アカカベ

@fkt11

アカカベ

「あ、あの、すいません。今おっしゃった名前、もう一度言ってもらえます?」


 前髪を眉毛の上二センチで真っ直ぐに切りそろえた青木君は、その帽子付きドングリのような顔に玉の汗をいくつも浮かべ、俺の右手をきつく握ってきた。


「だからアカカベだよ」

「アカカベ、アカカベですね。初耳です。どんな字を当てるのかなあ。赤いに壁ですかね。まてよ、漢字はない場合もあるな。いやいやそれにしても驚きました。白井さんからこんな貴重な情報を教えていただけるとは。ああ、本当にここでバイトしてよかったです。仕事はキツイし時給は安いしで、実は今日、さぼってやろうかと思ってたんですけど、来てよかったあ。あ、どうぞ、お礼にもなりませんが、このカラアゲくん食べてください」


 青木君は、さっき一緒に行ったコンビニで売っていた期間限定販売ゆず塩味五個入り税込み248円也のそれをぎゅっと俺の左手に押しつけてきた。

 見れば紙パックの底にきつね色した唐揚げが二個だけ残っている。遠慮なく食べたいんだが、右手をまだ離してくれない。じっとりと汗ばんだ、加えて妙に熱い青木君の掌が心地――よいわけがない。断じてない。


 青木君とは昨日、このビルの解体工事現場で顔を合わせたばかり。お互い夏休みの短期バイトだ。そんな俺たちに与えられているのは、廃材運びとか清掃作業とか大した仕事ではなかったけれど、35度近くの炎天下、汗臭いヘルメットに慣れない作業服での肉体労働は、初日に貧血で倒れ昼食夕食をすべて吐いた高二のバスケ部夏合宿を思い出させた。


 思い出すといえば、昨日の昼休みは勝手がわからず、直射日光の下での昼食は、新発売のデラックスしゃきしゃき冷麺があっという間に湯あたりのびのび温麺になり、後味悪く、食後にぐったりしながらよくよくあたりを見回すと、俺と青木君以外の先輩作業員達は手慣れたもので、歩道の街路樹が作る木陰や、ダンプの陰で悠々と弁当を広げているのだった。くっそう。


 だから今日の午前中は、竹ぼうきを肩に担いで仕事中をアピールしながら、快適な昼休みを過ごす場所を求め、ひたすら現場をうろついた。そして見つけたのが、昨日のうちに天井を抜かれ壁だけが残ったこの場所だった。


 倉庫としてでも使われていたのだろうか。どこにも窓枠のないコンクリートの白い壁が、青い空に突き刺さりそうにそびえ立ち、無駄に熱い真夏の陽射しをしっかり遮っていた。試しに壁にもたれかかってみれば、粗い仕上げのコンクリートは予想以上にひんやりとしていて、身体にこもった熱が一気に背中から吸い取られ、すすっと汗が引いていくのだった。まさに砂漠のオアシス。ガテンの特等席。

 でも一人の食事というのも侘びしいので、コンビニのレジに並んだときに、青木君にこの場所のことを耳打ちし連れてきた。


 俺は壁を背もたれに、青木君は壁を正面から見上げる位置に座り、それぞれの昼食を膝の上に広げた。

 新発売の山菜ざるそばが、ちゃんと冷たくてうまい。小さな幸せにしみじみする。


「どうだ、ここならくつろげるだろう」

「いやあ、涼しいですね。良い所を教えていただきました」


 青木君は律儀に顔を上げ、あらためて辺りを見回したりする。俺も一緒に首を巡らせる。


「それにしても、すごいなこの壁。まるでぬりかべに囲まれてるみたいだ」

 ぬりかべ。

 俺のこの一言に、青木君の表情が一変した。ドングリからイガグリぐらいに。

「白井さん、ぬりかべをご存じなんですか!」

「なんだよ、そんなの誰でも知ってるんじゃないの? 有名だろ。ぬりかべ」

「いやいや、この壁を見て即座にぬりかべを連想されるあたりに並々ならぬセンスを感じました。妖怪、お好きなんですね?」


 好きじゃない。というかセンスってなんじゃい。まあそんなことはいい。それより仕事中はずっと無口な青木君がここまでテンション上げてくるということが興味深い。

 少し潤んだ青木君の目を見ていると、悪戯心がむくむくと湧いてきた。

「じゃあさ、アカカベっていう妖怪、知ってる?」

 とっさに浮かんだ適当なでまかせに、青木君は口を「a」の発音の見本みたいな形にして固まった。俺は餌を待つ鯉を連想した。


 あれ? 青木君、息してる?

 パクパク。

 青木君の口が無音で開閉を繰り返している。見ているこっちまで息苦しくなる。顔色を赤白青と変えた後、ようやく出てきたのは、二時間サスペンスで、被害者宅の家政婦さんから意外な事実を知らされたへっぽこ探偵の台詞みたいだった。

「白井さん、い、今、なんと――」


 というわけで、俺は青木君からカラアゲくんをせしめたのだが、どうやら触れてはいけない禁断のスイッチを思いっきり押し込んでしまったらしい。


「赤足、赤頭、赤えい、アカガンター、どれも関係ないだろうなあ。赤坊主、あかまたー、赤子岩、ん? 赤子岩はどうかな」

「青木君。おい、青木君」

「赤しゃぐま。あ、はい、なんでしょう」

「そろそろ、手を離してくれないかな」

「うわっ、すいません。僕、いつのまに」

 照れないで欲しい。

 俺は、やっと解放された右手がスースーすーする感触に一抹の寂しさを覚えながら、さて、どう収拾をつけようかと考えた。


 青木君のテンションは上がり続ける。

「白井さん、もう少しお伺いしてもいいですか? っていうか聞いちゃいます。そのアカカベという妖怪はどんな姿をしているんでしょう。アカカベに出会った人はどうなりますか。目に見えるタイプなのかな。音かな。それとも気配だけ? あ、あとですね、いつどこでアカカベのことをお知りになられたのでしょう。うん、この質問は重要だな」

 青木君、やっぱり面白いや。とことんつき合ってみるか。

 俺はペットボトルを取り上げ、ぬるくなったミネラルウォーターで唇を湿らせた。


「何から話すかな。えーっと、俺の田舎は京都府のKM市っていう所なんだけどね、通っていた小学校の隣にOI神社っていう神社があったんだ。それでだ、確か四年生の時だったと思うんだけど」


 適当に思いつくままを話し出してみると、当時通っていた小学校や、その隣にあった神社の様子が次々と頭に浮かび、いかにもそれらしい状況が口から勝手に出ていった。


「でさ、小学校と神社の間は、ほら、土塀っていうの? 上に瓦屋根が乗っかった白壁あるだろ、その土塀で区切られていたんだけど、休み時間になると悪ガキ達はそれを乗り越えて、神社の方へ勝手入り込んで遊ぶわけさ。ある日、昼休みに土塀の陰で給食のパンをみんなで食べてたら、それを宮司さんに見つかっちゃってね。こらあ、そんなとこで昼飯食ったらアカカベが出るぞうっ、て叱られた」


 あれ? 思い出したぞ。確かにあの時、本当に叱られたよな。うん、叱られた。


「一緒にいた同級生達は、わーって土塀を乗り越えて逃げちゃったんだけど、俺一人が逃げ遅れて、宮司さんにつかまったんだ」


 そうそう、怖かったなあ。眉間に縦筋入れて本気で怒ってたもんなあ、あのおやじ。で、なんて言われたんだっけ。そうだ、「こら坊主、お前らのせいでアカカベが出よったやないか。おうおう、真っ赤だ。真っ赤。あ、こらっ、馬鹿もん、振り向くんやない。アカカベを見たら――」


 ん? そのあと、どうしたっけ。

 俺の記憶はそこでいきなり途切れていた。


「ああ、アカカベ。なるほどこれがアカカベなんですね」

 それまで黙って話を聞いていた青木君が突然、裏返った声を出した。

 青木君は大きく目を見開いて俺の頭の上あたりを見つめ、うっとりとした表情を浮かべている。

「すごい、すごいです。本当に赤いんですね。どんどん広がっていく。なんだろう、誰かが刷毛で赤いペンキを塗りたくっていくみたいだ。あ、黒っぽい所にはヒビが入るのか。うわあっ、もうこんなに」


 いったい、青木君は何を見てるんだ。まさか俺の記憶が視えるのか。ただの妖怪マニアじゃなかったのかよ。なんだ、その目は。何を、どこを見てるんだよ。


「白井さん、僕は今、猛烈に感動しています。妖怪が好きで、本やネットからの知識をせっせと溜め込んできましたが、告白しますと、所詮は絵空事だという醒めた気持ちもあったんです。でも、でも、本当に妖怪っているんですね。しかもアカカベなんてたぶん専門家にもほとんど知られていない妖怪ですよ。それが、こんなところで見ることができるなんて。ほら、白井さんも見てくださいよ、ほら、そこ」


 青木君は歌うようにそう言うと、白くか細い腕を伸ばし、爪の先が少しだけ黒ずんだ人差し指で真っ直ぐに指し示した。

 俺の後ろにある壁を――



<赤壁(アカカベ)>

 京都府の丹波地方に伝わる妖怪。アカカンベともいう。古い寺の土塀や廃屋の白壁などが突然赤く染まり、それを見た人の上に崩れ落ち、押しつぶすとされる。


               緑川清一『丹波地方の怪異と妖怪』より




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アカカベ @fkt11

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ