第25話 24 甘くて困っちゃいました

 マリアベルは、かつて訪れたことのある鍾乳洞へレオナルドを案内した。


 モディアーノ領のカルスト地区は、アウトドアを楽しむ人たちが好んで訪れる行楽地である。人気アクティビティである鍾乳洞探検では、ガイド達はお客の安全面を考慮し、入口付近に危険がなく、内部も歩きやすい鍾乳洞に連れて行くことが多い。


 一方、この鍾乳洞は間口が狭く、入口付近の傾斜もかなりキツい為、訪れる者はまず居ない。だが、内部に入れば、かなり大きな空間が広がっている。そして、奥に進むにつれ、複雑な分岐が続く。


 マリアベルは潜むなら、ここが最適だと判断した。


 何故、マリアベルがこんな場所を知っているのかと言うと子供の頃、執事のスラーシェに連れられて、ジュリエットと一緒に来たことがあったからである。


「ここなら、隠れる場所もあります。殿下、どうですか?」


「ああ、いいと思う。念のため、細工をしておこう」


 鍾乳洞の入口付近に二人で小枝を敷き、侵入者の足音が分かるようにと細工を施す。その後、鍾乳洞の少し奥まで進み、外から見えない場所で身を隠すことにした。


 ランプの明かりに驚いた蝙蝠たちが、ガサガサという羽音とキューという鳴き声を上げて飛び交っている。しかし、それもしばらくすると元通りの静寂を取り戻していった。天井付近から、時々ピチョンと水滴が落ちて来る以外は至って快適な空間である。


「マリー、寒くないか?」


「ええ、そうですね。でも、大丈夫です」


 レオナルドは鍾乳洞の中が外よりもひんやりとしていたため、マリアベルのことを心配する。


 彼は肩の留め具を外して、マントを床に敷いた。そして、マリアベルを両腕で横向きに抱き上げると、そのままマントの上に胡座をかいて座る。


(私を抱えたまま座るなんて、力業・・・。じゃなくて!!過保護過ぎると思うのだけどー!でも、すっぽりハマってしまってるから、殿下をギューっと押して、ここから逃げ出すのは無理っぽいわ。と言うか、今、敵襲が来たらどうするの。その場合、私は殿下からポイっと横に投げられるのかしら・・・)


 マリアベルは、自分が横に投げられる姿を想像して、少し面白い気分になった。が、そこであることに気付く。


(互いに騎士服を着ているこの状況で、殿下に抱っこされていると、不謹慎だけど変な気分になるのよねー。今、誰かが踏み込んできたら、絶対に殿下と騎士が抱き合っているって、変な勘違いをされそうだもの。人の気配がしたら、どうにかして殿下から降りないと・・・)


「殿下、今何時ですか?」


 レオナルドは、上衣のポケットから、懐中時計を出して確認する。その間もマリアベルを抱き締めている手は緩めない。


(うっ、殿下が油断する可能性は低いわね。私、逃げられるのかしら?)


「もうすぐ、午前二時になる。馬で王都からモディアーノ領まで駆けて来て、更に歩いてここまで来たんだ。マリー、かなり疲れているだろう?眠気があるのなら、今のうちに仮眠を取った方がいい。俺が見張っておく。敵が来たら、たたき起こすかもしれないが」


「流石に、この危機的状況で眠いなんて思えないですよ!!」


「そうか?体力の温存は大切だぞ」


「戦いも無く、馬で楽しく駆けて来ただけですから、そんなに疲れていません。殿下の方がお疲れなのでは?」


「俺は普段から二、三日の徹夜くらいザラにある。心配しなくていい。それより、寒くないか?」


「いえ、殿下の体温で温かいです。ありがとうございます」


「それなら良かった。ところでマリー、この鍾乳洞はかなり広そうだな」


「ええ、この地区にはこういう大きな鍾乳洞が沢山あります。ただ、それぞれの鍾乳洞の奥がどうなっているのかは分かっていません。一度、大規模な調査した方がいいかもしれないですね」


「ああ、そうだな」


 レオナルドは、マリアベルの背中を優しく摩っている。そのおかげでマリアベルは全く寒さを感じない。


(優しい手、温かい)


「マリー、今日は、朝から無体なことをして済まなかった。今後は、もっと感情をコントロール出来るよう、気を付ける」


「感情をコントロール?私を相手に?殿下、それは不要です。感情は見せていただいた方がやり易いです」


「----そうなのか?」


 レオナルドは、またマリアベルの真意が分からなかった。感情を見せていいと言うことは、マリアベルを突然抱き締めたり、キスしたりしてもいいということなのか?と。


「キスしたいと言っても、いいと言うのか?」


「え?」


 レオナルドは、マリアベルの驚いた声を聞いて、余計なことを口に出してしまったと、またしても後悔した。女心は難しい。


(殿下って、私の頬とか手にはいつも普通にキスをしているわよね?今朝の口づけには驚いたけど・・・。頬とかへのキスは確認不要で、口にする時だけは、わざわざ確認が必要っていう殿下の基準には何か意味があるのかしら)


 レオナルドは首を傾げたまま、考え込んだマリアベルを見詰めていた。


「マリー、正直なところ俺は女心が分からない。思っていることがあれば遠慮なく言って欲しい」


(んー、殿下、私も男心なんて、サッパリ分かりませんよー。と言うことは互いに口に出さないと分からないと言うことなのかしら?)


「では、殿下に質問があります。手や額、頬へキスする時は全く確認しないのに、何故、口にする時だけは確認が必要なのですか?」


「えっ?」


 レオナルドは、マリアベルの質問で己の行動を思い返してみた。確かに、マリアベルの言うとおりである。


「確かに、マリーの言う通りだ。今まで、何故、出来たのだろう・・・」


 レオナルドは考え込む。マリアベルは、そこで提案をした。


「あのう、殿下。いちいち確認されるのは恥ずかしいので、もうしなくていいです」


「え?」


 レオナルドは、マリアベルの発した言葉が理解出来ない。確認しなくていいとはどういう意味なのだろう。


「それは、金輪際、マリーに触れてはいけないという意味だろうか?」


(ええええ、そんな真面目な顔で聞き返されると言いにくいというか、私のさっきの発言って、もしかして失言だった???)


「いえ、“金輪際、触れてはいけない”なんて思っていません。ただ、逐一、キスしたいと言われるのは恥ずかしいので止めて欲しいだけです」


「それは、キスをしたいと聞かなくてもしていいと考えていいのか」


「んんん、まあ・・・そういうことです」


「だが、マリーは・・・」


 レオナルドの麗しい顔の眉間に皺が寄る。


「ん?私がどうかしましたか」


「マリーは、好きな人としか触れ合いたくないのだろう?俺がキスしてもいいのか?」


 レオナルドは、怖くて聞けなかったことを、とうとう口にした。


「えっ!?はっ?んんん、えええっ??」


(殿下って、えーっと、あの日、馬車で話したことをそういう風に捉えていたの?)


「殿下、もしかして、私が殿下のことを嫌いだと思っていらっしゃいます?」


「―――そうではないのか?」


 マリアベルは首を大きく左右に振った。レオナルドは、マリアベルが何を言いたいのかがまだ分からず、怪訝な表情をしている。


「殿下、鏡を見たことが無いのですか?」


「いや、身なりを整える際には見る」


「そういう意味ではありません」


 レオナルドは首を傾げる。自分は疲れているのかもしれない。マリアベルの行動と言葉の理由が掴めないからだ。


「あのですね。殿下は、超カッコいいです!そして、物凄く優しいです!好きにならないハズがありません!!というか、絶対、今までモテモテでしたよね?何故、恋人を作らなかったのですか?不思議でしょうがないのですけど」


「マリー、何を・・・。恋人?俺は異性には嫌われていたと思うのだが・・・。いや、違う、そう言うことを言いたいのではない!マリーは俺を嫌っていなかったのか?」


「ええ、全く持って嫌っていませんよ。だって、嫌いだったらこんなところまで一緒に来たりしませんから。殿下こそ、押し付けられた婚約者を大切にして下さり、ありがとうございます」


 マリアベルは、ぺこりと頭を下げた。レオナルドは悟る。マリアベルにレオナルドの気持ちが、何も伝わっていないことを・・・。


「マリー、俺は押し付けられたとか思っていない」


「でも、義務で結婚する相手には変わりないですよね。こんなに良くして下さり感謝しています」


「違う!義務じゃない!!」


「結婚は王族の義務って・・・」


「違う。マリーに一目ぼれした」


「一目ぼれ?」


「あの日、初めて会ったマリーに一目ぼれした。そして、恋に落ちた。婚約破棄しないと言ったのは、義務だからではなく、マリーを手放したくなかったからだ」


 レオナルドは、早口にならないよう、ゆっくりと穏やかな声で言葉を紡いだ。それを聞いていたマリアベルは、自分の勘違いに、漸く気付く。


(殿下は義務ではなく、私のことを気に入ったから優しくしてくれていたってこと?―――――――ああああ、思い当たる節があり過ぎるのだけど!!どうして、私ってば、いままで気が付かなかったの!!)


「マリー、大好きだ。その穏やかな声も、美しい顔も思ったことを話してくれる可愛い口も、すべてが愛しい。誰にも渡したくない」


 情熱的な言葉を、見目麗しいレオナルドから伝えらえたマリアベルの顔は、一瞬でリンゴのように真っ赤になった。でも、こうなれば、自分の気持ちもレオナルドに伝えないとフェアではないと思ってしまうのが、マリアベルである。


「殿下、ありがとうございます。そして、今まで気が付かなくてごめんなさい。ええっと、私の気持ちも聞いてもらえますか?」


 レオナルドは、無言で頷いた。


「レオナルド様、大好きです。私もずっと、ずーっと、一緒にいたいです。今、姉が帰って来ても、絶対にあなたを渡したくありません」


 感情が高ぶり、マリアベルの目じりには涙が溢れてくる。レオナルドは、殿下ではなく“レオナルド”と名前で呼ばれたことも、大好きだと言われたことも、とても嬉しかった。自然に目元が綻んで、表情も緩んでしまう。


「マリー、ありがとう」


 マリアベルの眦から流れ落ちる涙をレオナルドの唇がそっと受け止める。マリアベルは真っ赤な目で、レオナルドを見上げた。


 もう、言葉で確認せずとも、互いの距離は自然に近づいていく。今朝の押し付けるようなキスとは違い、ゆっくりと唇が重なった。温かくて柔らかな感触と一緒にぐすぐったい気分も湧き起こる。


 少し離れては、また唇を軽く重ねるという行為を繰り返すうちに、レオナルドは言いようのない幸福感に包まれていく。マリアベルも恥ずかしいという気持ちから、もっとキスをしたい、触れ合いたいという気持ちが強くなってくる。


 時間を忘れそうになるくらい、唇だけではなく、瞼、頬、こめかみ、鼻先へと触れるだけの優しいキスを二人で繰り返した。最後に長い口づけを一度した後、レオナルドとマリアベルはギュッと抱きしめ合う。


「マリー、愛している。必ず、無事に王宮へ一緒に帰ろう。さあ、そろそろ休んだ方がいい。俺が見張っておくから」


 耳元へレオナルドの心地よい声が届くと、マリアベルは急に眠気が湧いて来る。ただ、出て来そうになった欠伸は必死にかみ殺した。何となく、ここで欠伸をしてしまったら、負けた気がすると感じたからである。


(こんなにいい雰囲気なのに、欠伸なんて・・・、したくない・・・)


「マリーを傷つけようとする者は、俺が倒すから心配しなくていい。安心しておやすみ」


 マリアベルを休ませたいレオナルドは、低音で心地の良い言葉と一緒に彼女の背中も撫でて、追い討ちを掛ける。


(ダメだ・・・。殿下に言い返したいけど、殿下の体温が心地いいし・・・眠い。そうだ!何か話でもして眠気を飛ば・・・そ・・う)


「殿下、今食べ・・たいのは何・・・ですか?」


「―――マリー、眠いのだろう?」


「いえ、眠・・・くな・・いです」


「今、食べたいものは特にない」


「それ・・・じゃあ・・・・面白くないので・・・ダ・・・メです」


「フッ」


 レオナルドは眠気と明らかに戦っている婚約者があまりに可愛くて、思わず笑ってしまった。


「あ・・・その顔!!反則・・・です・・・よ」


「反則?どういう意味だ?」


「――――カッコい・・い・・い?」


 話している途中で、マリアベルの身体から力が抜ける。レオナルドが顔を近づけ、マリアベルの顔を覗き込むと、瞼はすでに閉じられていた。どうやら睡魔に負けたらしい。


 それにしても、『今、食べたいのは何ですか?』なんて、夜中に男へ聞くものでは無い。正直なところ、キスを重ねているうちに、色々と昂ってしまい、レオナルドは理性を駆使して、必死で抑えたところだったのである。


 レオナルドは今一度、マリアベルをギューッと抱き締めた後、縦抱きにして背中へ左腕を回して固定した。突然の襲撃に備え、右手は動かせるようにしておく。抜き身の刀も手の届く位置にセットし、レオナルドはランプの明かりを吹き消した。


「願わくば、何事もなく朝を迎えたいものだ」


 暗闇でマリアベルの体温を感じながら、レオナルドは独りごちるのだった。 

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