第45話 家族

 時夫はカズオに抱き締められたままスティアの亡骸の上に背中から倒れる。

 

 背中にある死骸の感触が妙に生々しく、気持ち悪い。

 背中の遺骸は早くも黒い液体を体のあちこちから出し始めている。

 なのに、カズオの肩越しに魔法の光に照らされて見えるのは金色の瞳の少女。

 魔法の光の中でミルクティーの長い髪が美しくサラサラと流れるのが見えた。

 その可憐な唇が嘲るように三日月型の笑みを浮かべた。


「何故だ!?そこで……確かに死んで……まさか、まさか二人いたのか!?」


 時夫はカズオを腕に守るよつに抱き締めながら杖をかざし、ニヤニヤと嗤う少女を睨みつける。

 ユスティアは戦闘中瞬間移動していたのでは無い。

 一人が隠れて、もう一人が他の場所から飛び出ていただけだ。


「そう!あたしは贖罪の天使ラスティア!

 姉のユスティアとは双子だったけど、今は一人っ子だね。

 そんでもって、復讐の天使はちゃあんと死にそうだね。

 それなら今日のお仕事はおーしまい!

 聖女って可愛い女の子がやると思ってだけど違うんだね……。

 本当は聖女サマの方殺したかったけど、復讐を殺せたから及第点って感じカナ?

 じゃあ、あたしは帰るね!また会おうね、聖女サマ」


 ラスティアはニッコリ笑って長い髪を翻し走りだす。

 姉妹が死んだ事には微塵も興味なさそうに、仕事の完遂を喜び去っていく。

 なんなら、姉を囮にするために姉が殺されるのを陰から見ていたのだ。


「おい!待て!」


 時夫は立ち上がりかける。


「トキオ!今はカズオを……」


 ルミィが止めた。

 カズオの背中はザックリと深く斬られたようで、黒い血がしどどに流れている。


「爺さん!大丈夫か?今から病院に……」


 時夫は必死にカズオに呼びかける。

 最寄りの病院は瘴気病患者でいっぱいだ。でも、これ程の怪我だ。何とか頼み込めば……。時夫はカズオを抱え直す。

 

 いつの間にかカズオの変身の魔法も解けて、周囲の猫達もどこかへ去ってしまった。

 カズオはもう魔法が勝手に解けていく程に弱っている。

 掠れた声で、疲れ切った声で時夫を止める。

 

「ダメだ……俺はもうとっくに人間じゃ無い。

 この血の色を見ろ。どこの病院が受け入れるんだ?

 俺を……受け入れる先があるか?」


 魔法の温かな光の中で、カズオの手のひらにベッタリと付いた血は黒く粘着質で不気味に光を反射している。


「私が神聖魔法で!」


 ルミィが杖を構える。


「やめてくれ……邪教徒である俺には毒だ。

 ……もう良い。死なせてくれ」


 カズオの顔には諦めがあった。その金色の瞳は、この世界を見ていなかった。

 何を見ているのか、時夫にはわかった。

 カズオの心はずっと日本にあったんだ。半世紀の年月を経ても尚、カズオは家族と共にあった。

 

 時夫はもう三十路のいい大人だった。だから、覆し難い現実がある事も理解していた。

 そして、その現実の前に喚き散らす行為は無駄どころか、害悪になる事も知っていた。

 だから、カズオを助けられないのなら、せめてカズオの遺志を聞くことが今の自分の役割だ。


 「なあ、爺さんフルネーム漢字で教えてくれよ。家族のも。

 もしも日本に戻ることになったら爺さんの家族に……その、心配してたって伝えてやる。

 あと、どこ住んでた?」


 カズオは億劫そうに答える。


「住んでたのは……」


 北関東の県だ。時夫にとっても親しみのある場所。


「俺の婆ちゃんもそこ住んでて、たまに俺も遊びに行ってたところだ。

 名前は?」


「山元数夫。山……普通の……山に元気の元、数字に夫だ。妻は……ミチコ、美しい英智の子供、ユリコは百に合うに子供……だ」


 カズオの言葉に時夫は絶句した。


「どうしたんですか?トキオ」


 二人の様子を静かに見守っていたルミィが近寄ってきた。しかし、時夫はルミィを構ってる場合じゃなかった。


「え……それ、山元百合子って、俺のお袋の旧姓だよ!それに田舎の婆ちゃんの名前!美智子だ!

 俺の爺ちゃん昔、行方不明になったって!」


「え!?まさか!?」


 時夫の言葉にルミィが目を丸くして口を押さえて驚いている。

 カズオも時夫の目を見て固まっている。


「敏夫爺ちゃん!爺さんの弟は敏夫って名前じゃ無いか?」


 時夫は数少ない親戚の名前を出す。


「そ……そうだ。敏夫……敏夫は俺の弟だ」


 カズオは口元を戦慄かせて、肯定する言葉を何とか口にする。

 時夫は半分泣き掛けていた。


「やっぱりだ!俺……俺が孫だ!孫だよ!」


 カズオは時夫の、孫の頬に触れようと震える手を近づけた。

 しかし、その手が血で黒く汚れている事に気がついて、そのまま下ろそうとする。

 時夫はその手を握りしめる。


「美智子は……」


「婆ちゃんも元気!お袋も元気だよ!婆ちゃん爺ちゃんの若い頃の写真ずっと持ってるよ!

 一緒に日本に帰ろうよ!皆んな待ってるよ!


「……敏夫は大学受かったか?」


「うん!敏夫おじちゃんは俺の自慢のおじちゃんだよ!ちゃんとすっげえ良い大学卒業してめちゃくちゃ有名な大企業勤めて、退職して今は悠々自適だよ!

 そうだ!携帯ずっと電源つけないで取っておいたんだ。待っててくれ……」


 空間収納からいつか何かで使えるかもしれないと、電源を切って取っておいた携帯電話を取り出す。

 電源が入って起動するまでの時間がもどかしい。

 写真のデータはそこまでたくさん無い。

 しかし、母親がたまに送ってきていた写真の中には、幸い祖母と並んだ記念写真が何枚かあった。

 

「これ、携帯見て!写真!お袋の!爺ちゃんの娘だ!おばさんになっちゃってるけど、俺のお袋!ほら、ばあちゃんはこっち」


「携帯?なんだ?小さな機械か……?これが……百合子?ああ……美智子に似てる。美智子は……歳とったな。

 でも……ああ、美智子……笑ってる。笑ってる。笑ってるよ。幸せそうに。良かった。良かった……なあ」


 カズオの顔に皺がたくさん寄った。カズオは嬉しそうに、幸せそうに笑う。

 写真の中の妻とそっくりな笑い方だった。

 そして、カズオは孫の目を見つめる。


「時夫……家に……帰るんだ。

 百合子が……お前の母さんはお前を待っている」


 カズオは祈りを捧げるように、苦しげな息の中で言葉にする。


「ああ……そうだね」


 時夫はなるべく優しい声で答える。


「きっと、帰るんだ……あの子が……父親だけじゃなく……息子まで別の世界にとられたなんて……」


「大丈夫だよ。大丈夫」


 安心させるように時夫は言う。


「頼む……頼むぞ……ああ、百合子は良い息子を持った。百合子は……幸せなんだな?そう……なんだろ?」


「お袋ほど幸せな人はいないよ。親父とも仲良くやってる。……父親の……爺さんの写真、ちっさく写ってるやつ昔見せてもらった事あるよ。

 お袋の宝物だよ」


「そうか……俺の写真……そうか……」


 カズオは、ふふ……と笑った。

 幸せそうな顔の中でカズオの金色の瞳がゆっくりと光を失っていく。

 握っている時夫の手の中から、力を失ったカズオの手が滑り落ちそうになる。

 透明な涙が溢れ、顔に刻まれた皺に沿って伝っていく。

 既に見えない瞳で孫を捉えながら、ふと思い出した様に最期の言葉を囁いた。

 

 「ああ……そうだ……時夫、串焼き肉……ありが、とう、美味か……た……」


 瞼が落ちた。力が抜けて体が弛緩する。

 時夫は無言で祖父の胸に顔をうずめた。

 家族を想い続けた祖父の半生を想った。その孤独を想った。


 カズオが少しずつ黒い液体に変わる。永遠に閉ざされた瞼から黒い水が止めどなく溢れ出し、透明な雫がすぐに濁る。


 時夫は羽織っていたマントを祖父の亡骸に掛けてやった。

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