雛菊

よあめ

第1話

 夏の盛り、暁のころ。世界は涼しげな空色に染まっている。この小さくて広い場所に私だけがいた。

 実体が亡くなり、透明な灰色になった私のからだは今ここで、本当の最期を向かえようとしている。

 しかし、一つの心残りがあった。それは後悔とも呼べるし、考えようによっては復讐と捉えるべきものかもしれない。この最期は私が選んだものだけれど、その過程に大きく関わった貴女にも責任はある。だから私はこの心残りを果たす為に来た。左手に貴女への手紙を添えて。

 

 約束の時間。何処からともなく菫色の風がやってきた。風は私が持っている手紙を、寄こしなさいと言った風に吸い取ろうとしてくる。それに対抗しながら、私はこの数ヶ月の出来事を思い返す。これを離したら、今度こそ私は逝ってしまう。その前に——少しだけ聴いて欲しい。


 私がこんな事をしようと思ったわけを。

 

 

 始まりは数ヶ月前、春が始まった頃だった。ちょうどその日は貴女の誕生日で。私の家で集まって、たくさんお祝いした。くだらない事で何時間もお喋りしたり、一年後のお互いに手紙を書いてみたり。時間が過ぎるのはあっという間で、私は貴女が帰った後の部屋を1日の思い出に浸りながら見渡していた。

 あのノートを見つけたのはその時。綺麗な雛菊が散らしてある模様の表紙で、貴女の忘れ物かと思った。私はこんな柄、選んだことがないから。明日会った時に返そうと思ってスクールバッグに入れた。でもその時、少しだけ中のページがめくれて、そこに書かれていた言葉と目が合ってしまった。

 その一言は見逃すにはあまりにも重くて、鋭くて。紛うことない貴女の字で書かれたそれには、私の知らない貴女が隠れている気がした。

 悩みに悩んだ結果、私はあのノートを読んでしまった。あれは貴女の日記だった。内容は聴いたこと無いことだらけだったけれど。でもあれのおかげで大体のことが知れた。貴女が十年の間私に見せなかった部分。結局のところ、私は貴女の何も知らなかった


 貴女が私の知らないところで苦しんだ事も、

 それが、周りの人に私と比べて蔑まれたり虐められたりしたのが原因だって事も、

 そのせいで消えようとした事も私を憎んでた事も、



——貴女が私を殺そうとしている事、も。



 全部を知った時、どうしようか考えた。貴女と心の底から話し合ってみようか、とか。いっそ知らぬふりで殺されよう、とか。でも辞めた。貴女の何にもなれなかった私の言葉は、きっと貴女の心にはじき返される。かと言って、拭えない罪だけを貴女に塗りつけて消えるのは嫌だった。だから私は選んだんだ。

 

 貴女に殺される前に居なくなる。



 それが、身勝手で救いようの無い、私の出した答えだった。



 ◇◆◇



 決行日の前夜。ベッドに潜ってぼんやりと天井を見つめる。

 貴女の計画は明日、私の誕生日に行われる事になっていた。ならばその直前まで生きていよう。私が死ぬのは明日の朝という事にしていた。そう決めてから今日まで、凡そ5ヶ月。気づけば夏が終わろうとしている。

 

 この5ヶ月間、いつも通り貴女と過ごしながらも、心の隅に拭いきれない気持ちが溜まっていた。自分が死に向かっている事を達観するのとは別の気持ち。ずっと前に捨てたはずなのに、ごみになれない腐った気持ち。

 でも、それが何なのかは結局わからなかった。答えの出ないそれをぼうっと見つめながら、いつのまにか私は眠りについていた。


 翌朝、未明。まだ世界は眠っている。私は人気ひとけの無いビルの屋上に立って、静けさを楽しんでいた。

 

 

 ゴトン。

 近くの駅で電車の動き始める音がした。ああ、もうすぐだ。直に街が動き始める。その前に——終わらせないと。


 靴を脱いで柵の前に立つ。私の前に広がるのは、空色だけだった。ふと、思いつく。最期は、あの空だけを見ながら消えよう。私は体をさっと翻し片手で柵を掴む。

 掴んだ瞬間、初めて自分の手が震えているのを知った。なんで。私が決めたことを私が怖がってどうするの。柵を掴む手は今にもずり落ちそうなのに、私はそれを頑なに離さなかった。どうして。どうせ今日にはあの子に消される命じゃない。それが解ってるから今こうして、全部が終わる前に終わらせようとしているのに。早く。早くして。

 その時、強く風が吹いた。私の身体はあっけなく宙に舞った。空中で見る空は綺麗だ。でも、舞ったのは私の身体だけではなかった。


 季節外れの白い雛菊。

 何処からやって来たかわからないそれは、突然私の視界に舞い込んできた。その時、ふと熱いものが瞳から溢れた。視界が揺れる。そうか。最初から、————だったんだね。迫り来る地面を微かに感じながら、私はゆっくりと、意識を手放した。


 

 ◇◆◇


 青い空の下、一面に広がる雛菊の花。気づいた時には私はそこで立ち尽くしていた。はて。状況が読めない。自分の記憶を必死に手繰り寄せる。宙に舞った身体と、青い空、白い花弁。記憶はそこで止まっていた。私は死んでからここに来たのか。私が訪れたことがある場所なのだろうか。色んな疑問が頭の中を巡る。

 でも、それらは全部、向こうから駆けてきた2人の少女に一掃された。17の私より10歳は下と思しき彼女等かのじょらはこの花畑を楽しげに駆け回っている。それを見てふと引っ掛かる。自分の心の中に閉まっていた暖かい記憶と目の前の光景が一瞬、重なった気がした。

 暫くして、一方の少女が歌を口ずさみ始める。

 途端に、私の中の眠っていた何かが蠢くのを感じた。心の隅で放っておかれた、捨てきれない気持ち。気づけば私は少女と全く同じように歌を口ずさんでいた。


 ふわり ふわり さくひなぎくの


 おはな は まほうのおはななの


 わたし が おそらへきえるとき


 たいせつな ことばひとつ


 あなたに とどけるの


 すみれいろの かぜにのせて


 ももとせにいちどのすてきなまほう


 

 歌い終わってゆっくりと閉じた唇が涙で濡れた。目の前の少女は、紛れもない、10年前の私と貴女だった。

 10年前のあの日、私は貴女にあの花を渡して確かに、そう言ったんだ。その時から決めてた。私が貴女に伝えたかった事——。



 ◇◆◇


 思いの外、長い間思い出に浸っていたようだ。気づいたらつい数時間前の出来事まで思い返していたみたいである。風は依然として力を強め、私の手紙を吸い取ろうと必死だ。


 もう、大丈夫かな。

 私は左手の力を弱める。手紙はあっという間に吸い込まれて行った。これできっと、貴女の元へ届くだろう。

 私の身体は、空へとけて行った。


 ◇


 貴女へ


 最初から 愛していると 伝えたかった



             またね。


 ◇




 



 白い雛菊の花が咲いた。


               


 


 


 

 

 

 




 



 

 


 


 

 


 

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