第50話 得る者、失くす者、願う者

「魂魄をいれかえたあなたは、王子殿下の体の止血をしました。しかし、止血できた直後に意識をなくすほどの高熱をだしたのです。幸い、命は助かりましたが……」


「記憶をなくしていたのだね」


 武俊煕がついだ言葉に、李薫児は再度うなずいた。

 武俊煕と李薫児の話から、梅芳はようやく事態に納得する。彼は武俊煕をじっと見つめると「孝王殿下が柳師兄なのですね」と確信めいた口ぶりでつぶやいた。

 弟弟子の言葉が耳にとどいたのだろう。武俊煕はおだやかに「はやく帰れるよう、がんばると言ったのに……遅くなって、すまない」と謝罪する。そして、梅芳にほほ笑みかけ、彼は言った。


「ただいま、師弟」


 十五年、聞きたいと思いつづけていた言葉が梅芳の耳にとどく。同時に、武俊煕への恋心にとまどい悩む気もちも、彼のなかから消えさった。


 ――わたしが孝王殿下を愛しく感じたのは、もう一度、柳師兄に恋をしなおしていただけだったのだ。


 梅芳の目から、ぽろぽろとあたたかい涙があふれる。しかし、よろこぶ梅芳とは裏腹に涙まじりの声が「では」と言ったので、彼はわれにかえった。

 曲蘭が悲鳴じみた疑問の声をあげる。


「わたしが結婚の約束をかわした……ほんとうのお従兄さまは?」


 曲蘭に答えたのは、李薫児だった。彼女は「残念ですが」と口にし、言う。


「十五年前に、お亡くなりになったのです」


 凍りついた曲蘭の頬に、ひとすじの涙がつたう。それ以降、彼女はうつむき、黙りこんでしまった。

 曲蘭たちの会話を聞くうち、納得しきれない問題があると梅芳は気づく。彼は涙をぬぐうと、疑問を口にした。


「柳師兄の魂魄は、いつ記憶をとりもどしてもおかしくなかったはず。なのに彼を武俊煕としてとどめおいたのはなぜなんだ?」


 梅芳が疑問を口にした途端。無表情だった李薫児がそっと眉をしかめて言う。


「淑妃さまのためです」


 李薫児は短く答えると、記憶をとりもどした武俊煕に熱い視線をおくりつづける玥淑妃を見た。彼女は言葉をつづけた。


「淑妃さまは、ご子息の死とご自分がたまわるであろう死罪を思い、お心をたいへん弱らせておしまいになりました。そこへ方士さまがあらわれ……」


 李薫児が話をしていると、玥淑妃が胸のまえで両手をくみ「身をていして、方士さまはわたしを救ってくださった!」と、李薫児の話を無理やりひきつぎ、熱く語る。


「なんて運命的なめぐりあわせでしょう! だから、今度はわたしが方士さまを救うのです。もとの体にもどしてさしあげて……ずっと、ふたりでいっしょに楽しく暮らすのよ!」


 主張する玥淑妃は、うっとりと武俊煕を見つめた。願望を語る彼女はまるで、夢見がちな少女のようだ。

 はしゃぐ主人を見つめて眉をよせ、話の主導権を取りもどした李薫児は、つぎのように言って話をおえた。


「王子の存在以上に、柳方士の存在が淑妃さまには必要だったのです」


 ほんの束の間、その場に静寂が満ちる。しかし、その静寂はあざけり笑いで打ち消された。笑っているのは淳皇后だ。彼女は言う。


「淑妃、あなたは皇帝陛下の妻なのよ。それは一生かわらない。皇帝陛下以外の男をそばにおくなんて、許されるわけがないでしょう!」


 言いはなった淳皇后は、玥淑妃にむけていた視線を李薫児にむけると、彼女に命じた。


「李薫児、おまえは方術を使うのをおやめ!」


 淳皇后にするどく命じられ、李薫児はびくりと肩をゆらした。しかし、彼女は手で印をくみつづける。そして、淳皇后にこいねがった。


「皇后さま。どうか、わたしを逃がしてください」


 淳皇后は李薫児をあやしんで見て「お前を? 淑妃ではなくて?」と、疑問を口にする。

 李薫児は「はい」とうなずき、語りだした。


「わたしが貴人におつかえするのは、それしか生きる道がないからです。今までは淑妃さまにおつかえし、自分の身を守ってまいりました。ですが、もはや淑妃さまのそばは、わたしにとって安全な場所ではありません。ならば、逃げるしかありません」


 淳皇后の問いかけに淡々と答えた李薫児が、今度は淳皇后に「皇后さま。曲のご令嬢を助けたいと、お思いになりませんか?」と問いかける。


「下衆が! 人質をとる気か?」


 葉香が李薫児をなじった。

 なじられたのに李薫児はくすりと笑う。彼女は「そうです」と言い、悪びれずに主張した。


「王子がひとり死ねば、たくさんの使用人が殺される世のなかです。それなのに、この下衆ひとりの命で貴人の命がひとつ助かるのですよ。安い取引ですよね?」


 李薫児の言動に、葉香は一瞬ひるんだ。しかし、気をとりなおしたらしい。彼女は「世迷言を!」と声を荒げると、着物の懐から御符を取りだす。

 葉香の手にした護符を見て、李薫児は目をほそめると「あはは」と声をあげて笑って言った。


「お若い方、王妃さまの言葉を忘れたのですか? その護符を投げるのは悪手だと思いますよ」


 葉香に忠告し、李薫児は梅芳に視線をよこすとたずねる。


「そうですよね? 呪詛やぶりの御符がはりつけば、柳方士の体が燃えあがり灰になってしまう」


 李薫児の言葉にまちがいはなかった。くやしく感じた梅芳は、ぎりっと歯ぎしりする。

 反論できずにいる梅芳を見て、気分がよくなったのかもしれない。李薫児は、つぎに武俊煕を見ると、彼にも言う。


「方士さま。あなたも、ご自身の体が燃えるのなんて見たくはありませんよね?」


 しかし武俊煕は答えず、李薫児をじっとにらみつけるだけだ。

 状況の悪さに梅芳はあせった。


 ――さすがは方術つかい。護符の効果を知っているのだな。彼女の言うとおりにして、逃がすべきだろうか? だが……


 されるがまま柳毅に首をしめあげられる曲蘭を梅芳は見る。苦しいだろうに、彼女は黙りこんで涙をながしつづけていた。

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