第5話 烏龍特区の藪蛇

「お前いい加減にしろよな」

 クラブ・パライゾを出てすぐの通り。愛車である水牛型バイソンに跨がるサヤカの横に立ち、赤頭巾の少年が射殺すような目つきで言った。午前の光が異様に長い建物の間をぶつけるように落ちてきて、彼の身体の百足はもうただのタトゥーだった。

「怒らないでよ兄さん」

「誰が兄さんだっつの。テメェのが年増だろうが」

「ほんの一つ違いじゃん!」

 仕事を全うすることに神経質な彼は、予定にない飲酒を強いられたこと、それも女子供が飲むような甘い酒を呷らされたことにご立腹だ。トビが好むのは薬草臭いヨモギ酒であり、飲めばカッと目の前が白くなるような蒸留酒である。毎晩仕事終わりに引っ掛ける一杯を生き甲斐とする彼にとって、水を差されたようなものだろう。だとしてもだ。

「あれはあたし悪くないでしょ。だってアリソンだよ? ジーッと見られてみ、断れないから」

「床に捨ててやれば良かったのに」

「他所ならあたしもそうしたよ」

 不夜城の主、不健康な喧騒を求める全ての人びとの女神ミューズ、プリンセス・アリソン。彼女のファンはおしなべて熱狂的であり、その澄んだ瞳を曇らせる何もかもを許さない。ヤクザ・カルテルが覇権を握る治外法権のこの街に、なんと単身で可憐な風穴を開けた白蟻である。天下御免の配達員であっても、可能な限り怒らせたくなかった。

 弱気な保護対象をどう見たか、トビは呆れたように肩を竦めるだけだった。

「アリソン、アリソン。お前もそんなにあのキンキラ女が怖いかよ」

「そりゃ怖いよ」

 口ではブチブチ言いながら、サヤカは手早くバイクのエンジンをかけた。ようやく配達も折り返し地点。ここからは昼から店を空けている飯屋や、そのた細々とした個人の店を回らねばならない。

「次は」

 引っ叩くように問いかけるトビの半分になった目を見下ろして、サヤカは背後の荷物を振り返った。うげ、と配達員らしからぬ声が出る。

蛇腹紅社ジャバラコウシャ。あの胡散臭い占いやってるとこだよ」

「あ?家具屋じゃあねえのか」

「怖……業種そこ噛み合わないのおかしいでしょ」

 両腕で肩を抱き、配達員はウゾゾと震えた。赤頭巾は既に興味を失い、建物の陰へ潜ろうと背を向ける。話し相手を失い、サヤカも車道へとバイクを押し出した。何かあれば再び彼らが対応してくれる。赤頭巾とは、神出鬼没で仕事を選ばず、どこでも駆けつけるのが売りの赤鬼たちだ。サヤカがどこに攫われようが、バラバラに切り分けられて売られようが、耳のタグさえ外さなければかならず五体満足揃えてくれる。

「何もないのが一番だね。仕事しましょう、仕事」

 余計なことに気を取られていては、他所より先にが管理する物流ルートに乗ってしまう。行く手に数人の男たちが怒鳴り合いながら喧嘩しているのを見つけ、ひょいと首をすくめて飛んでくる石や空の酒瓶を避けたサヤカは、懐のピストルで威嚇射撃を一発、文句をつけてからすぐそこの十字路を曲がった。


 数分後。

「いらっしゃい。歓迎するよクリュウの子犬」

「は、配達員です。社長」

 ひどく既視感を覚えるなか通された蛇腹紅社のオフィスその奥にある応接間にて、小包を手にソファに腰掛けたサヤカは制服の内側で冷たい汗をかいた。明かりとりも兼ねる巨大な窓が全方位に展開された清潔なビルの一階受付、そこで配達物と宛名の確認をしたまではよかった。本来であればそこで荷物を渡し、受取人の署名を貰うだけで済んだのである。が、見計らったように掛かってきた内線を受付嬢が取った途端、あれよあれよと奥の応接室に通されてしまった。これはとんだ大誤算である。

「こちら、粗茶でございますが」

 螺鈿のようなふちどりが施された黒のベストにタイトスカートの、従業員らしいほっそりとした女性が、サヤカの右側からそっと茶器を差し出してくる。見事な磁器の湯呑みには、嗅いだことのない香気を放つ、真紅の液体が湯気を立てていた。

「お、お構いなく! はは……」

 湿った手で荷物を抱きしめる配達員に微笑んで、事務員らしき女はさっさと部屋を出ていった。部屋の隅の観葉植物に水をやっていた女社長は、事務員が姿を消してからすぐにカツカツ戻ってきて、差し向かいのソファに腰掛けた。長い脚を折りたたんで座る様はだまし絵のようで、スーツと唇の赤だけが、辛うじて彼女を人たらしめていた。

 麗しの女社長は言った。

「窮屈な思いをさせているね。申し訳ないが一日一占が私のモットーだ。まあ、お茶でも飲んで落ち着いてくれたまえ」

「いただきます」

 いいからとっとと荷物受け取って帰してくれないかな、とは言えず。肩身の狭い配達員はおそるおそる茶器を持ち上げて熱いままの中身を飲む。鮮血のように赤い茶は香りが華やかで甘酸っぱく、果物か花を煮出したような渋みがあった。渇いた喉を滑り落ち、液体が胃に届くと、思いがけず体の隅々まで心地よい熱が染み渡るようである。サヤカはほうと息をついて、ようやくソファに体重を預ける。

「お口に合ったようでなによりだ」

 何も聞かず、女が嬉しそうににっこりする。白檀の香りがする古代芸術めいたその相貌は、眉墨と紅と白粉だけの至ってシンプルなものだ。ずっとあらぬところへ目を泳がせていたサヤカ・リーは、間近に突きつけられた毒の美貌にうっかり視線を釘付けにされる。

「おっと、顔をよく見せて。ふぅん、色々と難ありって感じだ。危ないものには近づかないほうがよろしい」

「勉強になります」

 サヤカの相を見て満足したのか、社長はあっさりと配達員を解放した。部屋を出てすぐ、あの螺鈿の黒ベストが待ち構えていたかのように案内を始める。埃ひとつない通路を右へ左へ、短いようで長い距離を歩かされた先に、明るいロビーへと通される。

「またのお越しをお待ちしております」

「どうもー」

 慇懃無礼に頭を下げる受付嬢に見送られ、気持ち早足になってサヤカはビルから逃げ出した。二度と来るか、とは思ったが、職業柄、あんまり正直にも言えないので。

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