第27話 26 袖の下を渡しちゃいました

「で、何処を通る予定だ?」


「塩の道を使います」


「その道はダメだ」


 キッパリとレオナルドに却下され、エヴァンスの表情が強張る。マリアベルは、エヴァンスにもう少し詳細を説明した方が良いのではないかと思ったが、レオナルドに考えがあるのかもしれないので口を噤む。


「その道は、敵に嗅ぎつけられている可能性がある。他のルートを探せ」


「分かりました。では、少し時間を下さい。その間に、お二人のその姿(血塗れ)をどうにかしましょう」


 エヴァンスに指摘され、改めて自分の身なりを確認したマリアベルはゾッとした。髪も服も手も血塗れだったからである。横に立つ、レオナルドも同じ状態だった。これでは馬車に乗るのも憚られる。


(せめて、髪についた血だけでも、乾かないうちに洗い流した方が良さそうね)


 マリアベルは、三つ編みを持ち上げながら、どうしようかなと考えていた。


「マリー、川の水で洗おうなんて言わないでくれよ」


 横から、ボソッと呟かれる。


(怖っ!何故、私の考えていることが分かるのよ。だけど、流石に殿下を川で洗うわけにはいかないわよね。カルスト地区の温泉ならどうかしら?)


「殿下、温泉が近くにあります。かなり早朝ですから、今なら大丈夫かもしれません」


「温泉か、エヴァンスどう思う?」


「周囲をしっかり警護し、短時間でしたら大丈夫でしょう」


「分かった。では、マリーの言う温泉へ向かおう」


「はい、道案内をしますね」


 マリアベルは、ゾロゾロと第二騎士団と国軍・精鋭隊の混合チームを率いて、獣道を進むことになった。レオナルドとは相変わらず手を繋いでいる。


(それにしても、殿下と両想いになったなんて、嘘みたい!!だって、義務で結婚するんだって、殿下は何度も言っていたし。まさか、私のことを好きだなんて思わないわよー!)


 マリアベルは、険しい道を歩きながら、心の中はふわふわしていた。手から伝わるぬくもりが幸せな気分を高める。


「マリー、こんな道を何故、知っている?」


 レオナルドは、あの鍾乳洞に案内された時から、どうしてマリアベルがこんな穴場(逃走路)を知っているのだろうかと疑問に思っていた。


「この道も、あの洞窟もスラーシェに教えてもらいました。勿論、姉も一緒に」


「あの執事は一体、何者だ?」


「“何者か?”ですか。さあ、何者なのでしょう?私はスラーシェのことを余り知らないので、ただの執事だとしか」


「公爵家の執事にしては、やけに若い気がする。そして、執事が何故こんな場所にマリーたちを連れて来たんだ?」


 レオナルドは、小声になった。


(急に小声になったと言うことは、この話を将軍たちに聞かれたくないのかも知れないわね)


 マリアベルもレオナルドに合わせて、小声で答える。


「それは、領内を知るための視察をしましょうというものでした。他にも、港の地下水路や中心地にある教会の隠し部屋、図書館から街道付近に繋がるトンネルとか、いろいろな場所に行きましたよ。あ、そうそう!その時に、塩の道も教えてくれました!」


 懐かしいわと思い出すマリアベルとは裏腹に、レオナルドの中でスラーシュは執事と言うより、優秀な戦闘員なのでは?という疑惑が高まった。スラーシェもモディアーノ公爵が張った警戒網の一つなのかもしれない。


 そう考えると、エヴァンスはどうなのだろう?


 エヴァンスは、幼い公爵令嬢マリアベルが一人で街を歩いているのを、偶然見つけて声を掛けたことが発端となり、間接的(見張りを付けた)に保護してきた。それは偶然なのだろうか?


 モディアーノ公爵は、屋敷へ出入りする人員を必ず入念にチェックしていたハズである。口が堅く、正義感のある者。そういう人選で、ジュリエットの教育係を選定していた可能性も充分あるだろう。


 ここまで想像を巡らせて、レオナルドは気付いてしまった。


 “赤い蠍”の摘発書類を作り上げるまでの完璧な防御策は、レオナルド、延いては王家をも欺いている可能性があるのではないか?と。


 そう考えると、マリアベルと言う切り札が生きて来る。


 レオナルドの妃として、マリアベルが王家に嫁げば、“モディアーノ公爵は、未来の妃であるマリアベルを“赤い蠍”から守るため、時には王家を欺くようなことまでしなければならなかった”という免罪符を得て、多少のことは見逃されるだろう。


 例えば、今回のレオナルドや陛下の許可も無いのに、紫蜘蛛やエヴァンスを、ルカが動かしたというようなことも、モディアーノ公爵が絡んでなかったとは言えない。


 まあ、その場合、ルカは一体、誰の部下なのか?と言う厄介な話になるのだが。


「一番、モディアーノ公爵にしてやられたのは、王家かもしれない」


 レオナルドは、フッと苦笑いを浮かべる。


 レオナルドの呟きを隣で聞いていたマリアベルは、ふわふわした気持ちから、急に現実へ引き戻された。


(“王家が、お父様にしてやられた”って、どういう意味?スラーシェが普通じゃないって、話はどうなったのかしら。殿下には言い損ねたけど、スラーシェって、七、八年前くらいに我が家の執事になったのよね。その前の執事は、結構、年配の方だったと覚えているわ。彼は引退したのかしら、あー、でも名前が分からないわ。だってあの頃は、私の相手なんて誰もしてくれなかったもの)


 レオナルドとは違う方向に思考が傾いていくマリアベル。二人は目的地の温泉に付くまで、互いに色々なことを考えていた。


――――――――――


「殿下、あの先を右に曲がれば、道に出ます。その向かいに温泉施設への入口がありますよ」


「ああ、思ったより近かったな。あの洞窟から十五分くらいか」


「そうですね」


 レオナルドは後ろを振り向いて、エヴァンスに話し掛ける。


「エヴァンス、聞いていたか?温泉はあの先にあるらしい。全員で行くのか、数名で行くのかの判断はお前に任せる」


「では、数名でいきましょう。私と国軍のルフィ副官が殿下たちに付き添います。後の者は木立の中で待機させておきます」


「分かった」


 エヴァンスは、声を出さず、身振り手振りで、後方へ指示を伝えた。その後、レオナルドとマリアベル、エヴァンスとルフィは木立(獣道)から道(馬車道)へ出る。


 右手に、大きなログハウスが立っていた。裏手から湯けむりも立ち上っている。


「これが温泉施設です。どうします?」


 マリアベルは、エヴァンス達に尋ねた。


「施設職員が、殿下とマリアベル様のその姿(血塗れ)を見たら、きっと大声で叫びますよ。ここは私にお任せください。個人的に、小一時間貸し切りにして欲しいと頼んでみます」


 エヴァンスではなく、ルフィが答える。クールな顔立ちで、迷いのない発言からして、ルフィは仕事が出来そうだ。


「では、頼む」


 レオナルドが了承すると、ルフィは走って建物へ向かった。


――――――――――


 『宿直の職員に今から一時間ほど貸し切りにして欲しいと、袖の下を渡したら、誰が使うのか?とも聞かれずに了承してもらえました』と言って、ルフィは戻って来た。


(ルフィ、袖の下を渡すことに慣れていると言うことが、もう何というか・・・。受け取る方も問題だけど)


 ルフィの報告を聞いたマリアベルは、微妙な気分になった。


「では、私とルフィ、数名の騎士で、このログハウスの周りを警備しておきます。殿下たちはお気兼ねなく、汚れを落としてください。それと、これが着替えです」


 エヴァンスは、大きな布袋をレオナルドへ差し出した。


「騎士服が二着入っております。汚れた服は、後でこの袋に入れておいてください」


(確かに、血みどろの服が脱衣所に置きっぱなしだったら、大事件だわ。脱いだものは忘れずに袋に入れよう)


「分かった。では、行ってくる」


 レオナルドは、荷物を抱え、マリアベルの手を引いて、大きなログハウスの中へ入った。広々とした館内は非常に簡単な造りで、玄関ロビーと更衣室、その奥が浴場となっているようだ。


 しかし、ここで事件が発生した。更衣室が一つしかないということに、二人は気付いてしまったのである。


「な!!まさか・・・」


(混浴・・・)


「ああ、そのまさかだろうな。でも、この方が急襲にあった時は、安心かもしれない」


「お風呂での急襲に安心なんてないですよ。どうします?」


(いや、非常事態とは言え、私達、一緒にお風呂へ入るの?)


「一緒でも、俺は構わない」


「清々しいほど、潔いお返事をありがとうございます。でも、私はちょっと・・・」


「背中合わせで、互いを見ずに入ったらいいだろう。心配しなくていい」


(ううう、そういわれるとハイとしか言えなく無い?変に嫌がる方がいやらしい感じになるわよね)


「分かりました。では、私はこっち(左側)を向いて行動します。殿下はあっち(右側)でお願いしますね。振り返ったら怒りますよ」


「ああ、分かった」


 浴場のドアに向かって左を向き、マリアベルは服を脱ぎ始めた。ずっしりと血を浴びて重くなった騎士服を脱げば、身体が軽くなったような気がする。髪をほどくのは、水で一度流してからの方が良いだろう。


「殿下、タオルが・・・」


「ああ、この袋に入っている。ほら、そっちに滑らせるから、受け取れ」


 きれいな騎士服の上にタオルを乗せて床に置き、レオナルドは、器用に後ろへと滑らせた。勿論、紳士たる者、むやみに振り返ったりはしない。


「ありがとうございます」


 受け取ったタオルを胸の前に当てて、マリアベルは浴場のドアを開けようと前を向く。


「マリー、左を向いて行動するのではないのか?」


 背後から、注意を促す声がして振り返るとレオナルドは、まだ上着だけを脱いだ状態で、きちんと右を向いて立っていた。


(あ、殿下は、ちゃんと約束を守ってくれているのね!!ん?でも、何で私が正面を向いているって分かった?)


「ああああ!油断しました!!ごめんなさい。ちょっとお待ちを!!先に浴場へ入りますね」


 マリアベルは慌ててドアを引き、湯気がモクモクと立ち込んでいる浴場へ入った。丸くて大きな浴槽が、右・中央・左と三据えある。洗い桶は浴槽の前へきれいに重ねて置いてあった。迷わず、左の浴槽の前にマリアベルは陣取る。


 そのすぐ後からレオナルドも引き戸を開けて、浴場に入って来た。浴槽の数を確認することも無く、右にある浴槽の前へ陣取る。


 レオナルドは片膝をついて手に桶を持ち、浴槽から湯を汲んで被ろうとした。


 すると、背後から嘆き声が聞こえて来る。


「うーっ、最悪―!!」

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