第12話 11 王子様が不機嫌になっちゃいました

 マリアベルが王宮で生活をするようになって、一週間が経った。


 レオナルドは学びたいというマリアベルの要望に応え、ネストリア銀行の副頭取オーネスト・バーンに金融学の講師、王都メリッサ商工会・広報部リアム・ロザリーに商学の講師を依頼した。そして、今日の午前中に最初の講義が行われる。


――――――――――


 マリアベルが講義場所と聞いた会議室の中に入るとレオナルドがいた。執務で多忙なレオナルドと会うのは数日ぶりだった。


(あれ?何故、殿下がここに居るのかしら)


「殿下、お仕事は?」


「大丈夫だ。今日の顔合わせを兼ねた講義には俺も参加する」


「お忙しいのに大丈夫ですか?」


 マリアベルはレオナルドの顔を覗き込んで聞く。


「俺がいない方がいいか?」


(えっ、突然、不機嫌に・・・)


「いえ、居ていただいた方が心強いです」


「そうか」


「お心遣い、ありがとうございます」


「いや、気にしなくていい」


「それから殿下、毎日お花とカードをありがとうございます」


「礼には及ばない。俺こそ、毎日会うことが出来ず申し訳ない」


 レオナルドはマリアベルに詫びた。マリアベルは全く気にしていなかったので逆に申し訳ないと思った。ここに来てからの生活は楽園のようだ。それにレオナルドがいなくても、マリアベルはとても楽しく過ごせている。


 毎日、王宮内の図書館で読書を楽しみ、美しい中庭を朝と夕方に散歩して美味しい食事をいただく。そして、専属侍女のアリーとはすっかり仲良くなった。いつでも話の出来る相手がいるというのは、マリアベルにとって、何よりも一番嬉しいことだった。


「殿下、ここでの生活にはとても満足しています。ご心配なさらなくても大丈夫です」


(殿下は最初の印象とは違ってとても優しいし、毎日欠かさずお花とカードを部屋に届けてくれたり、困っていることはないか?と声を掛けてくれたり、丁寧なお付き合いをする方だわ。お姉さまも殿下の本当の人柄を知っていたら、愛の逃避行をする必要なんてなかったのではないかしら)


「マリーが幸せだと思えるような環境を作るのが俺の仕事だ。気にせず、もっとしたいことがあれば欲張っていい」


 これはレオナルドの本心だった。ここに来て、マリアベル自らが希望したのは“お金と流通の教師を呼んで欲しい”ということだけだった。レオナルドはマリアベルが希望することは何でも叶えてやりたい。ただ、残念なことにマリアベルは王宮に来てからも慎ましい生活を希望している。そこで考えたのが、花を贈るということだった。こんなことで最初は喜ぶのだろうか?と思いつつ用意していたが、会うたびにお礼を言われ、マリアベルが喜んでくれていると実感出来た。と言うわけで、レオナルドはどんなに忙しくても、毎日のお花とメッセージカードは続けて行こうと決めている。


(ああ、やっぱり、殿下はお優しい)


「恐れ多いお言葉です」


「いや、マリーは・・・」


 コンコン。


 レオナルドが何かを言い掛けたところで、外からドアをノックする音がした。



「バーン様とロザリー様をお連れしました」


「ああ、中に入ってくれ」


 レオナルドが返事をする。ドアが開き、会議室の中へ老人で長身の男性と若くてハンサムな青年が部屋へ入って来た。


「二人ともよく来てくれた。彼女が婚約者のマリアベルだ。今日からよろしく頼む」


 マリアベルは紹介されたので挨拶をする。


「初めまして、モディアーノ公爵家のマリアベルです。よろしくお願いいたします」


 言い終えるとゆっくり丁寧にカテーシーをした。


 マリアベルは先日まで所作に自信が無かった。何故ならマナーの本を読んで、何となくこんな感じかなーと想像しながら覚えたからだ。流石に王宮で“こんな感じかな所作”ではマズいだろうと考えたマリアベルは、元王妃担当だった専属侍女アリーに所作の採点を頼んだ。すると、アリーは『マリアベル様の所作に関しては何の問題もないですよ』と簡単に合格点を出したのである。これでマリアベルは心に余裕が出来た。カテーシーをし終わったマリアベルは、自然と柔らかな微笑みを浮かべている。


 マリアベルの微笑みを間近で見た二人が息を吞んだのを、レオナルドは見逃さなかった。「やはり立ち会ってよかった」と、レオナルドはひとりごちる。


 王子たちの挨拶が終わったので、次は呼ばれた二人が挨拶をする。先に、年長者のバーンが一歩前に出た。


「ネストリア銀行・副頭取のオーネスト・バーンと申します。本日は私をお呼び下さりありがとうございます」


 そして、年若いロザリーも続いて前に一歩出て、挨拶を始める。


「王都メリッサ商工組合・広報部のリアム・ロザリーと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 ふたりは揃って胸に手を当て、礼をした。


「二人とも、これから王妃教育の講師として、彼女にバーン氏は金融学を、ロザリー氏は商学を教えて欲しい」


「はい、しかと承りました」


 レオナルドのお願いに即答したのはバーンだった。ロザリーは何か引っかかることがあるらしく、口を開こうとしない。


「ロザリー氏、何か気になることでもあるのだろうか?」


 レオナルドは、穏やかな口調で問う。


「いえ、商学とは言いましても、マリアベル様が求められるのはどれくらいのレベルなのでしょうか?」


 ロザリーは聞いて良いのだろうかという表情を浮かべながら質問する。


 マリアベルは、レオナルドが勝手に答えてしまわないように彼の袖を引っ張った。レオナルドはそれに気付いてマリアベルの方へ視線を向ける。


「マリー、どうした?」


「いえ、どのくらいのレベルかという質問には自分で答えたいと思ったので」


「分かった、俺は口を出さない。マリーが答えるといい」


 冷酷非情と名高いレオナルドとマリアベルのやり取りを見て、バーンは驚いていた。目の前にいるレオナルドはとても思慮深く冷静で、ここにいる人々の意思を尊重している。具体的に言うなら、彼がマリアベルや講師たちに何かを指図するようなことはなかった。そして、マリアベルや講師の話を頷きながら丁寧に聞いてくれる。


 これまで、バーンの知っているレオナルドの人物像は己の我を通し、人の意見など聞かない人。また、彼は気に入らない者には懲罰を厳しく与える血も涙もない王子だという噂も耳にしたことがある。しかし一度、彼と会えば噂は噂でしかないと実感せざるを得ない。


「では、私の商学に対する知識なのですが・・・」


 マリアベルは、王立図書館で読んだ書物の話をした。最初は軽く聞いていたロザリーが途中から、質問を繰り返し、マリアベルはそれに答えた。


「殿下、マリアベル様は幅広い知識をお持ちのようです。国同士の貿易に関する税率を昨年度、品目ごとに輸入比率を指標にして見直しをしたことまで、ご存じだとは思いませんでした」


「ああ、俺もそれは驚いた」


(そんな、殿下まで・・・。大げさだわ)


「私は発行された書物から知識を得ていますので、世の中より少し遅れていると思います。ですから“今現在はどうなのか?”と言うことに、とても興味があります」


「あのう、一つ宜しいでしょうか?マリアベル様は、外国との貿易に関する税金の協定までご存じとのこと。通貨交換のルールについてもご存じですか?」


 バーンが口を挟んできた。


「ええ、交換率の計算方法でしたら、知っています」


「なるほど、それだけご存じでしたら充分です。今後の講義が楽しみですな」


 バーンはホッホッホと笑った。そして、横に立つロザリーをチラリと見る。


「私も謹んでマリアベル様の講師を務めさせていただきます。不躾な態度を取ってしまい申し訳ございませんでした」


 漸く、ロザリーも講師を引き受けると言った。


(専門家のバーン様とロザリー様が講師を引き受けてくれるということは、何とか及第点は超えられたということかしら)


 マリアベルはホッとした。今まで独学で得た知識がどの程度なのかも分からないまま、バーンやロザリーと話していたからだ。


 一方、レオナルドはマリアベルが予想以上に博学であることに驚いたが、それよりも講師に男性を選んでしまったことを後悔していた。授業の際は、専属侍女のアリーと護衛も必ず付けようと心に決めた。


――――――――――

 初回の顔合わせを兼ねた講義が終わり、講師の二人は退出した。


 今後は金融学と商学でそれぞれのカリキュラムが組まれ、マリアベルへの講義が始まる。バーンとロザリーが揃って登城するのは今日だけだった。


「殿下、今日はありがとうございました」


「ああ、二人が引き受けてくれて良かった。マリアベル、独学で勉強していたとは聞いていたが想像以上で驚いた」


「いえいえ、質問に答えるときは緊張しました。何とか乗り切れて良かったです」


 レオナルドは、マリアベルに手を伸ばす。そして、頭の上に手を置き、優しく撫で始める。マリアベルも無意識にそれを受け入れていた。


(優しい手、癒される・・・)


 アリーたちは良い雰囲気を壊したくなくて、静かに部屋から廊下へ移動した。部屋の中はレオナルドとマリアベルの二人になった。


 誰もいなくなった部屋でレオナルドは、マリアベルの耳元へくちびるを寄せて囁く。


「マリー、落ち着いて聞いてくれ。隣国に潜ませている者から、あなたの姉のジュリエットを見たと連絡が入った」


 マリアベルはその言葉を聞いて、一気に血の気が引いた。

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