ニルニア物語

@NiR727

第1話 幽霊の見える怜也少年の日々

それは…遡ること27年前だったか。5歳の誕生日を迎え、家族にお祝いされていた時だったか。

窓の外に映る小さな女の子がいた。団地住まいの5階に住んでいたため、不自然ではあったがその目は黒く白目がなかった。

どうも俺は見えるようだ。薄々気付いてはいた。どうも筆者は生まれてから喋り出すまでにかなりの時間を要したらしい。

それまでは何もない空間をただ見つめて笑っては泣いて、泣いては笑ってを繰り返していた。

見えることに苦悩することはそう遠くない話だった―――――――――


幼き頃、奈良県にある母の実家で寝泊まりしていた時の事だった。

深夜2時頃、縁側の窓の外からこちらを覗き込む髪の長い女性が立っていた。こちらを見て嘆くように泣いているように見えた

目からは血を流し、また白目はなくただただ黒い空洞のような目だった。

悪夢かと思ったが、それは現実であった。傍で一緒に寝ていた姉も同じものを見たからだった。

それはとても悍ましく恐怖の象徴だった。また、奈良の母の実家に飾られていたモナリザの模写もこちらを見て嘲笑うかのような

微笑を見せていた。天井には黒い手形のような跡。

それはまるで呪いが立ち込める家のようだった。


母の兄である次男は重度の精神障碍者であった。

また一番上の長男の娘も重度の精神疾患を患っている。

上の姉は若くに肺がんで亡くなっているそうだ。

母は祖父であるおじいちゃんの後妻から出来た子であり前妻は自死により他界している。

何の因果か私も精神疾患を患ってしまった一人、それが怜也。俺だ。

そんな家系で生まれたのが私だった。


父は大阪にある一等地で生まれた。父の祖母はエホバの聖人であり優しき心の持ち主だ。

また祖父は厳格ではあるが、孫の私にはとても優しく、また同時に厳しい人だ。

祖父の信仰は浄土真宗。対する母の家系は天理教であった。

そんな宗教のオンパレードで生まれ育った私は昔から父からも母からも厳しい教えを受けてきた。

間違いを犯せば体罰。当たり前だった。私もそれが普通だと思っていた。

しかし、その当たり前も徐々に自分の心を蝕むトラウマとして植え付けられていくことを当時の自分はまだ理解らなかった―――


当時の私といえば、それはもうやんちゃで大阪の門真市で生まれ育ち

平気で人のものを盗ったり盗られたり、悪さをしては悦んでいた。

それを見かねた両親はいつも厳しかった。

大阪の府営住宅に住んでいた私たち家族が引っ越すのも時間の問題だった。

トラブルばかり起こす私のせいで門真には居られなくなってしまったのだ。

3歳の時に左手の薬指を自動ドアに挟み小さな指はぶらぶらとぶら下がっている。

母は姉に激怒した。「どうしてちゃんと見てくれてなかったのよ!!」姉の舞は6歳。

まだ小さかったが病院に疾る母をひた追いかけたのだった―――


次に引っ越した先が大阪と京都と奈良を結ぶ場所であった。

自然が豊かでまだ開発途中だろうか、家もポツポツと点在していて小学校からは徒歩では遠い場所だった。

そこでもまだ何の善悪の区別もつかない私はトラブルを次々に起こしては、両親と姉を悩ませてきた。

今思えば、本当に悪かったなと思ってる。

小学校では徐々に善悪の判断を覚え、悪い事をしてはいけないのだと教師や友達から教えられた。


その頃、愛犬の柴犬の翔を飼うこととなる。出逢った時はとにかくぷるぷる震えていて可愛かった。

すぐにこの子を飼おう!と親に意気込んで鼻息を荒くしながらおねだりした。

散歩も最初のうちは楽しかった。しかしガキは無責任。すぐに散歩に行くこともやめて自分の都合ばかりを

優先していた。今思えば、殴り飛ばしたいぐらいムカつくクソガキだな。俺。


夜の実家は怖かった。

和室の襖から覗く無数の目。隙間からこちらを覗き込み

上下にゆっくりと動く。

自分の部屋で21時に寝ては必ず深夜2時頃には起きていた。

学習机の下に椅子があるが、絶対に入れないスペースに小さな少年が膝を抱えこちらを見ている。

苦悩した。どこにいても怖い得体の知れない者がこちらをジッと睨みつけている。

俺は布団にくるまり朝まで眠った。


こちらに越してくるのは小学校入学前、俺は桜ヶ丘にある保育所に通うこととなった。

そこでの生活は楽しかった。ブロックをしたり絵を描いたり、自由に過ごしていた。

そこでの劇はキャベツ王子という大役を任された。少し緊張したが、頑張った。


―――1999年。世紀末。怜也が7歳の時だった。

私の大好きなGLAYやL’Arc〜en〜Cielはこの時、全盛期を迎えていた。

XJAPANのhideが世紀末に自殺をして他界した。世界は絶望の淵に落とされていたのであった。

GLAYとL’Arc〜en〜Cielは佳きライバルでGLAYは1日で20万人の観客を席巻し、またラルクは

2日で20万人の観客を動員したのであった―――


小学校1年から3年終わりまではつまらない。ただただ、つまらない日常。

授業中は話を聞かずノートに落書きをずーっと続けていた。絵は好きだった。思い浮かべる理想が現実になる気がして。

小学校に入ると親父が好きなサッカーをやらす為、小学校1年生でサッカークラブに入った。

隣町の強豪校といつも試合をしては負けていた弱小チームだった。

だが、そんな学校から1点も決めれなかった弱小チームが俺と出合少年によって1点を先制する奇跡が起きた。

出合少年がアシストしたボールに怜也少年が蹴ったボールがネットに突き刺さった。

まるでキャプテン翼のような漫画物語。快感だった。サッカーが大好きになった瞬間だった。

しかしそんなサッカーも長くは続かなかった。華奢な身体で体当たりを受けては飛ばされ終いには膝の故障。

スポーツが嫌いになりかけた。

小学校3年の頃だったか、担任が厳しく2日に1回の日記を宿題として出してきた。

めんどくさかった。何も書くこともないのに…ストレスから私は急性胃腸炎を発症し

山城病院で入院する事となった。そこもまたつまらない。ただ線路が敷き詰められた窓の外に

母親が古本屋で買ってくる飛び飛びの遊戯王の漫画やらんま1/2の漫画。

当時、流行っていたゲームボーイアドバンス。ソフトはスーパーマリオのみだった。


でも、母を独り占めしている気がして嬉しかった。

しかし病院に夜は怖かった。一人でトイレに行くのも怖い。両親は交代で寝泊まりして私についてくれた。

トイレの鏡は不気味で必ず誰かが後ろに映っていた。なるべく目をあわせないように俯いて用を足した。

両親の必死の看護もあり私は1週間程度で退院できた。


小学校に戻った私は元気になっていたが免疫力が下がっており、またすぐ再入院することとなってしまう。

病院に逆戻りだ。怖いのになあ…そう思うと憂鬱だった。


そんなこんなで小学校3年で担任と別れ小学校4年の時にはとても面白い教師と出会ったPTAからは総スカンだったが

私は大好きだった。宿題も適当にして見ない。車にはエロ本と蜂蜜の瓶と散乱したペットボトルの山。

何より汗臭かった。それでも面白かった。自由を謳歌させてくれたからだ。

小学校4年でサッカーを辞めてネットを挟むテニスを始めた。

とても楽しかった。硬式だったがネットを越えて相手のコートにボールを叩きつける感覚が快感だった。

その頃はテニスの王子様という漫画が流行っていて怜也少年がのめり込むまでもそう時間を要さなかった。

中学に行ったらテニス部に入ろうと決めたぐらいだった。


あっという間に時は過ぎ5年6年と同じ担任、同じクラスの面子。初恋の女の子ともよく遊んだ。

楽しかった。小学校で一番、絆を感じれた瞬間だった。

そこでであった金子という少年は兄弟が大きく話術も長けていて何より面白かった。

楽しかった。毎日笑っていた。学校に行くのが楽しみで毎日、ルンルン気分で出掛けていた。

そんな喜びも束の間だった。卒業式では号泣した。こんなに楽しいのにもう終わってしまうんだと思うと悲しかった。

給食の味ももう食べれなくなると思うと急に切なくなって合唱では涙を吞みながら大きな声で歌って最期には笑っていた―――


波乱の幕開けの中学。それまで悪さを忘れていた怜也少年も悪ガキの山成と出会い、態度が豹変していった。

ヤツも大阪の出身だがウチとは違い親はお金持ちだった。リビングにはでかい水槽があり、泳ぐ魚の群れ。

ヤツの部屋は悪さを象徴した厳つい物で覆いつくされていた。全てが魅力的だった。全てが怜也少年の心を揺さぶった。


山成は徐にギターを持ち出して俺の前で披露してくれた。エピフォンのレスポールカスタムで掻き鳴らすニルヴァーナの

スメルズライクティーンスピリットとディープパープルのスモークオンザウォーターが人生の幕開けのような

テーマソングに感じた。程なくして日本を代表するロックバンドGLAYの存在をライブDVDを見せてもらって教えてもらった。

筆者は漫画、鋼の錬金術師の影響でポルノグラフィティやL'Arc~en~Cielが大好きだったがGLAYの存在は筆者にとっても

圧倒的だった。元々、私は音楽一家に生まれ姉は3歳でピアノをはじめ20歳に至るまで続けた。

後に生まれる妹もピアノとドラムとホルンを頑張る可愛い妹だ。

母は書道家であるが昔にピアノの先生をしていたらしく娘にはピアノを習わせたいと意気込んでいた。

父は昔、フォークソングが好きで家にはアコースティックギターや私の部屋のクローゼットには何故かエレキギターが置かれていた。

怜也少年が音楽の世界に引き込まれるのに時間は必要なかった。


自宅に帰って直ぐにクローゼットで埃をかぶっているギターケースからTokaiのストラトキャスターモデルのエレキギターを引っ張り出し

夢中で掻き鳴らした。何故か自宅にはギターアンプはなく、ベースがないのにベースアンプがあった

エフェクターもコーラスしかなく当時使い方がわからない私は気持ち悪さしか感じなかった。

あの歪んだジャーンて音が鳴らしたい!訳も分からないままとりあえず、自己流で練習しまくったのであった―――――

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