完璧で、そして欠落した君

深雪 了

美少女文芸部員と軽い男子生徒

「神無月東高校文化祭」


九月のよく晴れた日、その高校の正門には華やかな文字が掲げられ、文字の周りをいくつかの風船やキャラクターの絵が彩っていた。

当然校内の廊下や教室といった場所にも装飾が施されている。校内は若者の熱気と活気に包まれていた。


葛西怜音かさいれおはその廊下の真ん中を悠然と歩いていた。今年この高校に入学した彼はこれが初めての文化祭なわけだが、自分のクラスの午前中の出し物の当番を終え、昼食を物色しているところだった。


各クラスが威勢よく呼び込みをしている。店員の格好は文化祭よろしく、そのクラス独自のTシャツだ。緑のTシャツに制服のスカートを穿き、髪をアップにしている気合の入った呼び込みの女子生徒を横目に、はたまた自分もクラスのTシャツを着た怜音は、焼きそばがいいか、カレーがいいか・・・、フランクフルトとたこ焼きの組み合わせもアリだな、なんて考えながらカラフルな折り紙で装飾された教室の前を歩いて行った。


よし、カレーにしよう。怜音がそう決断した時、色とりどりだった装飾が急に途絶えた。

気付けば廊下をだいぶ歩いていて、一番奥の教室だけ何の装飾もされていなかった。奥にあるということと、隣の教室との見た目の差がだいぶひっそりとした印象を感じさせた。

やけにその教室が気になった。学年やクラスなどを表示するドア上のプレートに目をやると、綺麗な手書きの文字で「文芸部」と書いてあった。

文芸部なのに文化祭で何の催し物もしてないんだろうか、と思った怜音は気付けばその教室の前まで歩みを進め、ドアの小窓から中を窺った。


やはりそこはイベントらしいことは何もしている様子がなかった。少し薄暗いと思えば差し込む日光だけを頼りに照明を点けていなく、物が少なくがらんとしている。視線をずらすと奥にパソコンが三台あり、部屋の中央に机が一つだけある。その机に—髪の長い女子生徒が座って何かを書いていた。

怜音は物怖じしない性格だった。文化祭に参加しない「文芸部」と女子生徒に興味が湧いた彼はノックもせずに扉をガラッと開けた。


間髪入れずに女子生徒が顔を上げた。美人で知的な印象だった。突然の来訪者を驚いたように、しかし冷静に観察しているようでもあった。白い半袖のシャツに、薄い水色のネクタイをしている。——二年生だ。この学校の女子の制服は学年ごとにネクタイの色が違っていた。つまりは女子生徒は怜音の一つ上ということだった。


「・・・何か?」

女子生徒は警戒した表情で怜音に声をかけた。部屋の薄暗さも相まって、彼女の周りには静謐な空気が漂っていた。

「ここって、文芸部っすか?」

いきなり入ったことを悪びれる風もなく怜音は聞いた。

「そうだけど」

「・・・文化祭、何もやんないんです?」

怜音の問いに、女子生徒は小さな溜息をついた。それは怜音の質問そのものにというよりは、何かを憂いているようだった。

「部員一人しかいない部活で何かやったってしょうがないでしょう」

「部員一人なんですか?」

「そうよ。私だけ」

彼女が頷くと、怜音はへー、と言ってあらためて教室内を観察した。三台あるパソコンの脇には文芸部らしく本棚がある。普段本は読まないので詳しくはわからないが、日本の作者の本もあれば、外国の作者の本もある。他に国語の教科書で見かけたことのある昔の作家の名前もあった。

「部員一人だと部活って無くなったりしないんすか」

怜音が尋ねると、彼女は少し気まずそうに顔をそらした。

「私、生徒会もやってるから」

なるほど、彼女は生徒会役員の権限を存分に発揮しているらしい。

「文芸部っていうと・・・、小説書いたりするんすか」

早々に警戒心を解いた女子生徒は怜音の言葉に頷いた。

「書いたりもするし、そこにある本を読んだりもする。・・・まあ、それでも、一人しかいないから書いても自己満で終わるし、何も活動しないでここで宿題してる時もあるんだけど」

彼女の言葉に怜音は顎をさすった。そしてそのまま一時考えると、よし、と頷いた。

「じゃあ、俺が入部すれば読者ができるし部員も二人になるんで、入部します」

へ、と彼女は目を丸くした。当然の反応だった。

「入部って・・・、別にいいよ。小説だってプロ目指して書いてるわけじゃないから読者だっていなくていいし」

「でも俺は美人の先輩と毎日部活ができますし、先輩は一人だけのさみしい部活動とはオサラバできます。お互いに良いことしかないっすよ」

「私は一人きままにここで放課後を過ごしてるの。別にさみしくない」

「俺小説書いてみたいんですよ」

先輩はまた溜息をついた。今度は怜音の発言に対する溜息だ。明らかに嘘が見え見えの発言をしたからだった。


「・・・じゃあ、何か問題起こしたり、私の活動を著しく阻害したら退部させるからね」

根負けした彼女は疲れたような表情で怜音の入部を認めてくれた。

「俺そんな問題起こすように見えますか」

怜音が聞くと、彼女はびしっと怜音の頭を指差した。

「まず、その頭。一年生のくせに髪が明るすぎるし、それ、パーマもかけてるでしょう。あと、全体的に言動にチャラさがある」

「部活は真面目にやりますって」

言い返したが、彼女は信用していないようだった。


「じゃあ、はい、一応これ書いて」

女子生徒が差し出してきたのは入部届だった。それを受け取った怜音は、氏名の欄に葛西怜音と書いた。

「先輩の名前も聞いていいっすか」

篠松遥しのまつはるか。」

「分かりました。・・・じゃあ、よろしくお願いします遥先輩」

「いきなり名前呼びなんだね」

呆れた様子の遥を尻目に、怜音は入部理由の欄にシャープペンを走らせた。

「じゃあこれでお願いします」

そう言って遥に入部届を渡すと、それを受け取り理由の欄を見た彼女は顔をしかめた。

『美人な先輩と一緒に部活がしたいから』

遥は眉をつり上げたまま入部届を突き返した。

「はい、書き直し」



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


怜音が文芸部に入部してから一週間が経った。意外にも彼は毎日きちんと部活に顔を出しており、遥に勧められた本を読んだり、彼女を口説いて軽くあしらわれたりしていた。

コミュニティが広い怜音は遥と知り合って以来、二年生の友人から遥の情報を仕入れていた。成績は優秀、人あたりも良く、美人だからといってそれを鼻にかける様子も無いそうだ。一見、彼女は非の打ち所がない人間のようだった。



「俺、こんなに読書したの人生で初めてっす」

読み終わった本を両手で閉じながら、怜音は少し感慨深げに言った。

「うん、小説書いてみたいって言ってたけど、読書経験がほとんど無いならまずは読んだ方がいいかと思って」

隣の机に座る遥は頷いた。彼女の動きに合わせて長い髪がさらりと揺れた。文化祭のあの日、教室の真ん中にぽつんと置かれていた机は一つから二つに増えていた。

「正直、君がこんなにちゃんと取り組むとは思ってなかったよ」

ぽつりと呟くように遥が言った。

「俺、見た目よりは真面目ですよ。やるって言ったからにはちゃんとやりますよ」

怜音は少し得意げな様子だった。

「まあ、遥先輩に振り向いてもらうためっていうのが一番の理由ですけど」

「君は一言余計なのよ」

呆れるように言った遥に、怜音は観察するような眼差しを向けた。

「・・・先輩は、どうして一人で文芸部やってたんですか?」

その言葉を聞いた遥は少し考えるような表情を浮かべた。

「・・・もともと、本を読むのがすごい好きってわけではないの」

「じゃあ、なんで」

「なにか芸術に、触れたかった」

「感受性豊かなんですね」

怜音が感心したように言うと、遥はゆっくりと首を振った。

「違うの。その、逆。感受性なんか全然豊かじゃない」

少し顔をしかめた彼女は、苦しそうに言葉を吐き出した。

「私、・・・人の気持ちが分からないの」

怜音はへえ、と相槌を打った。

「それはまたどういうことすか」

「昔からなの。物心ついた頃から。例えば、人が困ってたり苦しそうにしてる時があるでしょう。そういう時、頭では『ああ、こういう言葉をかければいいんだな』とか『こうしてあげればいいんだな』ってわかるんだけど、心では何も感じてないの。・・・人に共感が、全く、できないの」

言い終わった遥は依然として顔をしかめていた。怜音は黙って彼女の話を聞いていた。

「小説なら、人の気持ちとかがこと細かく書いてあるでしょう。だから本を読んでいれば人の気持ちがわかるようになるんじゃないかって思った。・・・でも、今のところ効果は無いみたい」

そこまで話して、遥は溜息を吐き出した。

「そのせいで人と深く関わるのも疲れちゃうから、部活は一人気ままにやりたくて、他の部員に素っ気ない態度とってたら一人になったわ」

「先輩俺のこと問題起こしそうとか言ってたのに、自分の方がよっぽどひどいことしてるじゃないですか」

怜音がふざけてなじると、遥は自嘲的に笑った。

「そうね、確かにそう。先生やクラスの子達は私を優等生扱いしてくれるけど、当の私は完全に自己中な人間なのよ」

一見完璧に見える人間ほど重大な部分が欠落している——ついこの間ここで読んだ本にそう書かれていたのを思い出した。


うーん、と怜音は顎をさすった。

「誰かと付き合ったりしたことは?」

「ない。人を好きになったこともないわ」

「人に心から共感できない、・・・か」

怜音は空を仰ぎ、また考え込んだ。そしてしばらくそうした後、よし、と言って頷いた。

「じゃあ、せっかく部活ここで毎日顔を合わせてることですし、俺も協力するんで、一緒に少しずつでも変わっていける方法を探しましょうよ」

後輩の言葉に、遥ははじかれたように顔を上げた。

「一緒に探すって・・・。簡単に言うけど、どうしようもない欠陥かもしれないのよ?私だって今まで生きてきた中でずっと改善しようとしてきたのに、できなかったんだから」

「でも、客観的に見たら何か分かることがあるかもしれないじゃないですか。何事も、一人より二人でやる方が断然いいですよ」

歯を見せて楽しそうに喋る彼を、遥はまじまじと見た。そして、その表情がふっと緩んだ。

「チャラチャラしてるように見えて、なかなか言ってくれるじゃない。・・・少しだけ君のこと、見直したわ」

「任せてください。きっと、先輩を映画館で号泣する人のような心の豊かな人にしてみます」

得意げに言う怜音に、遥は少し楽しそうに目を伏せて笑った。

「映画館で号泣は恥ずかしいな。・・・でも、そうだね。よろしく頼むよ」

遥がこぼすと、怜音はそれに、と言ってにまにまと表情を崩した。

「先輩が人並みの心を持って、更に恋心も芽生えるようになれば、ワンチャン俺とも付き合えるかもしれないじゃないですか」

途端に、穏やかに笑っていた遥の眉がつり上がった。

「結局最終的な動機はそこなんだね」

怜音はそれに対し爽やかな笑顔で返した。

「いやー、やっぱそれが一番の目的ですよ」




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