第28話 燃える香木のゆくえ
玥淑妃の視線のさきを目で追った曲蘭は、ぱっと頬を赤らめると「お従兄さま。いらしてたのね」と口にした。結婚をねがった相手が目のまえにいるからだろう。そっと従兄から視線をはずし、彼女はうつむく。
武俊煕は返事をせず、わずかに眉をよせた。
すると梅芳の背後にひかえていた
「孝王殿下がいると知っていて、わざと騒いでるんですよ」
妹弟子の言いぶんをありえなくもないと感じたが、梅芳は黙ってなりゆきを見守った。
玥淑妃は「小蘭」と呼びかけ、すがりつく曲蘭の肩に手をかけると、さとす。
「武俊煕との婚姻を許さないのは、あなたのお父さまよ。この伯母を、困らせないで」
玥淑妃が首をふるのを見て、曲蘭は「そんな」と非難がましい声をあげた。彼女は武俊煕に助けをもとめて言う。
「お従兄さま。子どものころ、妻にしてくれると約束しましたよね?」
ますます眉をよせた武俊煕が従妹に答えた。
「小蘭も知ってるだろう? わたしは子供のころの記憶を失くしていて、約束をおぼえてないんだ。それに」
いったん言葉をきり、梅芳をふりかえった武俊煕がさらに言う。
「わたしは王妃をむかえたばかり。妻はひとりで十分だ」
言いきった武俊煕がやさしく梅芳にほほ笑みかける。
関わりあいになりたくない梅芳は視線はそらせなかったが、思わず真顔で身をひいた。
梅芳と見つめあう武俊煕を見て、厳しい顔つきになった曲蘭は「いやよ!」と声をあげた。そして、梅芳をゆびさして主張する。
「その女は王妃にふさわしくない! 身分は低いし、木のぼりする令嬢なんてありえないわ!」
曲蘭の話を聞いた直後。玥淑妃は「木のぼり?」と驚いた。しかし、すぐに梅芳が男と思いだしたのだろう。彼女は納得顔で「なるほど。木のぼりね」と口にし、梅芳を見た。
気まずく感じた梅芳は「ほほ」と作り笑いをし、言う。
「なんの話でしょう。曲のご令嬢の見まちがいでは?」
梅芳が笑ってごまかすのを見て、曲蘭は顔をまっ赤にした。感情をあらわにし、彼女は怒鳴る。
「この大うそつき!」
言うやいなや、玥淑妃のわき机のうえの香炉を曲蘭がつかんだ。おなじ机におかれた果物の皿がゆれたが彼女にかまう様子はない。煙をあげる香炉を、曲蘭は梅芳めがけて投げつけた。
従妹がここまでするとは思わなかったのだろう。椅子に座っている武俊煕はとめにはいりそびれる。
しかし、問題はなかった。頭めがけてとぶ香炉を、武術もよくする梅芳は座ったまま軽々とさける。もちろん、彼女の背後にいた侍女すがたの妹弟子も自然な動作でさけた。
梅芳たちが香炉をさけたのとほぼ同時に、彼らの背後でガチャンと大きな音がする。香炉が柱にぶつかり、灰と火のついた香木が香炉からとびだした。とびだした香木がむかっていくさきは、なんと香炉を投げた張本人、曲蘭だ。
「ひッ!」
小さく悲鳴をあげ、曲蘭は目を見ひらくばかりでうごけない。しかも、燃える香木がむかうのは彼女の顔面だった。
――いけない!
香木のむかうさきに気づき、梅芳が低い姿勢のまま椅子からはなれた。
兄弟子が曲蘭のほうへとびだすのを見て、葉香が「あぶない!」と短く叫ぶ。
とびだした梅芳だったが、曲蘭を体ごと移動させるほどの余裕はなかった。しかたなく、彼は手の甲で燃える香木をはらいのける。
「つ!」
熱さで、くぐもった声をあげた梅芳は一瞬、表情をゆがめた。
梅芳がはらいのけた香木は、床をはねころがる。
「妻殿!」
「王妃さま!」
武俊煕と葉香が血相をかえて梅芳にかけよる。武俊煕が彼の手をとり、強引に彼の手の甲を見た。
梅芳の手の甲の一部が赤くはれている。
「冷やさないと!」
叫んで言って、武俊煕があせった様子であたりを見まわした。
「お水と薬をお持ちします!」
慌てて言って、侍女が大急ぎで部屋から駆けでた。
でていく侍女を見る梅芳の目に、曲蘭がうつる。彼女はまっ青になって座りこみ、梅芳を見つめるばかりだ。
客間は今や大混乱だった。冷静なのは、梅芳だけだろう。
――なんだか問題が大きくなりそうだな。厄介ごとはさけたいのに……
嫁姑問題に関わるのを嫌い、姑に自分が偽の王妃と暴露した梅芳だ。もちろん恋愛問題にも関わりたくないし、ねたみや恨みの的になる気もない。
しかたなく梅芳は、へらりと笑って言った。
「こんなの平気ですよ」
しかし、武俊煕はあたりを見まわすのをやめない。そのうちに、彼は香炉がもともとおかれていた机に手をのばす。そこには果物をもった皿があった。皿から
つるつるした蜜柑の皮が手の甲へふれ、梅芳はひんやりとした感触をあじわう。
「水の用意ができるまで、これで冷やしておきなさい」
武俊煕の言動に既視感をおぼえた梅芳は、どきりとして彼を見た。
梅芳の視線に気づき、武俊煕も彼を見かえす。
『冷えれば、なんでもいいじゃないか』
すももをもって笑う柳毅の顔に武俊煕がだぶって見え、梅芳は思わず目を大きく見ひらく。同時に、懐かしさと寂しさがこみあげ、彼の目がしらはじわりと熱くなった。
「痛むのか?」
梅芳の変化に気づいたのだろう。不安げに眉をよせた武俊煕が、彼の顔をのぞきこんでたずねる。
間近で見れば、梅芳が涙目になっていると武俊煕が気づくかもしれない。あやぶんだ梅芳はうつむくと「だいじょうぶ。だから、はなしてください」と、武俊煕の手をふりはらおうとする。
しかし、武俊煕は梅芳をはなさず、むしろ彼をひきよせると耳うちした。
「母上は真実を知ってしまったが、曲蘭もいる。もっと令嬢らしくふるまってくれ」
もちろんだが玥淑妃が知ったのは、梅芳が偽物の花嫁で、しかも男である件だ。
武俊煕から釘を刺され、梅芳は彼をふりはらうのをやめる。
そのうちに、侍女たちが水のはいった手桶と塗り薬、包帯を手に客間に駆けこんできた。
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