第17話 再会
「――はい、そこのお嬢さん。ちょっとお待ちなさい」
遠くから響く声。
――誰……?
聞き覚えのある声と口調。この優しげだが人をおちょくるかのような話し方は、あの人しかいない。
「そうでないと、君の可愛らしい身体を傷付けなくてはいけなくなる。それがツラい――と、隣の大男が言っているけど?」
――典兎さん? しかも、弥勒兄さん付き?
背後から聞こえてきた声は典兎さんのものだ。だとすれば、彼の台詞に出てきた大男とは、弥勒兄さんだとしか考えられない。
――助けに来てくれたの?
私の心に感謝と申し訳ない気持ちがじんわりと広がっていく。
「そのキーホルダー、結衣が作った物だろう?」
――え? どこ?
自由な目を彼女に向けると、背負うように持っていたスポーツバッグからキーホルダーが顔を出していた。
――青い小鳥のマスコット……。
それは弥勒兄さんが指摘するように、私が彼女にあげたものである。
「だからなに?」
コノミは私の身体に腕を回し、さらに拘束をきつくした。私を盾にするつもりなのだろう。
「気に入っているから、着けているんだろう? ここでお前が結衣に怪我を負わせるようなことをしたら、それを見る度に思い出すことになるぞ」
「そ……そのときは外すよ!」
コノミの戸惑う声。
「どうかな?」
弥勒兄さんの声には威圧感がある。普段聞く声とは別物だ。
「実際に直面してみないとわからないよ」
コノミがすっと息を吸って気持ちを整えているのがわかった。この距離は彼女の息遣いをはっきりと感じられる。
「そうしたらどうなるか、わかるだろう?」
怯えているのが、彼女の身体が震えたことで伝わってくる。
――なんか弥勒兄さん、すっごくお怒りのようなんだけど。
「虫除け程度のものじゃ済まさねぇぞ」
声は淡々としているが、それは脅しである。私に向けられた言葉ではないのに、それでも恐ろしく思えるほどの怒りの感情が込められていた。
「それはもう克服したもん! 怖くなんかないよ!」
「そうか……交渉決裂となったのが残念だ」
がちゃがちゃと瓶がぶつかり合うような音がする。コノミと抱き合うような状態になっている私の位置からは二人の姿が見えず、彼らが何をしているのか音からしかわからない。
――えっと、私はどうしたら……?
「――あー、親切だと思って言っておくけど、今日のミロクは不眠で気が立っているから加減しないと思うよ?」
典兎さんの苦笑まじりの助言。
――何が始まるの?
そもそも、割り込んできたはずの二人はこの状況に対して動じた様子はない。ケンカの仲裁に入ったような感じである。私からはコノミが異形のモノに見えるけれど、典兎さんや弥勒兄さんからはそう見えていないということだろうか。
――だとしたら、私の身体に巻き付いて離れないこれらの蔓はどう見えているんだろ? 私が金縛りにあっているように見えるのだろうか?
「――さあ、お仕置きの時間だ」
弥勒兄さんの低い声が道路に響き渡る。それと同時にレモングラスの香りが一面に広がった。
「ひっ!」
コノミの短い悲鳴。
「結衣ちゃん、あんまり吸い込まないようにしてね」
典兎さんの声がやや遠くから聞こえる。
「す、吸い込まないようにって……?」
何が起こっているのかさっぱりわからない。今朝、弥勒兄さんがくれた匂い袋と同じ香りに包まれていることだけは理解できる。
「ゆ、結衣を巻き込んでいるけど、そんなことしていいのっ!」
焦りの感情を隠すことなく、コノミは弥勒兄さんがいるだろう方向に叫ぶ。
「結衣はそこまで弱くない。耐性はあるはずだ」
足音がこちらに近付いてくるのがわかる。普段の歩き方よりもずっしりしているような音だ。
「――あ! あのポプリ、まさか……」
コノミは悔しそうに顔を歪め、私を抱き締めたままじりじりと後退する。
――まぁ、私からすれば前進なんだけど。
「葉子の入れ知恵ではあるがな」
地面を蹴る音。着地音は私のすぐ後方。一気に間合いを詰めたようだ。
――えっと……、話についていけてないんですが?
彼女のいうポプリには、典兎さんが私にくれたバラの香りを中心としたポプリも含まれているのだろうか。
よーちゃんは弥勒兄さんと典兎さんに同じ依頼をしたようだった。そう、ポプリを作って私に渡すように、と。それで彼らは私にポプリを用意してくれたのだ。
――ん? その認識はどこまで合っているんだろ?
誰かに解説してもらえないかなと思っていると、後ろからガシッと肩を掴まれた。典兎さんにからかわれていたときに、弥勒兄さんが私を引き離そうとしたことがふと脳裏をよぎる。
身体が大きく後退して、弥勒兄さんの大きな胸に背中を預けた。
「結衣、手を出せ」
言われるままに、私は自由を取り戻した手を弥勒兄さんに出す。
「おい、ミロク、まさか――」
典兎さんが止めようとしたけれど、その前に私の手のひらに何かが転がりこんできた。なお、蔓が私を離すまいと蠢いている。
「念じてみろ」
戦闘中のなので手の中に何があるのか確認できない。ただ、小さくて細長くて硬いなにか――小石のような物を渡されたことはわかった。
「念じるって何を?」
「葉子だと思って呼び掛けろ」
状況がわからない。よーちゃんだと思って呼び掛けろってどういう意味だろう。
私は渡された物を落とさないように気を向けつつ、弥勒兄さんが後退するのに合わせてコノミから徐々に離れた。
「ばかな、葉子は処分したはずっ」
動揺と苦痛の入り混じる声でコノミが言う。私の手を狙って蔦が伸びてくるのを、弥勒兄さんに引っ張られて回避した。
「そう簡単にやられるような葉子じゃないんだよ」
「よ、呼び掛ければいいんだよね! やってみる!」
とはいえ、集中できるような状況ではない。コノミの攻撃はレモングラスのダメージで浅く私でも充分に見切れるが、邪魔ではあるのだ。締めつけられていたこともあって私の身体はうまく動いておらず、もたついていると弥勒兄さんに横抱きにされた。視界が高くなる。
「これで集中できるか?」
「これは別の意味で――ううん、弥勒兄さん、ありがと」
ドキドキするし、ちょっと恥ずかしい気持ちはあったけれど、そんなことよりよーちゃんである。
――やるしかないし。私はよーちゃんに会いたいよ! 助けて欲しいからじゃなくて、私のせいでよーちゃんに迷惑をかけちゃったから。ちゃんと顔を見てお話しして、謝りたいんだ。
だから、お願い。届いて、私の気持ち。
手のひらに熱が宿った。次第に鼓動が感じられるようになる。
「な、なに?」
私がびっくりして目をぱちぱちとしている間もその勢いは衰えることなく、むしろ増していく。
光が一面を駆け抜け、次に目を開けたときには少女が私たちの前に立っていた。オレンジ色のワンピースを着ている、長い髪を結わずに下ろしたままの美少女は――。
「――あぁ、エライ目に遭ったわ……」
「よーちゃん!」
いきなり現れたよーちゃんに声をかける。
「あれ? 結衣――って、ちょっと! 兄さん!」
よーちゃんの焦る声。そんな姿は滅多に見られない。
「よう。戻って来られたようだな」
私を丁寧に地面に下ろすと片手を挙げ、弥勒兄さんはごく自然な様子で挨拶をする。典兎さんは少し離れた場所からこの状況に困惑するような顔をして近寄ってきた。
「さわやかに言うところじゃないわ! てっきり私は――」
「いや、俺でもテントでもお前を呼べなかったんだよ」
面倒くさそうに弥勒兄さんは頭を掻いて視線を反らす。
「――再会を喜んでいるところ申し訳ないんだけど、まだこっちは取り込み中なんだけどなっ!」
レモングラスの香りがやわらいできたからだろう。コノミが手を動かすと多数の蔓が私たちに向かってくる。
「あら、同じ手は通用しないわよ」
よーちゃんは不敵に笑う。するとよーちゃんの影から大きな緑色の蜘蛛が現れて、伸びてきた蔓をあっさりと断ち切った。
「っつ!」
蔓を切られると痛むらしい。コノミは顔を歪ませて大きく後退した。
コノミと私の間によーちゃんが立つ。
「もう諦めなさいな。結衣は私が守るもの」
「そうやってあんたが甘やかすから、街が消滅し掛かっているんじゃない! わたしは悪くないし、やれることやってんのよ!」
物騒な言葉が飛び交う。
――街が消滅?
「そんなに深刻なのか?」
コノミは弥勒兄さんをキッと睨む。
「そうだよ! 葉子と一緒にいる時間が長かったわりには力の収束のさせ方もろくに知らないし。もうちょっと感情を抑えることができてもいいんじゃないの?」
そう答えると、ビシッと私に向かって人差し指を向ける。
「せっかく、気を紛らわせるために女のコが興味を持ちそうな話題を振ってみたり、わたしに注意を向けるように頑張ったのに全部空振りなんだよ! さすがにこっちもキレるってもんだよ!」
――あ、そんなことで私、消されかけた?
理不尽な、そう思ったが考え直す。
――いや、私が存在することで街が滅びるのが本当なら、コノミの行動は正義とも言えるかな?
コノミの勢いにのまれているのか、どうも思考がうまくまとまらない。
「キレたと言ってもやり過ぎだ」
はあ、と大きなため息を弥勒兄さんはつく。
戦闘は中断して、話し合いに移行したようだ。
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