第四章 嫁入り支度と怪異の夜
第11話 ひさびさの貴族社会
庭をよこぎる渡り廊下を、めかしこんだ
艶やかな梅芳の黒髪には、うす桃色のサンゴをあしらった金のかんざしが輝いている。彼の着る薄緑色の女物の着物には綻びひとつなく、施された金糸の刺繍は繊細でありつつも豪華だ。おしろいに口紅など念入りに化粧もしていて、知人でもなければ彼を男とは気づかないだろう。
姪の身代わりで偽物の花嫁になると決めた梅芳は、十数年ぶりに実家のある大倫国の都に帰ってきていた。彼は今、孝王の使者に会うために梅家の屋敷の渡り廊下を、応接室にむかって歩いている。
廊下のわきには小さな池があり、蓮の芽がいくつも見えた。初夏にはきっと、うつくしい桃色の花が咲くだろう。
歩みをすすめる梅芳は、下働きをちらちらと観察する。
下働きたちは比較的若く、男も女もいた。彼らは全員、頬をほんのりと赤く染めて令嬢すがたの梅芳に見とれている。
注目される状況を利用して、梅芳は家人の顔をひとりひとり見て歩いた。しかし、長くはなれていた実家に、知った顔は見あたらない。
「
梅芳の背にむかい、侍女がひそひそと話しかけた。
侍女の呼びかけに、むすっとした梅芳がふりむく。彼の目に、うっとりと梅芳を見あげる侍女がうつった。侍女はまだ少女と言っても差し支えない見た目の美人だ。梅芳の視線に気づいた彼女は、にこりと満面の笑みを彼にむける。
侍女のほめ言葉が気にいらなかったらしい。怒りと恥ずかしさがいり交じった表情で、梅芳はほほ笑む侍女をにらんで言った。
「
梅芳の言葉どおりで、この侍女は
葉香は「そんな。誤解ですよ」と兄弟子の言葉を否定しつつ、ころころと笑う。
主が怒っているのに笑うのをやめない侍女を目にし、遠まきに梅芳たちを盗み見る梅家の下働きたちが驚きでざわついた。
悪めだちしていると気づいた葉香は笑顔をひっこめると、小さな声で兄弟子にささやく。
「面白がるなんて、人聞きが悪い。思ったままを口にしただけです」
葉香が言いわけした直後だ。渡り廊下を風がふきぬけた。すると、梅芳の髪や着物の長い袖がふわりと優雅に風にゆれる。その光景はまるで人気絵師が描いた一服の美人画のようで、どこから見ても今の梅芳は良家のうつくしい令嬢だった。
妹弟子の言い訳を聞いても、梅芳は納得しきれない。なおも言いたてようと、彼は口をひらきかける。
そのときだ。
たのしげな笑い声が唐突に耳にはいり、梅芳はそちらに思わず注意をむけた。
葉香も気づき、兄弟子の視線のさきを追う。
梅芳の視線のさきには、屋敷の庭で話しこむ若い男女のすがたがあった。男も女も品がよく、うるわしい見た目をしている。葉香は何気ない調子で「あの女性」と口にすると、梅芳を見て言った。
「梅師兄によく似ていますね」
妹弟子の見解に、梅芳はうなずいて応じる。
「姪の
姪のすがたを見るうち目的を思いだした梅芳は、視線を応接室の方向へむけた。それから彼は後ろ手を組み、あらためて渡り廊下を歩きだす。彼の歩くすがたは颯爽としていて美しいが、令嬢らしさに欠けていた。
違和感に気づいた葉香は慌てて兄弟子のあとにつづき、小さいが厳しい声で注意する。
「梅師兄。もっと女性らしく歩いてください!」
◆
梅芳と葉香が応接室にはいると、部屋の中央に中年の女性がたっていた。彼女は梅芳を見るなり、うやうやしく頭をさげる。
「孝王府で侍女長をしております。
李桑児が頭をさげるなか。葉香に叱られたばかりの梅芳は、品よく見えるよう心がけながら応接室奥の椅子に腰かけた。そして、手に隠し持っていた小さな丸薬を口にふくむ。
葉香は、兄弟子の腰かける椅子の背後にひかえた。
「よろしく、李侍女長。顔をあげて」
李桑児に話しかける梅芳の声は高く、かわいらしい。
梅芳の声が変わったのは、今しがた彼が口にふくんだ丸薬のおかげだ。この丸薬は左隠君特製の薬で、口に薬をふくんでいる間だけ声色を変えてくれる。
さげていた頭をあげる李桑児に、梅芳は「わたしは梅芳」と自己紹介した。
梅芳が本名を名乗ったのは、大倫国民の名前には基本的に男女の使い分けはないからだ。男らしい名前、女らしい名前は、もちろんある。ただ『芳』の字をもつ者は男にも女にも多かった。偽名を考えようとも思ったが、言いなれない名前は呼びまちがいの危険もあったのでやめたのだ。
ついで、梅芳は自分の背後の葉香を「彼女はわたしの侍女の葉香よ」と紹介する。
すると、兄弟子の言葉にあわせて葉香がうやうやしく頭をさげた。
李桑児も葉香に軽くあいさつをかえす。そして、梅芳にむきなおると「なんて、お美しいお嬢さまでしょう。お嬢さまが輿入れくだされば、孝王府もはなやぎますわ」とほほ笑んで愛想を言った。しかし、すぐに緊張した顔つきになると、彼女は「その」と言い、おそるおそる梅芳に質問する。
「孝王府のうわさはご存じですよね。ご不安ではないですか?」
李桑児の話しぶりから、彼女は梅芳をか弱い令嬢と疑いもしていないとわかった。
――李侍女長は、わたしが怖がって破談にしないかと様子をさぐりにきたのだな。
嫁とりの失敗回数がふえれば、それだけ孝王の評判はさがる。侍女長が主人の面目をつぶす事態をさけたいと考えるのは、当然だと梅芳は感じた。
――はかなげな令嬢をよそおうつもりだったが、怪異を恐れない豪胆さを見せるべきかもしれない。
考えをあらためた梅芳は、にこりと余裕の笑みをうかべて李桑児に返事する。
「妖怪のうわさは知っているわ。でも、不安はないですよ」
きっぱりと答えた梅芳は、さらにつづけた。
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