第24話 家の主の女性

 その言葉に、僕は思わず言葉を失う。

 もちろん、ここから出て行くのは当然の話だ。

 しかし、このタイミングでそのことについて言及があるとは思っていなかったのだ。

 そんな僕に、かすかに笑いながら女性は続ける。


「子供にこんなことを言うのは悪いとは思っているのよ。でも、私もそこまで余裕がある訳じゃなくてね。そこ、私のベッドだし」


「え!」


 そう言いながら僕の寝ている場所を指さした女性に、僕は痛みも無視して咄嗟に跳ね上がる。

 ……まさかこんな綺麗な女性のベッドを占領していたなど考えもしていなかった故に。

 しかし、その僕の反応は悪手だった。


「……っ」


 僕の動きに反応するように、女性が僅かに反応する。

 それに咄嗟に固まった僕に、少し緊張した面もちで女性は口を開いた。


「言っておくけど、私がいくら美人でもよけいなことは考えないでね。私はギルド職員だし、それなりには戦えるわよ。子供に勝てる相手じゃないから」


 そう言いながら、女性はにっこりと微笑んで見せる。

 まるでどこから襲われても勝てる、そう言いたげに。

 ……けれど、僕は気づいてしまう。


 目の前の女性は、とても戦える人間ではないことを。


 確かに彼女は肝が据わっている。

 けれど、決して戦う人間の動きをしていなかった。

 おそらく、魔法を使える人間でもない。

 その証拠に、一見こちらをなんとでもないと言いたげに見ながらも、僅かに身体は強ばっている。


 この女性にとって、自分がどういう存在であるのかを僕が理解したのはその時だった。

 つまり、僕は警戒すべき存在であることを。


 いや、もっと早くに気づいてしかるべきだった。

 何せ、この美貌の上、おそらく彼女は一人でこの家にすんでいる。

 そんな中、僕のような男が混ざるなど警戒しない方が無理という話だ。


 そのことを覚悟した上で、目の前の女性は僕を保護してくれているのだ。

 そう理解した瞬間、僕は痛む身体を引きずり、ベッドから降りる。


「……え?」


 そして困惑する女性をよそに、僕は深々とその場で頭を下げた。


「まず、この上ないご厚意に感謝します。これ以上のご迷惑をかける訳にはいきません。僕はもう大丈夫ですので」


 もうすでに僕はこの上ない迷惑をかけ、恩を受けている。

 だとしたら、これ以上迷惑をかけるつもりは僕にはなかった。

 少しは身体も元気になっているはずだ。

 この女性が少しでも迷惑に感じるなら、すぐに去るのが今の僕にできる唯一の恩返しだ。


「え、え?」


「失礼します」


 そう判断した僕は困惑したような女性の隣を抜け、部屋を出ようとする。

 しかし、重い通りに身体が動いてくれたのはその時までだった。

 ずるり、という感覚と共に僕の身体から力が抜ける。

 奇妙な浮遊感の中、僕は次に来るだろう衝撃を覚悟し、けれどそれがくることはなかった。


「……あー、もう。そんな身体で大丈夫もなにもあるわけないでしょうに」


「あ、れ?」


 代わりに僕が感じるのは、柔らかい感触だった。

 それに僕はようやく理解する。

 自分は、女性に受け止められているのだと。

 反射的に僕は身体を起こそうとする。


「っ! すいま……あれ?」


 しかし、それさえ無理だった。

 奇妙なことに身体に力が入らず、僕は身体を起こせない。

 そんな僕を見て、女性は苦笑しながら告げる。


「あれだけの傷を負ってなにも食べずに寝ていたのに、急に動くから。いいから寝てなさい」


「いや、でも……」


「はいはい。こんな子供を警戒してた私が悪かったわよ。私に恩を感じるなら、きちんと身体を治してから出て行きなさい。これでまた倒れてたら、私が助けた意味がないじゃない」


 そう言って、僕の身体をベッドの方に押しやる女性。

 それに対抗できず、僕はまたベッドに押し戻されてしまう。


「それに何より、ここでいなくなったら折角持ってきたこれも無駄になっちゃうじゃない」


 そう言いながら、女性は一度扉の外にでる。

 次に持ってきたのは、お盆に入ったパンとスープだった。

 それを見て僕は気づく。

 女性はこれを持ってくる為にこの部屋にきたこと……自分は思ったより空腹であることを。

 椅子をベッドの近くに持ってきた女性は、お盆を僕の膝辺りにおきながら告げる。


「その様子、貴方相当大変なことあったんでしょ?」


「……っ」


「言いたくないなら無理に聞かないわよ。でも、君くらいの年の子はもう少し大人に頼っていいのよ」


 その言葉に、僕は不覚にも涙ぐみそうになる。

 ……決して涙もろい人間ではなかったはずなのに。

 ただ、僕は悟る。

 自分を拾ってくれた人は、決して悪い人ではなかったのだと。


 けれど、僅かに僕の胸に疑問が浮かぶ。

 この人と僕は大きく年が離れている訳じゃないはずなのに、どうしてこんなに子供扱いしてくるのだろうと。

 その答えはすぐに分かった。


「で、君いくつ? 十二か、十三辺り? ……いや、十一くらいかしら。よく一人でこんなところまで来たわね」


 少しの間、僕はなにも言えなかった。

 先ほど出かけた涙は、もう引っ込んでいる。


「……あの」


「うん? もっと下?」


 必死に声が震えないように意識しながら、僕は告げる。


「僕は十五、来年成人です」


「……は?」


 この日、僕の心に新たな傷が刻まれることになった。

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