ちょっとだけ変わった日常
『申し訳ありませんが、今日は所要でお休みを頂きます😿』
と、朝一に美鈴から送られてきたメッセージ。
体調不良ってわけじゃないんだろう。たぶん家の用事で、そういった理由で学校を休むことは、これまでにもあったことだ。
そういう時は大抵、口を開くことのない一日になる。
でも普段あれだけ振り回されて、喋り散らかされてんだ。
たまの平和な一日だって言い聞かせて、やけに時間がスローに思える学校を過ごすことがこれまでだったんだが――
「おはよう、宮下さん」
予鈴ギリギリに席に着くやいなや、一つ前の空席の左隣。要するに藤木が話しかけて来る。
欠伸を噛み殺していたのか、目元にうっすらと涙が浮かんでいた。
「なんか眠そうだな?」
「ああコイツ、なんか最近朝にバイト入れてるみたいでさ?」
と、話に割って入ったのは阪井だ。
あたしが席に着く前から藤木の近くにいたから、正確に言うと割って入ったのはあたしの方だろう。
「え、お前まさか平日にも入れてんの?」
「宮下さんも知ってたんだ?」
「まぁ、その……成り行きでな」
意外そうに目を丸くする阪井に、あたしは適当に言葉を濁す。
ないとは思うけど、変な誤解とかされたらアレだし。
「しかも聞いてくれよ宮下さん? コイツ、よりにもよって俺に『女の子が喜ぶもの』とか聞いてくんだよ? ははっ、男の俺に聞くことかっての」
「そ、それは阪井君が普段、相生さんに渡してるものを参考にしようとして」
「鈴子とお前の狙ってる女の趣味が一緒なわけねぇだろ。アクセサリーや香水よりも、硯とか貰って喜ぶ女だぞアレは」
「だから狙ってるとか、そういう人じゃないって」
中々珍しい照れる藤木に、からかう阪井。
あと相生って名前は一年の時に聞き覚えがあった。いまいち何考えてんのか分かんない感じの、おかっぱ頭な女子がいたことを思い出す。
……なんだかちょっと意外な組み合わせだなって、思わないでもない。
「っと、そろそろ戻るか。じゃあな藤木、宮下さん」
やがて予鈴が鳴って、阪井は自分の席(五列向こうの入口側だ)へと戻っていく。
別にサシで話すことはないし、
「芽衣の為だからね?」
「知ってるっての」
あらためて念押しする藤木に、あたしは軽く手を振って答える。
そんな朝のこと。
それから
「じゃあ教科書の五十六ページを開いて」
三限目に日本史の黒沢が言う。
他のクラスメイトがパラパラと捲る中で、あたしは空手のままだった。
シンプルに教科書を忘れた。普段勉強とか適当にしてるってのもあるけど、よりにもよって美鈴がいない時にやらかすとは。
「なんだ宮下? 教科書を忘れたのか?」
そして目ざとくも開始五分以内に見つかった。
あたしは薄めの週刊誌(暇つぶし用に持ってきた)を閉じ、両手を開いて降参する。
「忘れました」
「なら他のやつに見せて貰え」
「…………」
「おい、席を移動してもいいから、誰か宮下に見せてやれ」
これだから黒沢の授業で見つかるのは嫌なんだ。
この男は四角四面っつーか、空気が読めないってか。声は荒げずとも、いとも容易くえげつない言葉を吐きやがる。
おら見てみろや。ほぼ全員目ぇ逸らしてんだろが?
あたしの周りからの評価知ってんのかコラ? 昔っから『好きな二人と組んで』がトラウマなんだぞコラ?
「わ、私が見せます」
が、そこでおずおずと、左隣から声が上がった。
白川が控えめに手を上げている。
「よ、よろしくね?」
「…………」
それから机を動かした白川が、あたしのとくっつける。
「…………悪い」
「ううん。大したことじゃないから」
無愛想に詫びを入れるあたし(我ながらちゃんとやれって思う)に、白川は控えめに笑い返す。
そんな授業中のこと。
寝て過ごすわけにもいかず、たまには真面目に文字を追った一時。
「あっ、ちょ!?」
「それは駄目だってレイコ!!」
「ふふーんだ! 速いもん勝ちやかんねー!!」
なんやかんかあって昼休み。
教科書を借りたこともあって、お詫びに何か奢ろうとしたところ、『だったらちょっと付き合ってくれるかな?』って呼び出されたのが、この空き教室だった。
白川と村田。それと遠足の時にはいなかった峰原。
各々が惣菜パンを片手にスマホを手に取り、レーシングゲームに勤しんでいた。
「って宮下さん速っ!?」
「も、もうあんなところまで」
「うぐぐ、アカリとセリカの話は伊達やないっての!?」
そしてそんな連中と一緒にゴーカートを走らせて、トップを独走しているあたし。
……や。何に付き合わされてんのあたし?
「あーっ! 負けたーっ!! ほんま宮下さんってゲームが上手いんやなー!!」
と、峰原が悔しそうに天井を仰ぐ。
いや上手いっていうか、それくらいしかやることがなかったってか……ってそうじゃなくて。
「あ、紹介が遅れたわな。うちは峰原レイコ。レイちゃんでもレイレイでも、好きな風に呼んでくれていいから」
なんて得意げな顔で、うりうりとアタシの肩を突きながら峰原が言う。
同じクラスでもまったく話したことがなかったけど、意外と馴れ馴れしい感じっつーか……そもそもこんなキャラだったっけ?
「良く言うよ。私達の中でも一番宮下さんにビビってたクセして」
「う、うん。レイコちゃんってば『目え合わせたらあかん! うちには分かる! アレは人殺しの目やさかい、殺されてまう!!』とか言って、すっごく怖がってたよね?」
「ちょ、その話はもう!!」
すかさず村田と白川が苦笑交じりに言って、峰原がわたわたと慌てふためく。
あぁなるほど……道理で印象に残らなかったのか。
「てか殺されるって」
「ひぃっ!? そうまで思てへんから!! ちょ、ちょっと大げさに言うてもうただけやし!!」
「や、別に怒ってねえけど……その」
「その?」
あたしはあらためて気になってしまった。
目つきとか悪名とかは今更のことながら、どんな風に言われてたんだろうって。
「ほ、ほら? 実際の宮下さんは優しいし、そんなに怯えなくてもいいからね?」
と、隅っこの机の下に潜り込もうとする峰原を白川が引き留める。
どんなビビリ方だ。そうまでされたことは数えるくらいしかねーぞ?
「そうそう。噂みたいに宮下さんは、気にくわない奴をとっ捕まえて、顔の皮があらかた剥がれるまでボコボコになんてしないから」
っておいコラ。
そんなこと一度もしたことねえぞ村田?
「うんうん! 人の骨が折れる音が三度のご飯よりも好きで、家でも録音したのを聞きながらバーボンを飲んでるってのも絶対に嘘だし!!」
誰がするかそんなもん。
っつーか酒も煙草もやったことねえんだからな、白川よお?
「いやワンチャンあるかもしれへんやん!! い、家に吊るして観賞用にしてるっていう、両手両足をもがれたオブジェになるやなんて、うちは! うちは!!」
何処の世紀末モヒカンだあたしは。
あんまりふざけた戯言ばっか抜かしてっと、マジでシメんぞ峰原ァ?
「ったく……」
などなど、そんな騒がしい昼休みのこと。
美鈴がいなくとも口数の多くなった一日。
あっという間に時間が過ぎて、落ち着く暇もなく――それでも悪い気はしなかった。
――ヴヴ、ヴヴ。
やがてそんな一日の終わり。
放課後もあいつらの気が済むまで遊んで、解散した後にあたしのスマホが震えた。
エキサイトしちまった余韻と、夏を目前に控えた夕焼け。間違っても涼しくなんてないのに、妙な清涼感を感じながら、あたしは受信したメッセージを表示する。
『緊急事態ですわ』
そしてすぐさま、さっきまでの心地良さは四散した。
何事もなく終わる筈の一日が、最後の最後でどんでん返しだ。
あたしは溜息を吐きつつ、家路に向かおうとした足を翻し、来た道を引き返すこととなった。
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