第29話 料理

 翌朝。普段は休日でも八時には起きる翼だが、昨夜夜更かしをしたせいで今日は十時を回ってしまっていた。

 顔を洗ってリビングへ移動し、コップに水を一杯ついでからソファに腰かける。テレビのリモコンを手に取り、朝のニュース番組を流した。

 政治、事件、スポーツ、天気のニュースが次々に流れていく。今夜は久しぶりに雨が降るそうだ。


「?」


 寝起きから徐々に覚醒してきた頭でニュースを見ていると、すぐ横に置いていたスマホが鳴った。画面に表示されている名前は河島日向かわしまひなた──翼のクラスメイトだ。


「はいもしも──」

『翼! 日曜の花火大会行けるってまじ?!』


 開口一番、元気すぎる声量で食い気味に日向が言ってくる。


「はい」

『おぉぉぉ!! 用事は?! なくなったの?!』

「……そうですね」

『やったぁぁぁぁ!』

「…………」


 無邪気に喜ぶ日向に、翼の良心がチクチクと痛む。

 日向は昨夜翼がメッセージを送ったグループのメンバーの一人だ。少し前に断っていた今年の花火大会に、やっぱり行けることになったという翼のメッセージを見て、すぐに電話をかけてきたのだろう。

 

──もともと用事なんてありませんでしたが……。


 花火大会の誘いがあったのはハルとの一件があった直後で、とてもじゃないけど了承できるような心象じゃなかった。だから、用事があると嘘をついて翼は花火大会を断っていた。

 参加できると言ってしまった今も、ハルとの件を差し置いて遊んでいいのかなという気持ちはある。


──でも。


 このまま一人で家の中で悩んでいても、先へは進めない気がした。


『遠回りに聞こえるかもしれないけど、意外なところでパッと答えに辿り着けたりするんだ』


 昨夜の水野の言葉を思い出す。

 当日花火大会を純粋に楽しめるかはわからない。ただ現状を打破するために、行く価値はあると思った。

 去年も一緒に花火大会へ行ったメンバーと、できれば今年も行きたいという純粋な気持ちももちろんあった。


『当日は絶対浴衣だからね! OK?!』

「OKです」

『はーい! 集合場所とか時間はグループのメッセージに書いてあるから遡って確認して!』

「わかりました」

『じゃあまた! いきなり電話してすまんねー!』

「いえ、ありがとうございました」


 終始嬉しそうに話す日向に、罪悪感が多少薄れていく。

 通話を切ったあとメッセージを遡って集合時間や場所を確認していると、シュポ、と一件メッセージが追加された。


『翼これるのか! やったな!』


 メッセージを送ってきたのは、メンバーの三嶋みしま光樹こうきだった。文章が送られてまもなく、なにかのアニメのキャラクターがグッとサムズアップしているスタンプが続く。

 突然の参加表明にもかかわらず、歓迎してくれる友人たちの反応に翼は顔を綻ばせた。


『続いてのニュースです。いま若者に大人気のIrisが昨夜、新曲のミュージックビデオを公開しました』


 しばらくスマホを眺めていた翼だが、ふと聞こえてきたニュースの音にテレビへと意識が移る。


「……ユウキだ」

 

 テレビの中で、昨日の十八時に動画配信サイトで公開されたというIrisのミュージックビデオが流れていた。

 ユウキをテレビで見かけるたびに、未だにハルの姉であることが信じられない気持ちになる。

 ミュージックビデオのコンセプトは花火×片想い×高校生という青春の代名詞のようなもので、制服や浴衣を着たIrisのメンバーが代わる代わる映り、片想いをする男子高校生への気持ちを歌っていた。


「凄いクオリティ……」


 たった一日で二十万回再生されたらしいそのミュージックビデオは、熱狂的なファンという訳ではない翼でさえ思わずテレビに見入ってしまうほどのものだった。Irisのメンバーはもちろん、共演者、演出、撮影、衣装に至るまでこだわりが詰まっているのがわかる。

 その中でもやはり一際目を引くのはユウキで、不動のセンターである所以がよくわかった。カリスマ性があるというのはまさにユウキのような人間を指すのだろう。

 そんなことを思っていると、訪問を知らせるチャイムが鳴った。


「おはようございます、三上さん」


 鍵を開け、玄関の扉を開けた先にいた雫に挨拶を交わす。今日は昼から夕方までシフトが入っていたのを知っていたので、チャイムが鳴った時点で雫だろうと思っていた。


「おはようございます」


 買い物袋を両手に持った雫が軽く頭を下げる。今日の昼食と夕食の食材だろう。


「ひとつ持ちます」

「え、いやそんな……」


 躊躇ためらう雫の手から、翼は重そうな方を選んで流れるような動きで奪い取る。雇い主側とはいえ、両手に荷物を持った女の子を前に自分は手ぶらで移動するという選択肢は翼にはなかった。


「……ありがとうございます」

「いえいえ」


 うやうやしく言う雫に翼は優しく微笑んで、二人並んでキッチンへ移動した。

 冷蔵庫へ食材を入れていく途中「そうだ」と翼が口を開く。


「今日の昼食、一緒に作らせて貰えませんか?」

「え?」

 

 牛乳パックを手に持ったまま、雫が動きを止めた。


「最近包丁握ってないので、たまには触っとかないと思って」


 望月家では頻繁に触っていた包丁も、慎吾が帰ってきて食事に行かなくなってからはめっきり触る機会がなくなっていた。

 せっかく上達したのに、またゼロからになってしまっては三津に顔向けできない。


「わかりました。じゃあ一緒にやりましょう」

「お願いします」


 快く引き受けてくれた雫に、ほっと翼は息を吐く。


「今日のお昼はハンバーグ、マカロニサラダ、冷奴、豆腐とわかめのお味噌汁の予定でしたが……大丈夫ですか?」

「はい」

「じゃあ早速やっていきましょう」


 雫が自前のエプロンを着用し、翼も昔母が使っていたらしい少し古めのエプロンを見つけて身につけた。


「私はお米をとぐので、翼さんはマカロニサラダに入れる具材を切ってもらえますか? きゅうり、玉ねぎ、ミニトマト、ハムです」

「わかりました」


 炊飯器の釜を手に取る雫を横に、早速包丁を準備する翼。

 まずきゅうりを手に取り、水でサッと洗ってからまな板にセットした。必要なのは半分だけなので、真ん中で切って残しておく分は端によけておく。

 左手で軽くきゅうりを押さえ、翼はきゅうりに包丁を入れていった。厚くなってはいけないと、ゆっくり薄くカットしていく。トン、トン、トン、と子気味良い音がまな板から鳴った。

 きゅうりのカットを終え、用意していたボウルに移していると、雫が別のまな板と包丁を持って隣にやってきた。


「私も一緒にやりますね」


 いつの間にか米をとぎ終えていたらしい雫が、玉ねぎの皮をひと玉剥く。それを半分に割るように切り、薄くスライスしていった。スライスした分の半分はサラダに使い、もう半分は味噌汁に入れるという。


「……速い」


 自分とは比べ物にならない速さで玉ねぎを切っていく雫の包丁さばきに思わず手が止まった。カット一回ごとに包丁が止まる翼に対し、雫の手は少しも止まることなく上下運動を繰り返している。いかにも料理に手慣れているといった感じだった。


「すみません、翼さん。そんな見られると少し恥ずかしいというか……」


 玉ねぎ半玉をカットし終えた雫が、少し気まずそうに眉を下げた。


「あ、そうですよね……すみません」


 翼は謝りながら、慌てて雫の手元から目を逸らす。


「でも、本当にすごいなって。私もそのうち、それくらいのスピードで切れるようになるでしょうか」


 自分がきゅうりを半分切っている間に、雫は米をといで炊飯器にセットし、玉ねぎまで切ってしまった。思い返せば望月家で三津やハルと料理をしていた時も、二人は雫と同じくらい手際が良かったように思う。


「これくらい翼さんもすぐできるようになりますよ」

「本当ですか?」

「はい。最初から速い人などいませんし」

 

 雫は笑顔で頷くと、「あぁでも」と包丁を置きながら続けた。


「翼さんは少し、身体が台に近いかもですね」


 雫は翼の背後に立つと、左手で翼のへその辺りを押さえ、作業台から翼の身体を離すようにその手を引いた。

 翼の背に雫の胸が当たるほど、やや過剰に二人の距離が縮まる。翼の方が少し背は高いものの、身長差というほどの差はほぼない。雫は着痩せするタイプのようで、翼の背にははっきりと柔らかい感触が伝わっているはずだが、料理に集中している翼の意識がそちらを向くことはなかった。


「キッチンとの距離は大体拳一個分が良いと聞きます。足も真っ直ぐではなく、利き足を少し後ろに引いて体を開くとやりやすくなるかと」


 言いながら、雫は翼と作業台の間に軽く握った右拳を目安として挟みこんだ。その姿勢で、翼は試しに包丁を動かしてみる。


「たしかに、さっきより手を動かしやすくなったような」

「ならよかった」


 にこ、と微笑み、雫はゆっくり翼の背から離れる。

 それからマカロニサラダ、味噌汁、冷奴、ハンバーグの順に料理を作っていった。


「挽肉を手に打ち付けるようにして空気を抜いたら、小判型に成形して中央を窪ませます」

「こんな感じですか?」

「うん、上手です」


 肩が触れるくらいの距離で隣に立ちながら、雫が見本を見せ、翼がそれを参考にハンバーグの形を作る。


「翼さんのハンバーグの方が少し大きくなってしまいましたね」


 成形した二つ分のハンバーグを見て、雫が呟いた。雫作のものより翼作のほうが、並んで見るとややサイズ感が大きい。


「私のほうをお父さんの分にしましょう。形はちょっと歪ですが」

「そうしましょうか」


 形なんてソースをかけてしまえばわかりませんよ、と雫が続ける。

 雫の言葉通り、火を通してソースをかけてしまえば、二つのハンバーグの外観にサイズ以外の差は感じられなかった。


「できた……!」


 一通り揃った料理たちを見て翼が目を輝かせる。


「お疲れ様でした」

「三上さんこそ……というか、私に教えながらやってたせいで余計に時間と手間かかってしまいましたよね」


 すみません、と謝ると、いえいえと雫は人のいい笑みを浮かべた。


「一人で料理してもつまらないですから。またいつでも声かけてください」

「! ありがとうございます」


 仕事で来ている雫に今回の申し出は迷惑かと思っていたが、そう言ってもらえて翼は少し安心する。もちろん言葉通りに受け取って頻繁に声をかけるようなことはしないが、それでもたまにはこうして一緒に料理をしてもらうのもいいかもしれない。


「お父さんにこれ、持っていってきますね」

「わかりました」


 お盆に載せた一人分の料理を持って、冷めないうちにと翼はリビングを出ていく。

 自分の手料理を父親に振る舞ったのなんていつぶりだろうと、やや歪で大きめのハンバーグを見ながらふと考えた。けれど思い出せるのは幼い頃に母親とカレーかなにかを作った曖昧な記憶で、下手したら十年以上経っているかもしれない。


「お父さん、翼です」


 お盆が傾かないよう気をつけて持ちながら、慎吾の仕事部屋をノックする。


「昼食持ってきました。入ってもいいですか?」


 しっかり声を張って、扉越しに簡潔に要件を伝える。

 しかししばらく待っても、返ってくる声はなかった。


「………………」


 もう一度ノックをしようか迷って、翼は途中まで上げた手を降ろした。


──タイミングが悪かったみたいですね。


 周りの声が聞こえなくなるほど慎吾が執筆に集中していることは珍しくもない。きっと今は何度声をかけても無駄だ。中に入って直接渡しても「今はいい」と言われるだけだろう。


 翼は諦めて、慎吾の部屋の前から撤退した。


「あれ、どうしたんですか?」


 お盆を持ったままリビングに帰ってきた翼を見て、雫が首を傾げる。


「今はちょっと、タイミングが良くなかったみたいです」

「……そうですか」


 それだけで雫は何があったかを察してくれたようだった。

 行き場を失った料理を翼は一旦食卓へお盆ごと置く。ある程度冷めたらラップをして冷蔵庫に入れようと思っていたが、まだハンバーグや味噌汁から湯気が立ち上っているのを見て、なんだか勿体ない気持ちになった。


「……三上さん、これ食べませんか?」


 少し考えたあと、翼は洗い物をしようとしている雫に言った。


「え、でも……」

「あの状態のお父さん、まともに食事取らないので……このままじゃ多分、明日までこれが冷蔵庫から出ることはないかなと」


 今日の慎吾は昼も夜も食事を取らない可能性が高い。良くて糖分摂取にチョコレートを食べるくらいだろう。十六年慎吾のことを見てきた翼は、父親の性格をよく理解していた。


「お昼跨ぐシフトの時、三上さんが持ってくる昼食いつもパンですよね。せっかく作ったしまだ温かいから、良かったらこれどうかなって……」


 そこまで言ったところで、翼は「あ、」と気づいたように言葉を区切る。


「すみません、押し付けがましかったですよね。食べてもらうにしても、三上さんが自分で作った方が形綺麗だし……」

「いただきます」

「え?」

「翼さんが作ったほう、食べてもいいですか?」


 穏やかな表情でそう言われ、少し驚いてから翼は頬を緩ませた。


「……ありがとうございます」

「私がお礼を言いたいくらいですけどね」

「え?」

「なんでもないです」


 ぼそぼそ呟いた雫の言葉を翼は聞き取ることができなかった。

 向かいあって席に着き、いただきますと手を合わせる。

 同じ焼き具合、同じソースで変わらない味のはずなのに、雫が自分の作ったハンバーグを口にするまで、翼は少し緊張していた。


「……うん、美味しい」


 だから雫がそう呟いたとき、安堵と同時に嬉しさが込み上げてきた。


「良かった……」

「翼さんも食べて。美味しいですよ」


 雫に促されて、翼も形のいいハンバーグを一口頬張る。

 雫の指示通りに作ったハンバーグは、自分が調理したとは思えないほど美味しかった。


「先生に食べてもらいたかったですね」

「え?」

「料理を持ったままリビングに戻ってきた時、翼さん、悲しそうだったので」


 なんて事ない口調で雫が言う。先生とは慎吾のことだ。雫にとって慎吾は雇用主や翼の父親というより作家という印象が強いようで、慎吾のことを先生と呼んでいる。


「本当ですか……」


 まったく自覚がなかった翼は目を何度か瞬かせた。


「十六にもなって私、子供っぽいですね」

「そんな事ないですよ」


 はは、と乾いた笑いを零す翼に、雫は即答する。


「一生懸命作った料理を、親に食べてもらいたいと思うのは普通のことです。私の父も家庭より仕事を優先するタイプなので、気持ちはよくわかります」

「……そうだったんですか」


 淡々と告げる雫が、自分と同じような境遇であることに驚く。


「会社に泊まることなんてしょっちゅうですし、休みの日も家で持ち帰りの仕事して……昔から、同じ家にいる他人みたいな感じでしたよ」

「同じ家にいる他人……」


 雫のその表現が、今の自分にとっての慎吾を説明するのにピッタリとあてはまった。


「私の父も、まさにそうです。同じ家にいるのに、他人のような……」

「じゃあ私たち、仲間ですね」


 雫は悲観的な様子を一切見せず、穏やかに笑った。

 自分と雫はきっと、同じような寂しさを経験してきただろう。その事実だけで、沈んだ気持ちが少し楽になった。

 

「そうですね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る