第2話 1 姉が愛の逃避行をしちゃいました

 美しい夕日がそろそろ地平線に沈みゆく頃、マリアベルは姉のジュリエットを秘密裏に屋敷から逃がそうとしていた。


「お姉様、少しですけど、これはお餞別です。どうぞお元気で・・・」

 

 マリアベルは、ジュリエットの手に金貨を数枚乗せて、両手で包み込む。


(私に用意出来るのは、この金貨数枚が精一杯)


妹の優しさにジュリエットは笑顔で、感謝とお別れの言葉を口にする。


「マリアベル、本当にありがとう。ようやく、ヘンリーの元へ向かう事が出来るわ。あなたもお元気で!!そして素敵な出会いがありますように!!」


 ジュリエットの美しい双眸からは、大粒の涙が零れ落ちてきた。


「お姉様、さあ、泣いている場合ではありません!誰も来ないうちにご出発を!!」


 ポケットから、ハチドリの刺繍が入ったハンカチを取り出し、マリアベルはジュリエットの涙を拭う。


 ジュリエットは無言で頷き、フードを深く被り直した。そして、質素なトランクをひとつ抱え、オンボロの馬車へと乗り込んで行った。


 この馬車は、姉のジュリエットがモディアーノ公爵令嬢であることを隠すため、マリアベルが先程、街に降りて連れて来た。勿論、口止め料は御者にしっかりと渡してある。状況を察しているのか、御者は何も聞いていない素振りで、口も開かない。


 彼はテキパキと扉を閉めた後、サッサと御者席に上った。


「お願い」


 マリアベルの言葉に御者は頷き、程なく馬車は動き始める。


 馬車が去り行くのをじっと見詰めながら、マリアベルは、密かに愛を育んで来た二人に幸せな未来が訪れますようにと、心の中で祈った。


ーーーーーーーーーー


 この国、ネストリア王国は、ノマド大陸の北西部にある大国だ。


 資源に恵まれ、海を利用した貿易も盛んで、様々な国からの移民も多い。最近は、隣の大陸で起きた戦争による難民たちを受け入れた。その影響もあり、街には家族を引き連れて、職を求める人々が溢れ、王都は少々混乱している。マリアベルの父であるモディアーノ公爵は法務機関のトップであるため、難民の対応に追われて多忙な日々を送っていた。マリアベルとジュリエットはその隙を狙って、愛の逃避行を計画・実行したのだった。


 ネストリア王国には、王家を古くから支えているモディアーノ公爵家、メンディ公爵家という二大公爵家がある。


 王家は、長年、このニ大公爵家から妻を迎えていた。ただし、妙齢の令嬢が居ない場合は、その他の上位貴族から迎えることも稀にあったのだが、今代はモディアーノ公爵家、メンディ公爵家の両家に女児が産まれた。


 その為、この国の上位貴族たちは、王家との繋がりを婚姻で結ぶことは早々に諦め、二大公爵家のどちらかとタッグを組む戦略に舵を切った。


 そして、とうとう今夜、王家主催の夜会で王子の婚約者が発表される。そのため、多くの貴族たちは自分たちの支援する家門が選ばれるのかどうかを期待を込めて待つのだ。


今日は貴族達にとって、決戦の日なのである。


―――――


 姉を見送り、マリアベルは自室へ戻る途中で、姉の護衛騎士から声を掛けられる。


「お嬢様、ジュリエット様はどちらにいらっしゃいますでしょうか?もうすぐ殿下が到着されるのにお姿が見えないのです」


「ベン、私は今まで街へ出掛けていたの。お姉様とは会ってないわ」


 マリアベルの言葉を聞いたベンの眉間に皺が寄った。


「マリアベル様、また護衛も付けずに街へ行かれたのですか。女性の独り歩きは危険です。今後は、ご面倒でも自分を呼んでください。お供いたします」


「あなたは、お姉様の護衛でしょう?私のことを心配する必要は無いわ。せっかく目立たない姿で外出しているのに、あなたを連れていたら、かえって人目を惹いてしまうもの」


 マリアベルの発言を受け、ベンは不服そうな顔をする。


 彼は王宮から直接派遣されているジュリエット専属の護衛騎士だ。本来、彼は王宮第一騎士団団員として、王族の警護をするのが主な仕事なのである。また勤務先が王宮ということもあり、第一騎士団が着用している騎士服は他の騎士団に比べて、かなり派手な装飾がついている。それを纏っている大柄な彼が街を歩けば、間違いなく人々の目を惹いてしまうだろう。


マリアベルは、無意識にベンの姿を眺めていた。


「お嬢様、無自覚はお止めください。何かあってからでは遅いのです」


 ベンは、マリアベルに説教を始める。


 その時、マリアベルは、ジュリエットが愛の逃避行をしたことで、もしかすると、ベンが処罰を受けるのではないかと、密かに心配し始めていた。


(まさか、ベンが地方に飛ばされるとか、上官から体罰を受けるとか、そんなこと無いわよね?)


しかしながら、事態を何も知らないベンは、マリアベルの持つ愛らしさを、本人が自覚していないのは危険であると熱弁を振るっている。


 残念ながら、その声はマリアベルには届いていない。


「ベン、あなた急いでいたのではないの?」


 説教モード継続中のベンに、マリアベルは口を挟んだ。


ベンは、ハッと我に返る。


「失礼いたしました。自分は裏庭を探して参ります。お嬢様もジュリエット様をお見かけになられたら、至急、公爵様の執務室へ向かう様、ご伝言をお願いいたします」


「ええ、分かったわ」


 マリアベルは去っていくベンを横目に、二階にある自室へと急いだ。

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