前のエピソード――第７話　秘境には不似合いな珍客

　梅芳の問いかけに「そう」と神妙にうなずいて、梅靖は生まじめな表情をぱっと笑顔にかえて言う。

「しかも、側室じゃなくて正妻だよ！」

　弟は、うれしそうに待遇の情報をつけくわえた。

　自分に笑いかける弟にあわれみの目をむけ、梅（ばい）芳（ほう）は心の底から心配してたずねる。

「小靖（シャオヂィン）。おまえ、頭はだいじょうぶか？　夢でもみてるんじゃないか？」

「問題ないと、自分では思ってる」

　梅（ばい）靖（せい）は真顔で兄に返事した。

　問題ないと聞いても、梅芳は眉をよせるのをやめない。彼は「いいや、小靖」と首をふると、弟に丁寧に語りかけた。

「どう考えても問題しかない。一度、医者に診てもらったほうがいい」

　重々しくもきっぱりと言って、梅芳は「そうでしょう？　師父」と左隠君（さいんくん）に同意をもとめる。

　長い眉毛のせいで表情はとぼしいが、左隠君もふかくうなずいた。

　ふたりは、だまって梅靖を見つめる。

　兄たちの視線から猜疑心とあわれみを感じとったのだろう。慌てた梅靖は声高に「どこも、おかしくないよ！」と否定して、さらに叫んだ。

「ぜんぶ娘の縁談のためなんだ！」

　梅芳は『娘』と聞いて目をまるくすると、思わず梅靖にたずねかえした。

「娘って、小奚（シャオシー）か？」

　弟のひとり娘であり、姪でもある梅（ばい）奚（けい）の名を、梅芳は口にする。

　――しばらく会っていないけれど、たしか今年で十七歳だったはず。

　梅芳が姪のすがたを思いおこしていると、梅靖が肩を落として「そうだよ」と、うなずいた。

　梅奚でまちがいないと知った梅芳は当惑し、思いついたさきから疑問をならべたてる。

「わたしを皇族に嫁がせる話が、小奚の縁談に関係するのか？　もしかして、小奚の縁談相手が皇族？　小奚には、むこ養子をとるんだろう？　考えがかわって、娘を出世の道具にする気になったのか？」

　梅靖の話の意図がつかめず、混乱した梅芳は非難めいた質問ばかりしてしまう。

　すると、責められた梅靖は涙目になり「小奚を手もとにおいておきたいって、今でも思ってるよ！」と声をあげ、いきおいそのままに話をつづけた。

「でも、皇帝陛下がくださったご縁なんだ。ことわれないよ」

　大倫国の文官である梅靖は、都にいる皇帝への敬意だろう。言いながら、拱手する手を正面からずらし、右上にかかげて礼をつくす。

　弟の今までの言動を考えあわせた梅芳は、ようやく状況がわかってくる。

　――皇帝陛下がくださる縁談は、命令もおなじ。ことわれば、不敬罪で首がとびかねない。

　梅芳は弟の話の大部分に納得した。しかし、まだ疑問は解消しきっていない。彼は「そうだとしても、わたしを小奚のかわりに嫁がせるなんて、ばかも休み休み言え！　わたしは、男だ！」と、弟を感情的に怒鳴った。大声をだしたおかげで冷静さをとり戻したらしい。とつぜん理論的な思考が可能になった梅芳は、弟に質問した。

「どうして、小奚を嫁がせない？　ひとり娘を手ばなしたくない気もちはわかる。だが、娘が皇族の仲間入りをするんだ。こんなにいい縁談はないじゃないか」

　そうなのだ。朝廷の高位文官ではあるが、梅家はそのなかでは最底辺。皇族との婚姻はかなりの玉の輿だ。娘の品格をあげる名目で父親である梅靖の官位もあがり、出世するのはまちがいない。ひとり娘を嫁にだすのは寂しいだろうが、家族同然の親戚から養子をもらえば家名ものこる。もちろん梅靖も、この婚姻は梅家にとって利が多いとわかっているはずだ。

　兄の疑問の言葉に、梅靖はため息をつくと「そうでもないんだ」と応じる。それから彼は「じつはね」とつづけ、ひとり娘を嫁にだしたくない理由を話しだした。

　梅家の娘を正妻にむかえたがっている皇族の嫁とりは、梅家の娘で四人目だ。

　皇族の男子ともなると、正妻のほかに複数人の側室をめとるのはあたり前。縁談相手が四人いるのは、なんら不自然でない。しかし、さきに花嫁候補になった三人の令嬢より身分の低い梅家の娘を正妻にのぞむのはおかしい。

　なぜ、身分の低い梅家の娘が正妻になれるのか。その理由は、花嫁候補たちが嫁ぐ直前につぎつぎに寝ついてしまい、彼女たちとの縁組自体が破談になってしまったからだ。

「その皇族の花嫁候補は全員、原因不明の奇病にかかる。しかも、奇病は妖怪のしわざだと、貴族のあいだでうわさになってね。嫁のなり手がなかなか見つからないみたいなんだ。それで身にあまる縁談が、わが家にもちこまれたんだよ」

　梅靖は、状況を一気に語る。それから「皇族と親類関係になれるなんて、すごい機会だって、わたしも思うよ。だけど……」と、深刻な表情で言葉をにごした。

　つづきを口にできない弟にかわり、梅芳が話のつづきを引きついだ。

「その皇族に嫁ごうとすると、奇病だか妖怪だかのせいで寝こむ羽目になるのか」

　梅靖は「そうなんだ」と兄にあいづちし、叫ぶ。

「良縁だとしても、かわいい娘が妖怪に襲われるなんて、たえられないよ！」

　寝こむ娘を想像したのだろう。青ざめた梅靖は、あらためて兄を見つめて言う。

「だから兄上、小奚のかわりに嫁いでよ！」

　――いや、いや、いや。いくら娘の身を案じているとしても、血迷っているとしか思えない。

「どうして、そうなるんだ？　さっきも言ったが、わたしは男だ。しかも、四十もちかい年齢で、どう考えても花嫁候補になりえないだろうが！」

　柳毅が行方不明になったとき、梅芳は二十三歳だった。あれから十五年がたち、今の彼は三十八歳。とうの昔に大倫国における結婚適齢期はすぎていて、だれかと婚姻を結ぶなど考えもしていなかった。くわえて、男であるのに花嫁になれなど論外すぎる。

　しかし、梅靖は兄の性別も年齢も気にならないらしい。彼は「そんなの問題にならないよ」と胸をはると、兄に応えて話しだした。

「兄上の見た目は十代でもつうじる。だれもわたしと年齢がちかいだなんて疑わない。それに、見た目の美しさは女の小奚にも負けない。女性にしては背が高いけど、高身長は歓迎されるはずだ。病気療養で遠方の親戚にあずけていた娘が元気になって帰ってきたと言って、梅家の長女で押しとおせばいいんだよ。幸い、皇帝陛下は『梅家の娘を嫁がせよ』とおっしゃっただけだから」

　計画に相当の自信があるらしい。言ってのけた梅靖は、悠然と腕ぐみすると「ふふ」と余裕の笑みをみせた。