第2話 ニートの定義とオカンの憂鬱

 海部根万葉あまね かずはは目的地に向かう為に電車に乗った。

 乗車区間は二駅だけ。いつもなら走って向かう距離だが、今日は出がけにいろいろあって出遅れた。

 午前10時の車内は比較的空いている。それでも二人掛けの座席で二席とも空いている椅子は見当たらない。万葉は目的地に着くまでに酒が飲みたいのだ。乗車前に駅の売店で慌てて買ったコップ酒。席に着かず立ったまま飲むのはさすがに目立ち過ぎる。

 万葉は座席を見渡して静かに酒が飲めそうな席に着いた。それが舘倉美衣の隣の席だったのだ。

 万葉の目に映る美衣は、おせっかいなタイプではなさそうな小柄な中年女性。しかも窓にもたれて眠っている。上手くいけばそのまま眠っていてくれるだろうし、仮に目覚めても話しかけてくるような事はないだろうと思えた。以前に、似たようなシチュエーションで老婦人に説教されてからは隣人のタイプを見極めて着席するようにしていた。


「それにしても……」

 酒を飲みながら万葉は出がけに息子、和馬かずまと交わした会話を思い出していた。それが出遅れた原因でもある。

「おかん、オレ、今日から忍者になる」

 今朝、突然、息子がそう宣言したのである。

 子供の言うことだからと笑って済ませる訳にはいかない。子供には違いないが三十半ばの一人息子が台所でカブラ漬をつまみ食いしながら言ったのだ。

「はあっ?!」

 咄嗟に責めるような声で聞き返してしまった。

 和馬は失業して一年。失業といってもバイトしかしたことがないから失業保険も無い。

 幸い万葉は性にあった仕事にめぐり逢い、それなりの収入にも恵まれていたし、夫の悠馬ゆうまも真面目な会社員で、やはりそれなりの安定した収入がある。だから無職の息子一人くらい経済的には苦にならない。経済的には。

 だが万葉の心の中には常にこの息子の事があった。普段は忘れているようでも心の奥底に重く淀んだ気がかりとなって沈殿している。

「甲賀? それとも伊賀?」

 続けて変な質問をしてしまったのは、責めるような声で聞き返した自分自身に慌てていたせいだ。

「伊賀」

 そう答えた和馬の声に緊張が走る。何かに勘付いたか……と万葉もまた密かに身構えつつ、冗談めかして更に尋ねた。

「何よ、それ。忍者屋敷とかのバイト?」

 それに安心したのか、和馬の声が和らいだ。

「違うよ。スカウトされたんだ。オレの身体能力が尋常じゃないからってさ。それにオレ、今日から三十五だぜ。日本のニートの定義ってググってみたら三十四までらしい。つまり、オレはもうニートを名乗れない訳さ。代わりに忍者を名乗るのも良いかなって」

 訳の解らない理屈だが、そういえば今日は和馬の誕生日だ。晩御飯はご馳走にしなければ、と万葉は思う。

「そう。何だかよく判らないけど、お母さん、もう出かけないと。続きは今夜話しましょ」

 そう言って出かけて来たのだ。玄関を出て振り返った我が家は少しピリピリした空気に包まれているように感じた。

「気のせいなら良いけど……」

 思わず呟いて、万葉は歩き出した。

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