第9話 烏龍郊外、新参者のスズメバチ※
「お〜い横取りは駄目でしょうが」
「ゴェ」
パス、と軽い音がした。物々しい見た目からは想像できないあっけなさで、鈍色の弾丸が男の後頭部に吸い込まれる。引き金も、黒光りする本体も然程持ち重りのするものではない。
「フッ……ふてえ野郎だよまったく」
サヤカは銃口を吹き、制服の内側に熱いままのそれをサッとねじ込む。目の前で横倒しになった男の頭から、じわじわと赤い水が吐き出され、アスファルトに広がっていった。物音を聞きつけて出てきた白衣の男は、サヤカと同じ制服を纏う間抜けを見下ろし、呆れた顔で笑い交じりのため息をこぼした。どうも、朝からお騒がせしまして。
「ようリーさん。この時期はお互い大変だな」
「全くです。今年も参加待ってますよ!」
スン、と真っ暗な両目で同僚だったモノを見下ろしていたサヤカは、勤勉な配達員の顔に戻り、クルリと客に向き直る。めずらしく軽い、それでも大きな鞄の中から、量産された参加申込書を取り出して渡す。開催日時と会場が記入されただけの、まるで色気のない書類を、男はよろこんで受け取った。相変わらず、カタギには見えない面だ。
「待ってたよ。今年も力自慢揃えてるからさ、配達員は当日観戦できるんだろ? 見に来てくれな!」
隆々たる巨体を白衣の下に押し隠し、強面の顔をそれでも愛想よく緩めた無免許医院の院長は、節くれだった指で白衣のポケットを探る。
「チョコレート好きかい?」
「あは、どうも……」
言いながら、彼が差し出したのはキャラメルだった。免許の前に正規の医者に掛かって診断書を貰ったほうが良い。意識が月にぶっとんでいてもメスを握る手を誤らないのが彼の良いところだが、たとえ致死率七割を超える奇病にかかってもこの医院には掛かるまいと、配達員は心に誓った。
足元の男はいまだにダクダクと傷口から血を流している。先月、仕事終わりに飲もうと慰労の約束をした相手であるが、横入りをされた今、もうなんの情も湧かないのだった。
髪を売ったばかりの青々とした坊主頭を爪先で小突き、サヤカは足元を指さして言った。
「食いさしで申し訳ないけど、よければ持ってってくださいな。あたしはナマモノ扱ってないんで!」
この時期、どうしても仕事が減る配達員の間では、毎年、少しでも点数を稼ごうとルール違反が横行する。見つけたら即射殺して構わない、と上からお許しを貰っているサヤカにとって、大した問題ではない。後処理の面倒臭さを度外視で考えれば商売敵が減るのは喜ばしいことだ。
「こりゃ新鮮な急患だ。こっちで処置するよ」
「どうも〜! 本当、助かります!」
現場はおあつらえ向きに医院の前。自分で解体できれば小銭稼ぎにはなるが、割に合わない重労働である。
患者にかかりきりになる医師を置いて、サヤカは
「そいじゃまた! 今後ともご贔屓に!」
ヴルルゥゥン! と猛りきったいななきを置き去りに、配達員はまだ人気の少ない道へと出ていった。
「ひ、ひぃ……ひぇっ」
烏龍の西、主要部から離れた港付近の区域に入ることが許されるのは、天下御免の配達員の中でもとりわけ逃げ足の速い者や咄嗟の判断が良い者に限られる。外界に通ずるこの辺りは、新参の外様企業や定住地のないよそ者が彷徨く、特に治安が悪い区画としてリストに載っているからだ。
荒々しいエンジン音に、そこ行く襤褸を纏った男たちが訝しげな視線を向ける。肩を竦め、頭を低くして走り抜けた配達員は、目当ての建物が早く見えないか目を凝らして探した。
「んんん、この辺りだと思うんだけどな……」
進めども進めども似たような景色ばかりが続く。一度路肩にバイクを停めたサヤカは、端末を操作して配達先の在処を確認すべく地図を呼び出した。
「道一本間違えたかなこりゃあ〜」
タプタプと指の腹で液晶画面を叩いていく。
「ん〜……ん?」
__刹那、白い画面にふっと影が差した。
「は、のろま」
吐息混じりに嗤う声。閃く白刃。良く研がれた長い切っ先が、鞄の紐を断ち切って。
「っあ、泥棒ーッ!」
タンッと荷台を蹴って地面に降り立った何者かが、ビラの詰まった四角い鞄を握りしめ。傾く視界に、広がるガラの悪いスカジャン、そのテラテラと光る紫色と虫の羽を象った刺繍がはっきりと写った。
「ウハハ! 道端でぼーっと停まってんなよ!」
黒い皮を巻いた日本刀。旧世界のアジアでも流行り廃れた、時代遅れの凶器を握りしめる生成り色の手首に、光を吸い込むほど黒いスズメバチの入れ墨が刻まれている。クリュウ・ファミリーも把握していない他所からの新参者。おそらく何かの集団に属していて、手首の入れ墨はその証になるのだろう。
「赤頭巾は何やってんの!?」
地図を消した端末から緊急コールの番号を呼び出し、コールするだけのそれを握りしめたサヤカは懐から銃を取り出す。利き手で狙いをつけるも、あちこちを飛び回って建物の壁を駆け上がるくせ者は射線を切るようにジグザグと動き。
「このっ」
数撃ちゃ当たると引き金を引いたが、焦りと反動にブレる手首が獲物を捉えることはできなかった。
「返して! 金目のものなんか入っちゃないよ!」
「どうだか!」
ゴミ箱の影に滑り込んだ人影が、荒い息を吐きながらチャックを開けた。ジジジ、とファスナーを金具が滑る音がし、バサバサと何枚かのビラが路上にぶちまけられた。誰が拾うと思っているんだ。
「……え〜、札束じゃない」
「それをそこに置いて、両手を上げて出てきな!」
程なくして、がっかりした様子の声が上がる。サヤカ・リーは両手で銃を構え、装填数残り五発のそれを油断なくゴミ箱の付近に向けた。片目で照準を合わせ、飛び出してきた人物に間違いなく当たるように。
「はいよ。悪かったなお嬢ちゃん」
果たして、想定よりあっけなく、ビラ泥棒は物影から両手を上げて出てきた。キャップの上にフードを下ろしたガラの悪いスカジャン、グレーのスウェット。喧嘩を売るにしてももう少し気合の入った格好をしろとツッコミたくなるような、寝巻きに一枚羽織ってきましたとでもいうようなラフな服装だ。どんなに倫理観のない烏龍の悪たれだって、もう少し生地の固い服を着る。朝飯を調達する片手間に泥棒を働こうと思ったのだろうか。
「あんた他所の人? この街で配達員にだけは手を出すなって暗黙のルールは知らないようね」
歯牙を剥き出しにして唸るサヤカに、顔半分をキャップの影に隠したそいつは口元だけで器用に笑った。唇に二つ、黒い輪のピアスをつけている。
「古臭いヤクザ・カルテルの規則に興味はないね。ウチらは無敵のスズメバチ。ひと月経った頃には、烏龍はウチらの巣箱になる」
ふらり、両手を落としたスズメバチの入れ墨は、口の開いた鞄の中から一枚の参加申込書を取り出した。勝てば烏龍での市民権を獲得できる御前試合への切符。大きな口を叩こうが、試合で勝ち残れなければただの敗者だ。
「参加しようっての?」
「誰でも良いんだろ。そう怖い顔するなよ、腕ェ落とされたわけじゃない」
「配達員に手を出したってことがまず問題なの」
スズメバチは紐の切れた鞄を拾い、空いた手に日本刀を握りしめ、サヤカの方へ歩いてきた。サヤカが銃を向け直してもどこ吹く風だ。撃ってもいい。正当防衛の段階はすでに過ぎている。
「その物騒なもん下ろせよ。生きてご主人様のところに帰りたいだろ、わんわん?」
「っ……動くな!」
ジャリリ。砂を踏んでスニーカーが近づく。
チキ、とサヤカの銃がなる。
睨み合ったまま、お互いハグが出来そうな距離まで近づいて、スズメバチはバイクの荷台にドサッと鞄を置いた。サヤカより頭ひとつ分背が高い。
「お利口さんで嬉しいぜ、チワワ」
キャップの影の下、黄色と黒の前髪の奥で緩く笑む瞳が鋼のように凍てついて。
「……!」
引き金を引ききる間もなく首が落ちる。鮮明な死のビジョンに噛みつかれたサヤカ・リーは、ギクッと肩を竦めることしかできなかった。ほとんど無意識での身動ぎ。脳からの警鐘も麻痺した、脊髄反射で起きたことだった。
「あばよ」
トン、と肩を叩いて歩き去るスズメバチの、砂利を踏む足音が聞こえなくなるまで、配達員は虚空に向かって銃を構え続けていた。腕が震え、肩に痛みが湧いてきてようやく鉄の重みがあるそれを下ろす。肘から先が重たい荷を積み降ろしした時のようにカタカタと震えていた。
「おいリー! なんかあったか?」
息せききって駆けつけた赤頭巾の一人、リーダーのヤマが遠慮がちに声をかけた瞬間、サヤカはバイクから引きずり下ろされたように地べたにベシャリと崩れ落ちたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます