世界の終わりを待ち焦がれて

武功薄希

世界の終わりを待ち焦がれて


 麻子は台所に向かい、丁寧に紅茶を入れた。お気に入りのカップを二つ用意し、真緒の好きなジャムも取り出す。

 赤みを帯びた月がまだ空に残る早朝、麻子は窓辺に立っていた。街を包む朝もやが、今日という日の特別さを際立たせている。彼女は深呼吸をし、静かに時計を見た。7時。真緒が来る時間まであと1時間。

 ふと、大学1年生の春、真緒と出会った日のことを思い出した。新入生歓迎会の喧騒の中、静かな場所を求めて図書館に逃げ込んだ麻子。そこで、天文学の本を熱心に読んでいた真緒と出会ったのだ。

「星を見るのが好き?」麻子が声をかけたことから、全てが始まった。

 真緒は驚いたように顔を上げ、しばらく麻子を見つめた後、静かに答えた。「ええ。でも、星よりも宇宙の終わりに興味があるの」

 その言葉に引き込まれるように、その日、二人は夜遅くまで話し込んだ。真緒の知識の深さと洞察力に麻子は魅了された。そして、真緒の目に宿る何か特別なものを感じ取っていた。


 ドアをノックする音で、麻子は現実に引き戻された。静かにドアを開けると、そこには真緒が立っていた。世界の終わりを予言し続けてきた女性。

「来たわね」麻子は微笑んだ。

 真緒もそっと微笑み返した。

 二人は黙って食卓に着いた。焼けたパンの香りが漂う。

「くるっているのはあんたなんだって」真緒が突然言った。「10年前から、ずっとそう言われ続けてきたね」

 真緒には生まれつき予言の能力があった。世界の終わりを予言し続けてきた女性だった。そのせいで真緒は気持ち悪がられたし、非難もされた。

 麻子は苦笑した。

「そうね。でも、今日でやっと証明されるわ」

 真緒はゆっくりとうなずいた。「覚えてる?大学1年の時、初めて私の予言を聞いた時のこと」

 麻子は目を閉じ、その日のことを思い出した。満月の夜、キャンパスの屋上で星を見ていた二人。突然、真緒が麻子の手を握り、震える声で言ったのだ。「10年後、世界が終わるの。私にはそれがわかるの」

 最初は冗談だと思った。しかし、真緒の真剣な眼差しに、麻子は言葉を失った。そして、その日から二人の運命は変わった。

「あの時、私を信じてくれてありがとう」真緒が言った。

 麻子は真緒の手を取った。「信じるも何も、あなたが言うことは全て的中してきたじゃない。でも、世界の終わりを知っていることより、あなたを愛していることを隠さなければならなかったことの方が辛かった」

 真緒の目に涙が浮かんだ。「10年間、隠れて生きてきて、本当に辛かったわね」

 麻子はうなずいた。「そうね。世界の終わりが来るって知っていても、偽りの日常を生きなければならなかった。それは本当に苦しかった」


 ――そう。私たちはカミングアウトできなかった。


 空が徐々に赤みを帯びていく。それは世界の終わりの色だ。

「ねえ」真緒が言った。「最後に一つだけ」

 そう言って、彼女は麻子に唇を寄せた。もう隠す必要のない、情熱的な口付け。

「10年間、ありがとう」真緒が囁いた。「そして、ごめんね。私たちの愛を世界に示す時間がなくて」

 麻子は微笑んだ。「私こそ。あなたがいたから、最後まで生きられた。そして今、やっと自由になれた」

 突然、地面が揺れ始めた。二人は強く抱き合った。

「怖い?」真緒が尋ねた。

 麻子は首を振った。「あなたがいるから大丈夫。もう何も怖くない」

「静かに、穏やかに」麻子が呟いた。「最後の瞬間が近づいてくる」

「そうね」真緒が続けた。「でも、私たちの心は今、とても晴れやかよ」

二人は互いを見つめ、微笑んだ。

「全てが終わるのを、感じる?」麻子が言った。

 真緒はうなずいた。「ずっと待っていたこの瞬間。皮肉ね、世界が終わる時に、やっと私たちは自由になれた」

 世界が終わる以上、真緒のこれより先の予言は無い。

地面の揺れが激しくなる。街からは悲鳴が聞こえてくる。

 「見て」真緒が言った。「世界が私たちに別れを告げている。でも、私たちの愛はここにある」

 麻子は静かにうなずいた。「最後に、あなたと本当の姿で居られて良かった。大学1年の時、図書館で出会った日から、ずっとあなたを愛してきたわ」

 真緒は麻子の頬に優しく触れた。「私も。あの日、あなたが声をかけてくれなかったら、こんな幸せな10年はなかったわ」


 二人は強く手を握り合った。

「最後に言い残すことは?」麻子が尋ねた。

 真緒は首を振った。「もう何も。全てが無になるけど、私たちの愛だけは永遠よ」

 麻子は微笑んだ。「そうね。私たちの喜びも、悲しみも、そして今やっと認められた愛も」

 最後の瞬間、麻子は真緒の顔を両手で包み、深く口づけた。真緒もそれに応え、二人の唇が重なった。もはや誰の目も気にすることなく、純粋な愛を表現できる、最初で最後の瞬間。

 それから、世界は砕け散り、無への闇が全てを飲み込んだ。

 二人の魂は、永遠の中で一つになった。大学1年生の春に始まり、10年間の苦しみと隠された愛を経て、最後の瞬間に解放され、昇華した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の終わりを待ち焦がれて 武功薄希 @machibura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る