第10話 9 王子様と朝ご飯を食べちゃいました

 アリーに案内してもらい、マリアベルがダイニングルームへ入ると、すでにレオナルドは着席していた。


 王宮のダイニングで食事と言えば、長ーいテーブルの端と端に座り、時々作ったような笑みを交わすイメージをマリアベルは持っていた。だが、予想に反して、室内には、四人用くらいの丸テーブルが一台だけ置いてあり、二脚の椅子が向かい合わせに配置されていた。これなら、ヒソヒソ話も出来そうなくらいの距離だ。


「おはよう、マリー」


「おはようございます。殿下。お待たせしてしまい申し訳ございません」


 マリアベルが丁寧に遅れたことを詫びると、レオナルドは少し困ったような表情を見せる。


「俺が一緒に食事を取ろうとあなたへ事前に伝えてなかったのだから。気にしなくていい」


 レオナルドはマリアベルが気にしないようにと口にしたのだが、ゆっくりと低い声で話したことで、気持ちが上手く伝わらない。


(あー、殿下をだいぶんお待たせしてしまったのかも・・・)


「殿下、可愛いガーベラのお花とカードをありがとうございました」


 マリアベルのお礼をレオナルドは笑顔で頷いて受け取った。


 先ほど、侍女のアニーから、「お花も殿下からの贈り物です」とマリアベルは聞いた。カードの優しい文字に続き、可愛いお花まで彼が贈ってくれたのである。目の前にいるレオナルドとは、一体どんな人なのだろうか。マリアベルはますます彼のことが分からなくなってしまった。


「では、食事を始めよう」


 マリアベルの心中など知らないレオナルドは、さっさと食事を始める合図を使用人に送った。すると、間髪を入れずに、食事を乗せたワゴンが使用人たちによってダイニングルームへ運び込まれて来る。


(凄いわ!タイミングを見計らって用意していたのね)


 テーブルに並んだのは、グリーンサラダとオニオンスープ、メインプレートにはスクランブルエッグとベーコンが二枚、ポテトときのこのソテー、そしてベイクドビーンズが乗っていた。


(うわー!豪華な朝ご飯。さすが王宮ね。でも、こんなに沢山食べられるかしら!?)


「パンは、おいくつにいたしましょう?」


 パンの入ったバスケットを持った男性の給仕がマリアベルに尋ねた。


(ええっと、おかずが多いから・・・)


 マリアベルが考えていると向かい側からレオナルドが口を挟んだ。


「俺も彼女も二つずつでいい。マリー、パンは足りなければ追加出来る。そんなに悩まなくても大丈夫だ」


(えっ、追加ですって!?二つでも無理そうなのに・・・)


 給仕は言われた通り、二つの小ぶりなパンをマリアベルの前にある小皿に乗せた。


「ありがとう」


 マリアベルは給仕にお礼を告げる。そして、給仕が立ち去るなり、レオナルドに嚙みついた。


「殿下、私は二つも食べられません。このままでは残してしまいます!!」


「残してもいい」


「ダメです!!もったいないから、言っているんです!!」


 二人のやり取りを使用人たちが見ているということを、マリアベルは全く意識していなかった。


 一見、何も見ていないそぶりの使用人達、実は二人のやり取りを観察する事に集中している。それは至って単純な理由だった。仕事仲間たちに、二人の関係を知っていると自慢したいからである。


 この王宮の使用人たちのお喋りが噂として世の中に一瞬で広まっていくのだ。それが正しくても間違っていても・・・。


 常ならば、使用人達へ無闇に王子とその婚約者の会話を口外しないよう注意喚起を忘れないレオナルドなのだが、今は目の前で口を尖らせているマリアベルに夢中で、すっかり彼らへ注意を払うのを忘れていた。


「なら、俺が一つもらう。それでいいか?」


 マリアベルに対して、レオナルドがあっさりと折れる様子を見た使用人たちは本気で驚いた。


 マリアベルは全く知らないのだが、レオナルドは貴族社会において冷酷無情で有名な人物なのである。


 僅か十八歳にして、レオナルドが過去に検挙した貴族がらみの不正事件は数知れない。それ故、ズルをしたい貴族たちは、あからさまにレオナルドを嫌っているし勿論、嫌がらせもしてくる。だが、レオナルドはそんなことを全く気にしていない。


 だから公の場で、年長者相手だろうとお構いなしに『ズル賢いだけの年寄りはさっさと死んでくれた方が皆の為になる。どうだ、一思いに斬ってやろうか?』と煽るようなことを平然と言い放ったりする。そして恨み節のように“極悪王子”と言われることもあった。


 一方、レオナルドが民の暮らしを良くするアイデアを他国から柔軟に取り入れる姿勢には定評があった。最近では王都に低所得者が利用出来る安価な国営食堂を設置したり、幼い子の一時預かりに修道院を利用する案も取り纏めた。


 また、レオナルドの過去の恋愛事情は言うまでもなく酷いものだった。恋人は一度も居なかったし過去の婚約者候補たちに対しても軽蔑する様な冷たい視線を送ることはあっても、彼女たちと楽しそうに言葉を交わす姿など誰も見たことが無かった。


 それなのに今、レオナルドとマリアベルは和やかな雰囲気で朝食を食べている。この状況は使用人たちにとって、かなりの衝撃だった。


「ええ、そうしてください。それから、次は私が自分で答えるので、勝手に決めないでくださいね」


「ああ、分かった」


 マリアベルは自分の前にあるパンを一つレオナルドへ差し出す。彼は手を伸ばして、それを受け取った。


 パン一つでも『もったいないです』とハッキリ主張してくるマリアベルに、レオナルドは感心した。レオナルドもそこまでは考えが至らなかったからである。


 普段の生活で無意識に使用人たちがもったいないと感じるようなことを自分もしているかもしれない。マリアベルに注意されたことは改善していこうとレオナルドは真摯に受け止めた。


―――――

 

 いざ、食事を始めると、マリアベルは自分のマナーが急に心配になって来た。


(本で見て覚えたマナーだけど、これで大丈夫なのかしら)


 さりげなく、上目遣いで向かいに座っているレオナルドの様子を窺う。レオナルドは背筋の伸びた良い姿勢でナイフとフォークを手に取り、しなやかな所作でベーコンを音もなく切ると、流れるような所作で口に運んだ。


(なるほど、一口で食べられるような大きさに切るのがポイントなのね)


 マリアベルは顔を上げ背筋を伸ばし、レオナルドの真似をする。


 レオナルドはマリアベルの怪しげな行動の理由を何となく察した。ただ、彼女の必死さが伝わって来て、咎めると言うよりも応援したい気分になったので、見逃すことにした。


 そして、それは後ろに控えている使用人達も同じ気持ちだった。


(ヨシ!音を立てずに切れたわ。後は・・・)


 マリアベルは小さな口にちょうどいいサイズにベーコンを切った。そして、それを口へ運ぶ。口を閉じてモグモグと音を出さないよう、気を付けて咀嚼する。


 レオナルドはチラチラとマリアベルの愛らしい様子を覗き見る度、顔を緩めてしまいそうなって我に返ることを繰り返した。


「殿下、このベーコンはとても美味しいですね」


 何事もなかったかの様に食事の感想を言うマリアベルを見て、レオナルドはとうとう完全に気が緩んだ結果、優しく微笑んでしまう。


(まあ!殿下って、麗しいお顔だから少し笑うだけでも本当に破壊力があるわ。その表情でお姉様に笑い掛けていれば、こんな事にはならなかったのにね)


 マリアベルも、レオナルドに柔らかな微笑みを返した。


 壁際で控えていた使用人達は、そんな二人を温かく見守っている。内心では早く誰かに話したいと思いながら・・・。


―――――


 王子とその婚約者が、王宮内でとても仲睦まじく過ごしているというウワサ話は、瞬く間に貴族たちの間へと広がった。


 そして、婚約者がジュリエットからマリアベルに変わったことを、今日こそは追求しようと騒いでいたメンディ公爵派の者たちが何故か、急にトーンダウンしたという情報がレオナルドの元に届く。


 それはメンディ公爵が、『王子がマリアベルを自ら選んだ』という話が本当だとしたら今、闇雲にこの件を追求するのは悪手だと派閥の者たちを説得したからだった。その際、メンディ公爵は派閥の者たちに自分がレオナルドに直接、今後のメンディ公爵派の扱いに関する陳情を上げると約束し、何とか騒ぎは収まったらしい。


 ここだけの話、メンディ公爵は娘のベアトリスにとても手を焼いていた。正直なところ親として娘が婚約者に選ばれなくて心底ホッとしたのである。しかし、その本音は家門を支持してくれている派閥の者たちには口が裂けても絶対に言えない。


 世間ではどちらかと言うと、レオナルドが心配して多方面に根回しをしたマリアベルのことより、モディアーノ公爵の姿が見当たらない点についての方が話題になっていた。愛娘が将来の妃に選ばれたのに、父親が婚約発表の夜会に出てこないのはオカシイと・・・。


 その結果、たった一晩でモディアーノ公爵には体調不良から重病説、果ては急死まで、ありとあらゆる噂が流れ出していたのだが、レオナルドが意図的に王宮の奥へ匿っているマリアベルは何も知ることが出来なかったのである。

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