第54話 いまだ明らかにならぬ謎
「そんなうそを信じてもらえるでしょうか?」
梅芳の質問がおかしくてたまらないらしい。淳皇后は「ばかね」と声をあげて笑い、言う。
「ここは後宮。下々の者がなにを信じるかなんて、関係ない。皇帝陛下のご意向がすべての原理原則のうえにあるの。そして、その皇帝陛下の命で後宮の管理をするわたしも、原理原則のうえの存在。ここでは、わたしの言葉が真実。だから、あなたは男であるのに孝王妃としてここにいるの」
愚問だったと感じ、だまってうつむいた梅芳は「わかりました。ですが……」と口ごもる。
歯切れの悪い梅芳をじっと見つめ、淳皇后は「ああ」と納得の声をあげると、言う。
「どうして自分が罪に問われないのか……と、言いたいのね」
うつむく梅芳は、淳皇后に深くうなずいた。
すると、淳皇后は笑顔を消して答える。
「わたしはね。あなたたち……とくに柳方士、あなたに負い目を感じているの。だから、今回だけは特別に許してあげる」
「負い目ですか?」
淳皇后の言葉の意味が理解できないのだろう。柳毅はとまどい、眉をよせた。
困惑する柳毅に「ええ」とほほ笑みかけ、淳皇后は梅芳たちの顔をそれぞれ見て言う。
「だってね。あなたたちとおなじで、わたしもまったくの無実ではないから」
言いながら、わき机におかれた団扇をとりあげ、淳皇后は口もとを隠した。
梅芳は思わず「無実でない?」と、たずねかえす。
団扇で目から下は見えないが笑っているらしい。目をほそめた淳皇后が唐突に梅芳たちに質問した。
「十五年前の事件と今回の事件。どちらも、未解決な部分があるでしょう?」
――未解決? 師兄が消えたのは、玥淑妃のせいのはずだが……
梅芳には、淳皇后の質問の答えがわからなかった。葉香も兄弟子とおなじらしい。眉をよせ、だまりこんでいる。
しかし、柳毅はちがった。なにかに気づいた表情になると、彼は話しだした。
「十五年前に第一皇子を死にいたらしめた妖怪。そして、李薫児を殺害した獣。どちらも正体がさだかではありません」
すると、淳皇后はゆっくりとうなずき「そうね」とあいづちし、言う。
「このふたつは、玥淑妃と李薫児の陰謀という説では説明がつかない」
淳皇后はきっぱりと言ったが、くすくすと笑いもして「まあ、わたしの権限でうやむやにするけどね」と軽口をつけたす。
柳毅と淳皇后の話を聞くうち、兄弟子の話は的を射ていると感じた梅芳は「たしかに、そうですね」とうなづき、話しだした。
「十五年前の事件では、玥淑妃は息子を殺された被害者です。しかも、玥淑妃の息子である第一皇子を殺害した犯人は、いまだに不明。そして今回の事件。実行犯は李薫児です。ですが、その李薫児が事件発覚の直後に、やはり得体のしれないものに殺された」
自分たちの生き死にばかりに気をとられていた梅芳の脳裏に、十五年前のできごとがよみがえる。そして、当時の疑問までも取りもどした彼は、さらに語った。
「それに、師兄に妖怪退治の依頼があったときから変だと思っていたのです。獣の妖怪は、ただの獣よりは頭がいい。それでも、結局のところ生態はそこらの獣とあまりかわらない。なのに、たったひとりの人間の子供をつけねらうなんて……」
言いながら、柳毅をさがしに出かけた森でオオカミの妖怪の群れに襲われたのを、梅芳は思いだした。群れの
「妖怪は、人になつかないのかしら?」
唐突に淳皇后がたずねた。
ふいの質問に驚きはしたが、梅芳は答える。
「大人しい性質の獣の精霊ならば、あるいは。ですが、凶暴な性質の妖怪を人が飼いならしたなんて、聞いたおぼえがありません」
梅芳は考え考え語った。
淳皇后は「そう」と応じると、さらに質問する。
「でも、それは大倫国ではよね?」
思いがけない淳皇后のきりかえしに、梅芳は「え?」と素っ頓狂な声をあげた。
あっけにとられる梅芳の答えを待つことなく、淳皇后の話はつづく。
「知っている? この国には多くの留学生がやって来る。彼らはこの国で知識をえて、母国にもち帰るのよ。そして、その知識を学んだままつかいもすれば、自分たちの国にあわせて改変したりもするんですって」
――似た話をどこかで……
淳皇后の話に、梅芳は既視感をおぼえた。直後、初めて後宮をおとずれた日に、辛都護と話したのを思いだす。しかし、なぜ急に淳皇后が外国の話をするのかわからなかった。梅芳は困惑して「皇后さま。なんのお話ですか?」と、思わず問う。
梅芳の質問には答えず、淳皇后は「あなたたち方士の修行法も、国外に伝わっているのよ」と言い、逆に彼にたずねた。
「大倫国の方士は霊的境地にたっするべく修練し、人のくさびからの解放をめざす。たしか、そうだったわね?」
梅芳は「はい」とうなずく。
『世の中は空だと?』
うなずくと同時に、婚姻の夜に武俊煕として柳毅が言った空の教えが思いだされた。それは仏教思想の根幹。梅芳の仙道士の修行にもつうじる教えで、万物には実体がないと説く。
梅芳が物思いにふけっていると、淳皇后が「裏をかえせば」と口にし、さらに言った。
「修行して解脱でもしないかぎり、人はくさびからは逃れられないとも言える」
――必ずとは言えないが、多くの場合はそうにちがいない。
梅芳は「そうかもしれません」と、またうなずく。
梅芳の答えに満足したらしい。団扇の奥でほほ笑むと、淳皇后は「だからね」とつづけて語った。
「よその国では、その逃れがたいくさびを利用するのですって」
「利用?」と梅芳。
淳皇后は「ええ」と言い、猫の背をなでながら「あなたには以前、この子の話をしましたね」と梅芳に語りかける。
話すうち、嫌な予感にさいなまれた梅芳だったが、今は淳皇后の話につきあうしか道はない。彼は「はい」と応じて言った。
「たしか、異国の猫で……辛都護の贈り物だったでしょうか?」
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