
「うーん?」
「ルウ様はぼんやりされているので滞りなく式が終わるのか不安でなりませんっ!」
泣き真似をする女中のヨウカは立場は違えど一番気楽に接することが出来る。
我が事のように色々と心配してくれるから、いつも助けられている。
「冥界の王であるロカ様の婚儀ともなればそれはそれは盛大で、失敗は許されないものなんですからね!?」
「そうなんですねぇ」
「だーかーら、その相手がご自分である自覚はあるんですか!ルウ様!」
「……うーん? それは王にそう言われたのでそうなんだろうなと思っています」
「……駄目だ、不安しかない」
文字通り頭を抱えるヨウカを見つめつつ、言われたことを頭の中で整理する。
婚儀というのは随分と準備が大変で、それは
王と出逢って半年、言われるがまま色々と受け入れてきて、彼を信じていれば大丈夫という安心があったのだけど……。
ヨウカの焦っている様子を見ると、気持ちが揺らいでしまう。婚儀というものは随分と恐ろしいものらしい。
「入ってもいいか?」
凛とした声が聞こえてきたと思ったら、開けっ放しだった扉に凭れ掛かるようにして王がこちらを見ていた。
「ロカ様! 気付かず申し訳ありません」
ぺこぺこと頭を下げたと思ったら、ヨウカは慌てて扉を閉めて出ていった。入れ替わるようにして近寄ってきた王に顎を指で持ち上げられる。
「そんな顔をするな。お前は何も心配しなくていい。俺の横で愛想良くしてくれれば問題はない」
「……うーん?」
そういうものだろうか?
ヨウカの言っていたこととは異なるようだ。
「俺を信じろ」
琥珀色の瞳が真っ直ぐに私を見てくるものだから、本当に大丈夫なんだと思う。
王の瞳を見ていると不思議なことに、初めて会った時も彼なら信じられると思ったんだ。
静かに頷くと、王は口元に弧を描いた。どうやら満足してくれたらしい。
「このままお前を愛でたいところだが今は時間がない。これを渡しに来たんだ、受け取ってくれ」
姿見の前で付けられたのはチョーカーで、黒い宝石が散りばめられた
「お前の髪の色に似せて作らせた」
「私のためにわざわざ……?」
「妻を着飾るのは男の楽しみだからな」
鏡の中の王と目が合ったと思えば、掬い取られた髪に口づけを落とされる。
「つ、妻……」
「婚儀なんて面倒なものがなければすぐにでも娶ったんだが、しきたりがどうのこうのと煩い
忌々しげに呟く表情は実に不機嫌そう。
名残惜しげに髪から指を離した王は「今夜また会いに来る」と言い残して去っていった。
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