第16話 交錯する想い
活動内容を訊きに来た一年生たちに部活の活動日や必要な道具などの説明をしているうちに下校時刻になった。
被服室の戸締まりを確認して昇降口に行くと、そこにはコノミがいた。彼女もこれから帰るところらしく、上履きを下駄箱にしまっているところだった。
「あれ? 先に帰ったんだと思ったのに」
私が声を掛けると、コノミはこちらを見てにこりと笑った。
「偶然だね! 手芸部に行っていたの?」
被服室のある管理棟に続く渡り廊下のほうから現れたせいだろう。
「うん。新入生に説明してきたところ。――コノミはどうしたの?」
彼女は帰宅部のはずだ。こんな時間まで学校に残っていることはそんなにないと思うのだが。
「図書室で調べモノだよ。ちょっと気になることがあってね」
「ふぅん」
私は下駄箱から靴を取り出して上履きをしまう。そろそろ校内放送が掛かる時間だ。
「結衣、途中まで一緒に帰ろ?」
互いに靴に履き替えたところでコノミが誘う。
「うん! もちろん」
誘われなくてもこちらから声を掛けるつもりだったし、コノミから断られない限り、駅方面と私の家方面とに別れる十字路までは一緒にいるつもりだった。
私の返事にコノミは笑顔で応える。
そこで下校時刻を報せる放送が掛かった。私たちはそれに合わせるかのように学校を出る。
朝降っていた雨は完全に上がり、地面はすっかり乾いている。校舎を出たところで傘を置いてきたことに気付いたが、特に問題はないだろうとそのままにすることにした。
どうやらコノミは元気を取り戻したらしい。校門をくぐると聞き慣れてきた恋愛マシンガントークが炸裂する。
知らない女のコの名前や男のコの名前が次から次へと出てくる。校外に彼氏彼女を持つ人もいるようで、その学校名や人物名がぽんぽんと出てくるのには本当にびっくりだ。
――どんな方法を使ったらこれだけの情報が集まるんだろ?
私はそれが不思議でしょうがない。遅刻ギリギリに登校している様子や休み時間の過ごし方からは、学校で情報収集をしているとは思えない。放課後も比較的すぐに帰ってしまうようなので、やはり学校で聞いているわけではないのだろう。
不思議に感じながらも、なんだか知ってはいけないような気がして、私はずっと訊けなかった。
「――そうそう。二組の大崎君、同じ二組の上野さんにコクられて付き合うことにしたらしいよ!」
「え?」
二組の大崎君といえば、よーちゃんに告白して振られた一年の頃の同級生だ。
「振られて傷心気味だったところに告白されたら、やっぱりオーケイしちゃうものなのかな? 二組の上野さんって、烏丸さんとは全然違うタイプだよ。知ってる?」
私は首を横に振る。同じクラスの生徒か部活で一緒の人しかよく分からない。
「そっか。上野さんって可愛いって感じのコだよ。きゃぴきゃぴしているっていうか。それに比べて、烏丸さんは美人系のミステリアスな雰囲気だもんね。大崎君の趣味はわからないよ」
納得のいかない顔をして腕を組む。
「試しに付き合ってみようって思っただけじゃないの?」
私は深く考えずに意見を言う。
「でも、そういうのって、告白した側からすると嫌じゃない?」
興味津々の様子でコノミは問いで返す。
「そう? よく相手を知らないのにすぐに断るのも失礼だと思うんだけど」
他に好きな人がいると言うならば断ってほしい。でもそうじゃないなら、告白するのにたくさんの勇気を使った分だけ、少しでも甘い想いをしたい。
――うーん、漫画を読んでいるときにはそう感じたんだけどなぁ。
今の自分の状況がふと重なる。
――よーちゃんには付き合えば良かったのにと言ったくせに、私ってば……。
他人のことだと思えば無責任なことを言えるものだと感じ、深く反省する。そういう面でもよーちゃんは大人だなぁとつくづく思う。
「あぁ、なるほどぉ。場合によるかもね」
私がしみじみと振り返っていた一方で、コノミは何か気付いた点があったらしく、大きく頷いて言った。
「場合に?」
何が彼女の中で決着がついたのか分からず、私は首をかしげる。
「告白って、精一杯相手にアピールしたあとでするものだと思っていたから」
――ってことは、コノミは弥勒兄さんにアプローチしたことがあるのかな?
胸の奥でモヤモヤとしたものを感じ取りながら続きを待つ。
「そうなると、告白するときには自分のことを相手が知っていて当然ってことになるでしょ?」
「ふぅん……」
恋愛通のコノミの意見に、私はいろいろと思うところがあったが、それきりにした。分かれ道となる十字路に到着したのだ。
「――だから、好きでもないのに付き合うなんて、信じられないんだよ」
ぼそりと呟かれた低い響き。一瞬誰の声かわからなかったが――。
――コノミ?
私がコノミの横顔を見ると、暗く冷たい表情をした少女がいた。
「結衣? あなたはわたしといて楽しいと思ってくれてる?」
私の知らないコノミがいた。
「思っているよ?」
――なんでそんなことを訊くの?
「わたしのこと、好き?」
十字路に来ると立ち止まり、彼女は暗い瞳をこちらに向けた。
「好きに決まっているじゃない」
「じゃあ……――烏丸葉子とどっちが好き?」
「――え?」
私は言葉を詰まらせる。
――よーちゃんとどっちが好きかって?
「答えてよ」
彼女がいつも見せてくれる明るい笑顔はそこにはない。
――私、何か気に障ることを言っちゃったかな?
「そ……それは……」
じっと私の目を、真意を探るように覗き込んでくる。
――だってよーちゃんは私にとって特別な存在なんだよ?
「答えられない?」
彼女は口の端をきゅうっと上げて笑う。目は笑っていない。
「そりゃそうよね。あんたは烏丸葉子を誰よりも一番大切に想っているんだもの。わたしにこんな感じで迫られたら、黙るしかないよね?」
「な……何が言いたいの? コノミ……」
コノミは私のあごを指先でなぞる。
「わたしは彼女と同じようにしたつもりだったんだけど、あんたには違ったみたいね」
――あれ? 身体が動かない……。
コノミから感じ取れる殺気から逃れたいと思うのに、身体が言うことをきかない。
「…………」
声を出そうと口を開くが、そこから漏れるのは空気だけで音はない。
「あなたが葉子に向ける想いを自分に向けさせようとあんなに努力したのに、全然うまくいかなかった」
――何のこと?
言っている意味がわからない。
「葉子の名を出したらすぐに反応するのにね、不公平だよ」
彼女の背後に緑色のモヤモヤとしたモノが膨れ上がるのが見えた。
「――あ」
私の視線がコノミの後ろを見ていたからだろう。私から指先を離すと肩口から背後に目を向ける。
「なんだ、結衣はこれが見えるんだ」
なんでもないことのようにコノミは言う。
――コノミにも見えているってこと?
次から次へと話が転がるせいで、私は混乱しつつあった。本能的にコノミから離れるのが精々私にできたことだ。
「見えていたなら言ってくれたら良かったのに。何で言ってくれなかったの?」
「また……嫌われると思ったから……」
よーちゃんとの約束もある。不用意に私が見える彼らの話はしないという約束が。
その約束を破ることは、そばにいてくれる人たちを失ってしまうこと、そばに来てくれた人たちを遠ざけてしまうことに繋がる。何よりも、この約束はよーちゃんと交わした初めての約束だ。それを破ったと知ったら、彼女はどう思うだろうか。どんな行動をするだろうか。
「嫌われるって? どうして?」
「前に話したら、みんなが私を変なコだって……」
みんなは私を遠ざけた。嘘つきだと言った。
「大丈夫だよ。そのときはわたしが守るから」
「!」
「ずっとそばにいるから」
コノミは私にすっと手を差し出す。
しかし私はその手をすぐには取らなかった。
「クラスのみんなが結衣を除け者にしようとしても、わたしはそばに残るよ?」
クラスメートから冷たい視線を向けられたとき、コノミは私をかばってくれた。まわりの意見を訂正して守ってくれた。
――だけど……!
「――ううん、嬉しいけど、それじゃいけないんだ」
私は彼女の手を取らない選択をする。
差し出されたコノミの手が震えているのがわかった。
「なんでよ! 葉子には求めるくせに!」
彼女の背後にあった緑色のスライムが大きく膨張し、こちらに向かって襲いかかってくる。あまりにもとっさのことで避けきれない。
――助けて! よーちゃん!
「――そうそう。葉子ならわたし、処分したから。もう帰ってこないよ?」
――よーちゃんは……戻らない?
胸の奥底で何かが湧き上がったのを感じた。
「よーちゃんに何をしたのっ!」
私が怒りに任せて怒鳴ると、緑色のスライムが四散した。湿った身体は、しかし地面に跡を残すことなく消え去ってしまう。
コノミの驚きで目を見開いた表情が目に入った。
「なっ……どうして? 守られてばかりのはずじゃ……」
動揺しているようだ。彼女はこちらを見つめたまま、一歩後ろに下がった。
「コノミっ! よーちゃんを処分したって言ったけど、どういう意味? 彼女は病気で寝込んでいるんじゃないの?」
「――ふふっ」
私の問いに、コノミは視線を一度足元に向けると不敵に笑む。
「結衣? いいことを教えてあげるよ」
「よーちゃんは今、どうしているの?」
今はただ、よーちゃんの安否を知りたい。病気ではないのだとしたら、一体彼女はどうしているというのか。
――烏丸家の面々が私に嘘をついているってこと? でも、どうして?
しかし、コノミが告げたのは思いもしない告白だった。
「烏丸葉子は人間じゃないよ?」
――よーちゃんが……人間じゃない?
「嘘だ! そんなデタラメを言うなんて酷いよ!」
よーちゃんには不思議な力があるけど、それでも私と同じ人間だ。私だって、みんなには見えない奇妙な生き物を見られるのだから。
「デタラメなんかじゃないよ? ――だってわたしも彼女と同じ、スペクターなんだから」
妙に冷めた声でコノミが言うと、彼女の姿がぐにゃりと歪んだ。
――スペクター?
フラワーショップの名前ではなくって、別の意味としてどこかで聞いたことがある。
『――キミの寂しさはスペクターを呼び寄せる』
脳裏によぎる声。この台詞を聞いたのはいつだったか。
――そうだ。この台詞は、私とよーちゃんが出会ったときに、彼女が告げたこと。その日以来、スペクターなんて単語は聞かなかったから、記憶違いか聞き間違いだと思って特に考えなかったけど……。
「葉子はもう少し様子を見るべきだって言ったけど、もう待ってはいられないよ! 結衣がわたしのことを想ってくれないなら、ここで消えてちょうだい!」
苔のような質感の肌に包まれたコノミは、さっきまで右腕であった部分をこちらに素早く振り下ろす。瞬間、指先が蔓に変化し私へと伸びてきた!
――な、なんなの?
全くよくわからない。夢を見ているのではないかと錯覚する。
――それに、なんで人も車も来ないの?
なんとか最初の一撃をかわすと、私は自宅に向かって走り出す。それでやっと街の異変に気付いたのだった。夕方のこの時間帯にしては静かすぎる――いや、人の姿が全くないのだ。緑色のスライムに襲われた日の放課後、教室にもその廊下にも人がいなかったのに似ている。
「コノミっ! なんで? 私たち、友だちでしょ?」
続いて繰り出されたコノミの左腕からの攻撃も寸前でかわす。全力で走っているが、コノミとの距離は拡がらない。
「友だちだからだよ?」
「へ?」
コノミの気持ちがますますわからなくなる。
右側と左側から同時に蔓が迫ってくるが、これもギリギリかわせた。だが、次の攻撃が足元に伸びている。
「結衣は鈍感なんだよ! 葉子や烏丸弥勒たちに護られている状況を当然だと思っているでしょ?」
「そ、そんなことないよ!」
――弥勒兄さんが私を護ってくれている?
伸びる蔓を再びかわしきると、その蔓はすぐに縮んで腕に戻る。
「少しでもそれを理解してくれていたら、少しでも自分でどうにかしようとしてくれていたら、わたしがこんなことをしなくてもよかったのに!」
一体何のことを言っているのだろう。どうして私を消そうとするのだろう。
「落ち着いてよ! もうやめようよ!」
走りながら振り向いてコノミに向かって叫ぶ。
「あんたが消えてくれたら、やめてあげるっ!」
彼女には私の想いが届かないようだ。怒りに満ちた顔をこちらに向けているのが目に入った。
「だったらよーちゃんに会わせてよ! どうしているのか知っているんでしょ!」
「だから処分したって言ったでしょ? 大体あんたが悪いんだからね! そうやって葉子を頼るんだもん」
言って、コノミは笑う。
――ゴメンね、よーちゃん……。私のせいで……。
「なんでそんな顔をしているの? よく考えてみなさいよ。葉子はあんたに隠し事をしていたのよ? 裏切られたとは思わないの?」
――隠し事。
コノミの指摘に、私の足は自然と減速した。
それを待っていたかのように、彼女の指先が変化した緑色の蔓が私の四肢に巻き付く。
「あっ……」
絡まる蔓に足を取られ、私はアスファルトの上に転がる。肩に掛けていたスポーツバッグが道路を滑って離れてしまった。
「捕まえたよっ!」
すでに私は身動きが取れなくなっていた。転がった勢いで横向きになった私の視界に、夕陽に照らされて赤黒く見えるコノミが入ってくる。
「ほんと、どうしてあんたは葉子ばかり考えるの? わたし、よくわかんないよ」
蔓が首に巻き付いてきた。温もりを持つその蔓の感触がとても気持ち悪い。
「――よーちゃんは怖かっただけなんだと思うよ?」
一生懸命視線を上げて、コノミを見る。首もよく動かせないが、なんとか彼女の表情は覗けた。
「は?」
「よーちゃんが私に隠していたのは、私がそれを知ったら離れて行ってしまうんじゃないかと不安だったからじゃないのかな?」
――よーちゃんが私を裏切ったなんてどうしても思えないよ。だってよーちゃんは……。
「それはあんたの勝手な想像でしょ? 自分に都合が良いように脚色しているだけだよ」
「ううん、違うよ」
鼻で笑うコノミを前に、私はきっぱりと断言する。コノミが返してくる前に私は続けた。
「私がこの瞳のことを隠していたのと同じことなんだよ。友だちを失うのが怖いから、言えなかったんだ」
「そう? ――それなら、あんたは葉子に見くびられていたってことよね。正体を知られたら、そばにいてくれない相手だと思われていたんでしょ?」
コノミは私に哀れみの視線を寄越す。
『あぁ、なんて可哀想なコ』
その瞳は誰から向けられてもツラい色を持っている。何度も何度も私はそれを見てきた。その度によーちゃんに助けを求め、慰めてもらった。
――だけどね。
私が彼女を求めたのは、彼女が優しかったからでも、甘えさせてくれるからでもないのだ。彼女がいつもそばにいてくれたからでもないのだ。
――それだけじゃ、私たちは一緒にいられないんだよ?
真っ直ぐに私はコノミを見つめて答えた。
「よーちゃんは、コノミが思っているほど強い女のコじゃないよ?」
「!」
絡まっていた蔓が緩んだ。私はその隙に上体を起こす。
「よーちゃんは、自分の弱さをわかっていたから、私のそばにいてくれたんだよ? そうじゃないと、こんな私のそばにずっといてくれるわけがないもの!」
「な、なによ、それ……!」
蔓に再び力が込められる。
「うぅっ」
腕を動かして、首に絡まる蔓だけでも外そうとしたが、手を伸ばしたところで阻まれる。
――苦しい……!
「……コノミ……もうやめようよ……」
私は動ける範囲でコノミに手を伸ばす。
――お願い、コノミ。こんなことは無意味だよ。
視界が薄らいできた。輪郭のない赤い世界が広がっているように見える。
――ここで私を殺してしまったら、あなたは……。
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