貞操逆転世界でオタク生活を満喫するナードの話

道造

第一章

プロローグ


 貞操逆転世界というものをご存じだろうか?

 古きを口にすれば、海外SF小説で見られる男女の力関係を逆転させたシチュエーションである。

 新しきを口にすれば、女性の性欲が男性のそれに置き換わった世界であろうか。

 男女比が偏り、それにより狂った世界で、男性の貞操が重きに扱われ、女性の貞操が軽きに扱われる。

 要するに、女性が肉食系となり、男性はむしろ性欲を忌避として、女性のそれを蔑む。

 ああ、まあ、なんだ。

 僕が、梶原一郎がそんな世界に転生して15年が経った。


「……はてさて」


 前世の事は記憶にある。

 平々凡々な世界であったし、人生であった。

 いや、平均的な人生とは違うか、アラサーなのに童貞だったしな。

 幸福度という価値での人生リザルト数値はきっと低かったに違いないのだ。

 いわゆる、オタクであったのだ。

 現実のテーブルカードゲームが大好きで、ネットゲームが大好きで、アニメ漫画ライトノベルが大好きで。

 そんな人生であった。

 だが、後悔など何もなかったのだ。

 あるとすれば唐突に死んだことであろうか。

 突然、店頭に置かれるカードが数十万もする額面を見て、レジに金があるとでも勘違いした強盗がカードゲームショップに押し入って。

 その時店員と話していた僕が、脅しのようにナイフで腹を刺されたのだ。

 誰かを庇っての転生とあれば格好がついたのかもしれないが、僕はただの被害者であった。

 間違いなく、死んだのだと思う。

 そして、この世界に転生した。

 よりにもよって、男女比1:20のこの狂った肉食系女子ばかりの世界に。


「アンタップ・アップキープ・ドロー」


 呪文のように唱える。

 アンタップは、文字通りタップ(つつく動作)をしてカードを横向きに倒したものを戻す仕草。

 アップキープはアンタップの次のステップ、場に出したカードの能力が、必要によってこのステップで発動する。

 ドローは文字通り、カードを引く仕草。

 その手順を終えて、引いたカードを見つめる。

 僕は顔をしかめた。

 良くないカードだ。

 僕が引きたいのはゲームに終了をもたらす、相手の敗北を決定づけるエンドカード、いわゆるボム(爆弾)であって。

 ゲームの序盤に引くべき、速攻でチクチクとダメージを与えるためのカードではない。

 舌打ちしたくなるが、下品なのでしない。

 カードゲームに最も必要なのは、相手とゲームを楽しむという品性である。

 勝利や栄光ではないのだ。


「サレンダー(降参)してもよいが……。いいや、殺してください」

「あいあいさー」


 眼前の高橋部長が口走る。

 女である。

 カードゲーム業界に珍しい、それこそカードゲーム大会への参加費が半額優遇されるくらい保護されている女性。

 前世では、そんな女性のゲームプレイヤーであった。

 もっとも、この貞操逆転世界では紅一点とは言えないが。

 むしろ、このオタク部に在籍している男子なんて僕一人しかいない。

 黒一点である。

 だからなんだ、それがどうした。

 そう言いたくもなるが。

 結局のところ、何一つ人生のルートが変わるわけではないのだ。

 人は変わらない。

 たとえ男女比1:20のこの狂った肉食系の世界に転生しても、前の世界と変わらぬ文明世界であり。

 カードゲームがあり、漫画があり、ライトノベルがある。

 ならば、僕がどう変わると言うわけではないのだ。

 サブカルチャーを存分に楽しむだけである。

 死ぬまで。

 死ぬまでだ。

 もし神がいるというならば、自分を転生させたことには感謝している。

 

「全員攻撃。どうしますか?」

「どのクリーチャーも防御しません。プレイヤーで受けます。ダメージを受けます。死にました」


 死んだのだ。

 文字通り、死んだ自分を生き返らせて、似たような文明社会で再度の生を送らせてくれている。

 これを幸福と言わずして何と言おうか?


「対戦有り難うございました」

「対戦有り難うございました」


 ゲーム終了とともに、お互いに礼を口にする。

 ぺこりと頭も下げた。

 ゲームプレイは淑女たれ、と毛筆で書かれたポスターが壁に画びょうで貼ってある。

 それが前世・今世を通した我らカードゲーマーのモットーであった。

 違いと言えば、紳士たれではなく、淑女たれとなっていることだろうが。

 まあ、このイカれた世界では男性のゲームプレイヤーなどほぼ皆無なのだ。

 仕方あるまい。


「ラストカードなんでした?」


 高橋部長の言葉に対して、手札を見せる。

 1枚しかない手札は、ゲーム後半では何の役にも立たないカスカードだった。


「あー、デッキ構成を見るに、ボム(大型速攻クリーチャー)引ければ、逆にこちらの負けだったのにね」

「引けなかった以上は負けですよ」


 別にゲームに負けても死ぬわけではないのだ。

 負けて悔しいと言う思い入れもない。

 大会でもなんでもないし、まして部活内の練習試合である。


「もう一戦やる? 何か賭けようか?」

「ベット戦ですか? 賭けるのはカード? それとも金銭?」


 あまりやりたくないなあ。

 僕はカードゲームをするだけで楽しいのだ。

 勝利を掴もうとはすれど、真の意味では勝利を目的とはしていないのだ。

 ただ楽しめればそれでよかった。


「ちょっと君に頼みたいことがあってね?」


 高橋部長が、上目遣いで僕を見上げる。

 彼女は身長140 cm程度の短躯で、その割に胸の大きいトランジスターグラマーの体型をしていて。

 黒髪のおかっぱ頭で、なかなかの美人さんであると言えた。

 僕はカードゲームの対戦相手としか、今のところは興味がないけれど。

 彼女は銀縁眼鏡をかけており、その眼鏡を光らせながらに口にした。


「何でしょうか? 内容によりますが」


 頼みごとを賭けにしたいと?

 まあ聞くだけ聞いてみるか。


「カードゲームの大会に出てみない?」

「はて? なんでまた?」

「寂しいから」


 周りを見渡す。

 なるほど、言いたいことはわかる。

 我が部活では現在、カードゲームをやっている人間は二人しかいない。

 厳密に言えば、部員自体は五人いるのだが。


「なんかさー、二人してカードゲームばっかりやってるのが悪いってわけじゃないよ? 私も全然嫌じゃないし。でもね、たまには外に出てもいいかなって」

「悪くない話ですね」


 部室を見回す。

 カツカツ、と液晶タブレットに線を引き、絵を描く他の三人を見る。

 こちらを見ていない。

 まるで興味もないと言う風に、必死に漫画を描いていた。

 同人誌である。

 入稿寸前で鬼気迫る勢いであった。

 僕の属している部活はオタク部である。

 より厳密に言えば『現代文化研究会』と銘打ってサブカルチャーを楽しみ、あるいは創作をすることを目的とした部活動である。

 カードゲーム、ネットゲーム、アニメ漫画ライトノベル、なんでもよい。

 なんでもよいが、まあ僕の活動としてはテーブルゲームメインなのだが。

 部の活動としては、主に同人誌出版の方が目的と化していた。


「いいですよ。外の空気を吸うのも悪くない」

「いや、応じてくれるのはいいんだけどね。賭けとしたいのよ」


 何故?

 応じると言っているではないか。

 別にカードゲームの大会に行くと言うのも悪い話ではない。


「売り子もして欲しいんですよ」


 ぼそり、とつぶやく声が聞こえた。

 黒髪三つ編み姿の彼女――瀬川涼音さん。

 一年上の先輩である。

 いかにも清楚――男っけなどありませんという感じの外見で、オタクらしいと言えた。

 まあ僕には彼女の外見などどうでもよいが、胸が極端にデカいのは視線に困る。

 今更女性に未練があるわけではないが、性欲は残っているのだ。


「売り子? 何の?」

「同人誌の」

「……僕が売り子?」


 そりゃオタクだから前世でも同人誌即売会ぐらいには参加したことあるけれどさ。

 だからといってだ。


「……コスプレしろってわけじゃないですよね?」

「いえ、さすがにそこまでは」


 コスプレする度胸までは、流石に現状ではなかった。


「別にいいですよ。売り子ぐらい」

「いいんですか?」

「要は客引きでしょう? 男の方が売れやすいから」

「……そうです」


 しっとりとした雰囲気で、瀬川さんが口にする。

 別にそれぐらいなら、かまわない。

 あまり話さないとはいえ、同じ部活動なわけだし。


「いいよ、やりますよ。それで、何でしたっけ? 賭けとする理由は?」

「いや、部活動として梶原君にも何かしてもらうと思ってね。ずっと私とカードゲームばっかってのもつまんないだろうしさあ。それで、カードゲームの大会か、売り子か、どっちをしてもらうか賭けようって話を皆としてたんだけど……」


 こてん、と高橋部長がこぢんまりとした人形のように首を横に傾ける。

 可愛らしい。

「私が勝ったらカードゲーム大会へ二人で。負けたら売り子を。その約束を皆としたけど、その意味がなくなっちゃったね。賭けはいいよ。梶原君、意外と男性にしてはアクティブなんだね」

 この世界の男性はアクティブではない。

 性的に狙われることを忌避して、なんだかんだとパッシブだ。

 少なくとも社交的とは言えない。


「そもそも触れ合いを求めて、オタク仲間を求めて部活動に参加したわけですから。部活動のためなら使って頂いて構いませんよ」

「そうだよねえ。ほら、心配する必要ないって言ったじゃん」


 高橋部長が明るくふるまって、液晶タブレットと必死に見つめあっている皆に口にする。

 何か、僕は他の男性のようにパッシブな性格だと勘違いされていたようだが。

 違うのだ。

 僕は前世のように明るくオタク生活を満喫したい。

 ただそれだけなのだ。


「……有り難うございます」


 瀬川さんがぽつりと口にした。

 その視線は僕にではなく、液晶タブレットに向かったままであった。


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