第八章 平穏な王妃生活にさす影

第30話 本当の目的の露呈

 俊煕しゅんきばいほうが偽夫婦になり、二カ月ほどたった。

 淳皇后から後宮への自由な出入りを許可された梅芳は、片手でたりないほどの回数、後宮をおとずれている。今日もげつ淑妃の寝宮にむかい、彼は後宮の内西路を歩いていた。


「妖怪だか、人間だか知らないが……なかなか尻尾をつかませないな」


 ため息をついて、梅芳が言う。

 すると、うんざりした口ぶりで「そうですね」とあいづちし、ようこうが返事をした。


「婚姻の儀の日に襲われて以来、一度もあらわれませんもんね」


 葉香の話のとおりだ。嫁入りして二カ月もたったが、梅芳のまえにあれから怪異はすがたをあらわさない。りゅうに関する新しい情報もとくになく、梅芳と葉香は無為な時間をすごしている。

 梅芳は「ああ」とうなずき、泣き言を口にした。


「最悪でも、あらわれたところを一網打尽にと思っていたのに……出てこないなら捕まえられない。いつまで偽の花嫁を演じていればいいんだ」


 侍女すがたの葉香も「わたしも、そろそろ山に帰りたいです」と、梅芳に同調する。

 兄妹弟子がふたりして「はあ」と暗いため息をつくなか、真逆の明るい声が話にわりこんだ。


「わたしは、このまま妻殿に王妃でいてほしいよ。妻殿とすごす時間は、思いのほか楽しいから」


 梅芳と葉香のまえを歩く武俊煕が笑いながら言う。彼は梅芳を「行動も話題も、今までにであった王妃候補たちとは、まるでちがう」と絶賛した。

 ほめられた梅芳は、閉口するばかりだ。


 ――あたりまえだ。わたしは男で、ほかの花嫁候補たちは女なのだから。ひとくくりに論じられてたまるか!


「縁起でもない。冗談は寝て言ってくれますか!」


 苦々しく思い、梅芳は歩きながら以前にも言った拒絶の言葉を口にした。

 すると武俊煕は足をとめ、体ごと梅芳をふりかえる。そして、さっと梅芳の両手をつかむと、自分の口もとに彼の両手を強引にちかづけて言う。


「冗談ではない。ほんとうに、このまま妻でいてほしいと思っている」


 ――世迷いごとを!


  武俊煕の言葉に憤慨し、梅芳はけんか腰な視線を武俊煕にむけた。ところが彼を目にした途端、なにも言えなくなってしまう。なぜなら、いつになく真剣な表情で武俊煕が梅芳を見つめていたからだ。


 ――本気、なのか?


 恋愛感情かどうかはわからない。しかし偽王妃として嫁いで以来、武俊煕は梅芳にずっと好意的だった。

 煦煦くくたる皇子殿下たる武俊煕の生活は、昼間は部下をつれての盗賊や猛獣、妖怪退治。夜は深夜まで書類仕事の毎日だ。それでも彼は、時間を見つけては梅芳といっしょに食事をとりたがり、囲碁に興じたがる。普段の様子だけでも、孝王府の家人たちは新婚夫婦の仲むつまじさをうたがわないだろう。そうであるのに、毎晩の寝床までともにしたがるのは、狂言の範疇を超えている。

 真剣に梅芳を見つめる武俊煕を見つめかえすうち、梅芳はそう感じた。ただ、すぐに否定的な考えが浮かぶ。


 ――ばかばかしい。わたしも彼も男だぞ。だが……


 ありえないと結論づけようとして、梅芳は自分自身の境遇に思いをはせる。


 ――わたしだって、男の身で兄弟子を恋しく思っている。世の常識で、他人の心を決めつけるべきではない。それに……


『あなたは若くて美しく、地位もある。たいていの願いは、叶うだろうに』


 以前に梅芳自身が武俊煕に言った言葉を思いだし、さらに考えを深めた。

 皇族の男子は、複数人の妻をめとるのが通例。そんな皇族男子のなかには男色を好む者もいて、権力にものを言わせて男を妻のごとくはべらせている例もあるにちがいない。そうであるなら、梅芳が武俊煕からの好意に感じたほどの抵抗を、愛の告白をした本人は感じていないのではないか。

 武俊煕を見つめかえしながら、梅芳は彼の気もちの大きさを推し量った。そして、思わず考えてしまう。


 ――柳師兄も孝王殿下とおなじく妻をたくさんもてる身だったなら、わたしの想いに応えてくれただろうか?


 疑問が頭に浮かんだ直後。こんな疑問の答えをさがすのは虚しいだけだと、梅芳はさとった。同時に、想い人のいる身の自分は武俊煕の申し出を受け入れられないとも考えた。よって、武俊煕に冷たい態度をとるべきだと思った梅芳は「受け入れられるわけがない。やめてください!」と声をあげて拒絶する。


「わたしには、ほかにもやることがあるのです!」


 きっぱりと梅芳に言われ、武俊煕は笑顔をひっこめた。いぶかしげに目をほそめた彼は「やること?」と繰り言を口にし、梅芳を見つめる。自分の口もとに梅芳の手をよせたまま、武俊煕は彼に質問した。


「もしかして、わたしの妻を演じているのも、その『やること』が理由だろうか?」


「!」


 ――しまった。言わなくてもいい話を……


 妻でいてほしいなどと言われ、動揺したせいだ。今さらながら、墓穴をほったと自覚した梅芳は視線をさまよわせる。

 梅芳の背後にひかえる葉香も、兄弟子とおなじく気まずそうにたじろいだ。

 立ちつくして答えあぐねる梅芳を見つめ、武俊煕は「やはり、そうか」と口にすると梅芳の答えを待たずに話しだす。


「姪の危機とはいえ、偽の花嫁になってまで怪異の鎮伏ちんぷくにやって来るなんて、おかしいと感じていたんだ。しかも偽花嫁は男性で、妹弟子までつれているなんて物々しすぎる」


 ばつの悪さが極まり、梅芳と葉香は顔を見あわせた。

 武俊煕は梅芳を離さず、さらに質問をかさねる。


「いったい、妻殿たちはなにを調べているんだ?」


 梅芳と葉香は、まだ答えあぐねていた。

 すると、梅芳たちを安心させたいのだろう。武俊煕は「なにを聞いても、とがめたりしない。力になりたいだけだ」と、おだやかな口ぶりで言葉をつけたす。

 梅芳はじっと武俊煕を見つめ、どうしたものかと考えをめぐらせた。

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