第35話 34 有名になっちゃいました

 マリアベルはやれやれと思いつつ、馬に騎乗したまま、ベアトリスへ近づいた。背後でレオナルドが止めるのも聞かずに・・・。


「そこのマドモアゼル、どうされましたか?ここは大きな街道です。馬車が来るので危険ですよ」


 マリアベルは相手を宥めるため、出来るだけ優しく語り掛けた。


「あ?あんた何なの!?ただの騎士が私に話しかけていいと思っているの?」


 キッと睨みつけて来るも、たかが貴族令嬢の睨みなどアサシンの放つ殺意と狂気にまみれた視線を知っているマリアベルには何のダメージも与えない。


 ひらりと馬から舞い降り、ベアトリスの前で片膝を折る。


「マドモアゼル、ここは危険です」


 ベアトリスの前にマリアベルは右手を差し出した。その細い指先を見た後、騎士の顔へと視線を移したベアトリスは、ハッと驚いた顔をする。


「あ、あなた、騎士にしては、随分ときれいな顔をしているのね」


 そう言いながら、ベアトリスはマリアベルの手に自分の手を乗せた。


 後方でマリアベルを見守っていたレオナルドは、信じられない光景を目の当たりにして、民衆の前にもかかわらず、ポカンと口を開けてしまう。騎士姿のマリアベルが、いとも簡単に暴れ馬と名高いベアトリスを黙らせたからである。


「さあ、こちらへ。ここで馬車に轢かれてしまったら、あなたのご家族が悲しみますよ」


「私の家族が?あり得ないわ。私は家族から出て行けと言われたのよ!!きっと私が死んでも、誰も悲しまないわ」


 ベアトリスはマリアベルに感情をぶつけた。と同時に、大きくて勝気に見える瞳から、大粒の涙を零し始める。


 ストップしている馬車に乗っている人々や、周囲に集まって来たやじ馬(民衆)たちは、二人のやり取りを静かに観察していた。


 マリアベルは騎士服の内ポケットから、ハチドリの刺繍がついたハンカチを取り出す。そして、それをベアトリスへ手渡そうとした。


 ベアトリスはハンカチの刺繍に目を止める。


「ん?ハチドリ、ハチドリの刺繍・・・。騎士様・・・。レ、レイ様?」と、誰にも聞こえないくらいの声で呟き、数秒ほど固まった。


「えっ!は!?ハチドリの騎士様!!あなた!ハチドリの騎士レイ様なの!?」


 急に大声を上げたベアトリスは、マリアベルの手から素早くハンカチを取り上げると、ハチドリの刺繍を食い入るように眺める。


(ハチドリの騎士って何?確かに私のミドルネームはレイだけど、誰かと間違ってない?)


 状況が良く分からないマリアベルは、首を傾げた。


「あなた、困っている人がいたら、全力で助けてくれる“ハチドリの騎士レイ様”でしょう!!何よ、その顔・・・、まさかご自分がそう呼ばれているって知らなかったの?」


(あーっ、この話から察すると“ハチドリの騎士レイ”は私の事で間違いなさそうね。だけど、今日は男装もしていないのに・・・)


「は、はい、その二つ名は存じませんでしたが、私はレイと言います。よくお分かりになりましたね」


「もう、何なの!!泣いている人に、ハチドリの刺繍が入ったハンカチを渡すことで知られているのだから、分かるに決まってるじゃない!!あなた、王都でかなりの有名人なのよ!!ねえ、もっと堂々としていなさい!!」


(判別方法は男装ではなく、このハチドリの刺繍が入ったハンカチが決め手だったと言うことね。騎士に性別は関係ないということかぁ・・・。まあ、それはそれで嬉しいけど)


 ベアトリス嬢は涙をハチドリの刺繍が入ったハンカチで嬉しそうに拭っていた。すっかり元気を取り戻したようである。


「お元気になられたようで良かったです。あなたが居なくなったら、ほら、ご家族でなくとも、この方(使用人)が悲しみます。ご自分を大切になさってくださいね」


 マリアベルがベアトリスの使用人へ微笑みかけると、彼女は真っ赤な顔で大きく頷いた。


「あら、ルルって、そんなに私のことを心配してくれていたのね。先ほどは確かに取り乱したわ。ごめんなさい」


 使用人のルルという女性にベアトリスは謝った。今度はルルが目に涙を浮かべる。マリアベルはもう一枚、ハチドリの刺繍が入ったハンカチを懐から出して、ルルへ渡した。


「では、落ち着かれたようなので、私はここで失礼いたします」


「あら、もう行ってしまうの?」


 最初に騒いでいたのが嘘のだったかのように、ベアトリスはしおらしくなった。


「久しいな、ベアトリス」


 マリアベルの背後から、低い声が聞こえて来る。ベアトリスは顔を上げ、マリアベルの後ろにいる人物へ視線を向けた。ごく間近にレオナルドが立っている。その存在をすっかり忘れかけていたベアトリスは急に不安になり、顔色もどんどん悪くなっていく。


「随分と言いたい放題だったな。不敬という言葉では到底済まされない暴言を吐いていただろう?」


「ま、まことに申し訳ございません。つい、興奮してしまって。殿下が悪い女に騙されているのではないかと、気が気ではなかったのです」


 言い訳をしつつも、保身は忘れないベアトリス。レオナルドは大きなため息を、一つ吐いた。


「悪い女はお前だ。わざわざ言うまでもないが、俺とお前の間には今も昔も何もないだろ。それなのに随分と自分に都合のいいことを・・・」


「殿下、お止めください。ここは街中ですから」


 マリアベルはレオナルドを止める。ベアトリスは悪魔王子の気性の荒さを知っているので、ハチドリの騎士が斬られるのではないかと心配になった。


「ああ、そうだった。止めてくれてありがとう」


 レオナルドはマリアベルのこめかみにキスを落とす。


 その瞬間、辺りがどよめく。ベアトリスは予想外の出来事について行けず、瞬きを何度もしてしまった。


「レ、レオナルド殿下、えっ?どういう・・・」


 ベアトリスは声を震わせながらも、勇気を出してレオナルドに状況の説明を求める。


「ああ、お前はもう王都には二度と戻ってこないのだったな。餞別代りに紹介してやろう。彼女は俺の妻になるマリアベルだ。彼女は正義を重んじる清廉な騎士であり、将軍エヴァンスの愛弟子でもある。俺が求めるすべてを持っている女性だ」


(殿下ったら、ベアトリス嬢へ話しているフリをして、民衆に向けたアピールをするなんて・・・。それにしても、よく即興でそんなセリフが出て来るものだわ)


「ハチドリの騎士様が、殿下の・・・」


「そうだ。俺たちは運命的に出会い、真実の愛を育んだ。マリアベル・レイ・モディアーノ公爵令嬢以外に、俺が妻に望む者はいない!!!」


 大きな声でレオナルドが宣言する。民衆が息を呑んだ一瞬の静寂の後、大きな拍手と声援と口笛が鳴り響いた。


(何、何!?何なのこの光景は!!)


 マリアベルは我慢出来ず、レオナルドの耳元へ囁く。


「あのう、殿下。真実の愛とか、愛を育むという言葉とか・・・。この光景もですけど、まるで歌劇のようですね」


「流石、マリーだな。実は有名な歌劇のセリフを使わせてもらった」


 レオナルドはいたずらが成功した子供のような顔をして、マリアベルの耳元へ囁く。


「こんなレオナルド王子殿下は、見たことが無い・・・」


 レオナルドとマリアベルの様子を眺めていたベアトリスが溢す。


「ああ、マリーは俺の唯一だから、当然だ。ベアトリス、金輪際、腹が立ったからと言って、街道の真ん中で叫ぶのは止めろ。迷惑も甚だしい。次は処分する」


「――――はい」


 レオナルドに強く言われ、ベアトリスは萎れたように頷いた。


「ベアトリス様、マリアベル・レイ・モディアーノと申します。ご心配いただいております案件なのですが、私の姉は死んではおりません。今も元気にしておりますのでご安心ください。また、私はベアトリス様を王都から追放する指示は出しておりません。何かの誤解ではないでしょうか?」


「は、はい、そうね。何か誤解があったのかもしれないわね。不確かなことを話してしまって、ごめんなさい」


「いえ、殿下をご心配して下さり、ありがとうございます。これからは、私が殿下を守りますので、どうぞ任せて下さいませ」


 言い終えると、マリアベルはレオナルドの前に跪いた。そして、剣を地面に置き、右手の甲を差し出す。その優美な所作に民衆の視線は釘づけになる。


 レオナルドは差し出されたマリアベルの手の甲へ、口づけをした。


 周囲から「おおっ!」と、歓声が上がる。


 マリアベルが立ちあがると、今度はレオナルドがマリアベルの前に跪き、剣を地面に置いた。すると民衆から、この国の王子であるレオナルドの行動に戸惑いを見せる空気が流れる。


(は!?殿下!?何をやっているのです!?あなた、この国の王子様なのですよ!!一騎士の前に跪くなんて、絶対ダメです!!帝国民の皆さんが殿下の行動に困惑しているじゃないですかー!!)


 呆れた気持ちを何とか表へ出さずに立っているマリアベルへ、レオナルドは手を差し出した。


「俺もマリーを守る。これは騎士の誓いではなく、としての誓いだ」


「まだ結婚していませんけど・・・」


「もう、今更だろう。俺から逃げられると思うのか?さあ、俺の誓いも受け取ってくれ」


 互いにジーっと見詰め合ったままでの攻防は、数十秒ほど続いた。民衆も息を潜めて成り行きを窺っている。だが、結局、折れたのはマリアベルだった。


 マリアベルがレオナルドの手の甲へキスをすると、民衆から鼓膜が割れそうなくらいの歓声が上がる。いつの間にか、最初よりも多くの人が集まっていた。


 もはや、今日は祭りか?と言うような状態だった。



―――――遠巻きに二人を眺めていたエヴァンスの元へ、ポルトスがやって来る。


「将軍、あの小賢しい計画、もう要らなく無いですか?」


 エヴァンスは、ニヤリと笑って頷いた。

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