第五話「現代文化研究会」


 梶原一郎君が自己紹介を済ませ、入部届を無事提出して。

 とりあえず本日はここいらでと部室から退室して数分後。

 唐突に争いは起きた。


「ウォォオオオオオ、死ね、高橋千尋! 貴様を墓地送りにしてやる!!」

「何だとこの女郎。お前が死ね藤堂初音。シャーーーーー!」


 殴り合いをしている。

 ポカスカと殴り合いをしているのだ。

 ボカスカではない、ポカスカとである。

 我々は所詮力弱きナード、カースト最下層、人を傷つける強き力などない。

 特に見ていて面白くもない醜いキャットファイト――雌猫同士の喧嘩であった。

 眼鏡チビ胸デカおかっぱ頭こと高橋部長と、貧乳長身黒髪ぱっつん姫カットである藤堂のささやかな殴り合いである。

 誰もが、特に見たくもない試合の始まりだった。


「男の子を連れてくるなら連れて来るって言いなさいよ!」

「言ったのにお前らが全然信じなかったんじゃん! 私は悪くないね! 信じなかったお前らが悪いね!!」


 どちらともいえない。

 この私、瀬川涼音の目から見てどちらが悪いとは判断がつかない。

 ちゃんと説明しなかった高橋部長が悪いのか。

 真面目に聞かなかった私たちが悪いのか。

 はたして、なんとも。

 あのまま話していても平行線をたどっていたのは間違いないから、まあ実力行使に出たのは仕方ないのか。


「男の子が来るって知ってたら、ちゃんとブレザーにブラシかけたり、ボサボサ頭の枝毛が無いように髪型を整えたり……したかった。もう遅い! もう何もかも!! 彼の第一印象がこの同人原稿の締め切りに追われる容姿で固まってしまった!! なんてことだ……なんてことだ!!」

「はは、ざまあ。ざまああああああ!!」


 ガクリと落ち込む藤堂を見て、ざまあ、ざまあと嘲り笑う高橋部長。

 本当にいい性格をしているなコイツ。

 平成初期の蛮人か?

 大昔のカードゲーマーは野蛮であったと聞くぞ。

 そんな性格を高橋部長はしていた。

 我らオタク女子四名のまとめ役である。


「……どっから引っ張ってきたんです、あの男の子。梶原君って言いましたが」


 話が進まない。

 仕方なくも、私が静かに口にする。

 仕方なくだ。


「えー、聞いちゃう? 彼との馴れ初め、聞いちゃう?」


 ふふん、と鼻を慣らしながらにドチビの高橋部長が、下からこちらを見上げながら煽る。

 こんなこと言い出すから聞きたくなかったのに。

 本当に殺してやりたい。

 その無駄にデカい乳を千切るぞ。

 まあ私も大概大きいけれど。


「……単純かつ明確にお答えください」


 冷静に口にする。

 冷静に。

 高橋部長の両肩に手をやる。


「殺意を込めて首を絞めるのを止めてちょうだい。私、そんなに悪い事してない……」

「……おっと失礼。いや、ごめんなさい」


 割と困惑した声で、高橋部長が鳴く。

 ちょっとイラっときていたようだ。

 首を絞めていた手を放す。


「カードゲーム専門店の前で立ってて、声をかけたらオタクだったので部に勧誘しました。以上」


 ビシッ、と高橋部長が軍隊式敬礼をして答える。

 本当に簡潔に答えたな。

 まあ、そんなところだろう。

 高橋部長の彼氏という雰囲気ではなかったし、そもそも天と地がひっくり返ってもだ。

 我らナードが急に彼氏が出来たなんてあり得ぬ。

 急どころか、ゆっくりでさえあり得ぬ。

 だからだ。


「……よくやりました。高橋部長。といっておきましょう」

「えへん」


 高橋部長が無駄にデカい乳を前に張る。

 まあ実際良くやったと思う。


「私のために……この瀬川涼音、心からの感謝を致します」

「違うよ!? 別に瀬川ちゃんのために連れてきたわけじゃないよ!?」


 有り難う。

 本当に有り難う、高橋部長。

 お前はもう用済みだと。

 そうやって、崖から突き落とすように言い放つ。


「ここからは、この瀬川涼音とのラブストーリーが始まったり始まらなかったり……」


 夢を馳せる。

 親切な高橋部長が連れてきた男性と私の、素敵な青春(アオハル)の始まりを受け止めたいが。


「始まらないと思うよ? 瀬川ちゃん男性と話せる?」


 あっさりと、高橋部長に出鼻を挫かれる。

 ……話せない。


「……話したことない」


 愕然とした。

 この瀬川、16歳になるというのに男性との関わりが明確に不足していた。

 なんとすれば、隣の男の子が落とした消しゴムを拾うような経験。

 その事務的な会話すら記憶にない。


「小中ともに、男子のいないクラスの人工授精ガールだったし……」

「私も似たようなものだけどさ、その状況で頑張ったんだよ?」


 梶原君を連れて来るのには苦労したよ。

 うんうん、と高橋部長が頷いている。


「勇気を出して彼に話しかけたよ。その成果を横からかすめ取っていくのは違くないかい?」


 確かに。

 それは正論であった。

 それはそれとしてだ。


「……別に部長の物でもなんでもないんでしょう?」

「それはそう! 全く彼は私の事を何とも思っていないだろうね! 彼は我が部活にオタク友達を探しに来ただけだよ! 私みたいなね!!」


 ビシっと自分を指さして、高橋部長が叫んだ。

 こういう性格が好きだった。

 こんなところに惚れて、私たち三人は結束して部長に付いてきているのだ。

 たまに殴り合いも罵りあいもするけれど。

 腹を割って心の底から話し合える仲なのだから、むしろ当然であった。


「第一印象……」


 人のイメージは第一印象が9割と聞く。

 そのことを気にしてか、藤堂はまだ呻いていた。

 それはそれとして、いつまで凹んでいるのだろうか。


「起きろ! 初音!!」


 げしっと、部長が蹴りを入れた。

 藤堂が呻き声を上げる。

 そのままのそのそと、その170 cm近い長身を起き上がらせた。


「うーん。ここからイメージを取り戻すにはどうしたらよいか?」

「もう諦めたら?」

「そんな惨い事を。だって男の子だよ。この暗いねっとりとした部室に咲いた山桜だよ!?」


 藤堂が首を振りながら、姫カットの長い髪を振り乱して叫ぶ。


「少なくとも嫌われたくないじゃん!」


 まあ、それもそう。

 だが、高橋部長は首を傾げて口にする。


「……別に、梶原君容姿がどうのこうので気に入らないとか嫌いとか、そういうこと言わない人だと思うよ? 汗だくのデブでも笑って相手にすると思う」


 そんな男いるのか?

 やれ髪がどう、容姿がどう、エチケットがどう、気配りがどう。

 そんな細かいところでやいのやいのとケチつけて、減点方式で人を評価するのが男だと聞いているが。

 むやみやたらと優しさを、決してふりまかない。

 この男、私に気があるんじゃね、と。

 優しさこそが女の勘違いを招くという教育を子供の頃から受けてきているのだ。


「梶原君、本当にいい子だし。まあ出会って数時間だけどさ。本当に良い子なんだよ。私たちを細かな点で減点したり、見下したりする子じゃないと思う。本当にオタ友達欲しさにウチの部活に来てるんだと思うの」


 そもそも語れるほどに男を知らない。

 唯一僅かなりとも彼を知っているのは、高橋部長であった。


「だから、仲良くしてね? 皆」


 それはもちろん。

 アイアイマム、とばかりに頷くのだ。

 オタクはオタクに優しく。

 そう毛筆で書かれたポスターが壁に貼ってある。

 我々は相哀れむものなのだ。


「……それでどうする? 正式な部への昇格申請は出す?」


 私は静かに高橋部長に尋ねた。

 ウチは一応部活動自体は認められているし、部室ももらえている。

 だが、分類としては同好会の括りであり、ろくな予算も与えられていない。

 しかし、五人目の部員である梶原君が来たとなれば正式な部に昇格できるのだ。


「うーん、とりあえず一か月くらいは様子見で」


 高橋部長は小首を人形のように傾げて、少し悩んだ様子である。


「まあ、様子見だろうね。すぐに辞めちゃうかもしれないし」


 考えたくもないことを口にする。

 はっきりと口にしたのは四番目の部員である、サラサラのブロンドヘアーの女。

 精子バンクから提供された遺伝子と、母親の遺伝子に白人系が混じっていたらしく、名前も正にハーフな高倉エマであった。

 まあ精子バンク隆盛のわが国では今、金髪なんて珍しくもないのだが。


「そう簡単には辞めないだろうけど……女所帯だしね」

「色気を出しては拙いという解釈でオーケー?」


 それは誰もが考えていたことだ。

 堂々とエマが口にする。


「男と女の青春(アオハル)を願ってはいけないことかしら? 別に、彼氏になって欲しいとは言わない。少しばかりの思い出を望むくらいの事は……あの、その、ほら、二人して手を繋いで下校するとか。それくらい……望んじゃダメ?」


 つんつんと、エマが両手の人差し指を突き合わせる。

 私たちの誰もが聞きたかったことである。

 高橋部長は、少しばかり考えた後。


「悪いとは言わない。でも、決して彼の望みを壊してもいけない。私はね、梶原君の願いを無為にしたくないんだよ。オタク友達が欲しい、カードゲームやTRPG、創作を楽しめる友達が欲しい。それは痛いほど私には理解できることだから」


 そんなの私たちだって同じだ。

 高橋部長だって同じだろう。

 我々オタクの結束は固かった。


「だから……その、なんだ。望むのはいい。青春(アオハル)禁止令なんて出さない。だけど、突発的な行動に出ちゃ駄目だよ。私たちはあくまでオタ友達として求められていて、それを彼も望んでるんだから」


 理解した。

 要するに、女として色気を出してすり寄るような真似をしちゃ駄目と。

 あいわかったというか。


「安心してください。そもそも、そんな器用な真似ができる連中はこの場にいませんので」


 エマが断言した。

 まあ、いないよなあ。

 誰もがナードであった。

 ブロンドサラサラヘアーのエマでさえ、中学生時代の休憩時間は机に突っ伏して寝たフリしていたと聞いたぞ。

 我らの中学時代など、誰もが寂しいものよ。

 『現代文化研究会、部員募集。オタクのみ参加可能』とチラシを配って練り歩く、活動的で勇気ある高橋部長がいなければ、我らは高校でも似たような生活を送ったであろう。

 だから、我々は誰もが高橋部長のことを大好きだし。


「よかった。よろしくお願いね! くれぐれも彼をがっかりさせないように!!」


 おそらく、彼に何か女性的な行動を起こすこともないだろう。

 オタクの一人として迎えることだけが精いっぱいだし、オタクの話題を通してでしかろくに会話もできないだろう。

 だから、だからだ。


「とりあえず、私たちは会話も困難なので高橋部長を通して要求します。彼を同人即売会の売り子にするのはオーケー?」


 エマが尋ねた。

 同人即売会の利益=部費である我らには必要な要求であったが。


「いきなり彼を利用するような、がっかりさせるようなことしないでよ! 私、彼と一緒にカードゲームの大会に行くつもりだったんだよ? それでさえ勇気が要る行動なんだから、自分たちで言いなよ!!」


 高橋部長が叫んだ。

 喧々囂々。

 とりあえず、なんらかの形で彼に話だけはしてみるよと。

 高橋部長は渋々と、我らの要求を飲んだ。



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