報酬は要らない。代わりに俺の性癖を満たしてくれ!第一部
たんぼ
序章
王歴元年、大陸オリンシアの中央に王都アレキサンドリアを築き、軍事及び政治的中枢を設けた人間族は、勇者アレックスによって魔王が滅び、ヒトの手でオリンシアに平和がもたらされたことを高らかに宣言した。
彼らは自らを特権階級の一員として位置づけ、他の種族を支配しようと画策した。その手始めに軍隊を組織し、後年『魔物狩り』と呼ばれる、魔王に付き従っていた魔物たちの掃討作戦を開始した。この作戦はエルフ族やドワーフ族、好戦的なバーバリアン族や竜人族をはじめとする、他種族から歓呼の声で迎えられた。作戦は反乱分子を排除し、オリンシア全域の治安を確立すると喧伝された。しかし内実は、敵意を抱いている魔物その個体を排除するものではなく、魔物の種そのものの抹消を目的とした作戦だった。
当初は好意的に受け取られた魔物狩りだったが、実情が分かると他種族からの非難が相次いだ。批判の声は日に日に増していき、苦情の手紙は後方勤務の書記官全員で当たっても対処しきれない量となった。また魔王に与していた訳でも、魔族であった訳でもなく、面と向かって作戦を非難したという理由だけで殺されてしまう者もいた。
『魔物』というのは、人間族以外の種族を示しているのではないか。
疑念は確信に変わる。個体数が少数しかいない種族が、人間族に対し反発した。その種族は、魔族との戦争で、生き残りが少なくなっていた。そのことが仇となって、人間族に滅ぼされたのだ。この話がオリンシア方々に暮らす種族へ伝わると、彼らは鼻白んだ。同族は誰も魔王の手先となって働いていなかったと、自信を持って主張できる者はいない。家族や友人ならともかく、それ以外の同胞の足取りを完全に把握することなど不可能だったからだ。
竜人族を筆頭として他種族の人間族への不信感が募り、人間に対する敵意は着実に醸成されつつあった。凄惨な時代を生き延びた人々は敏感にこれを察知して、直ちに魔物狩りを中止するよう勇者王アレックスに嘆願した。アレックスは彼らの願いを聞き入れ、軍部に掃討作戦の中止と、オリンシア全域からの撤兵を命令した。命令が完遂され、将兵たちがアレキサンドリアに残らず還ったその直後、勇者王アレックスは病に斃れた。魔王を滅ぼし、オリンシアにかりそめの平和をもたらした王者の治世は、一年にも満たなかった。
アレックスの権威で、鎮火していた魔物狩りの炎は再びくすぶり始めた。アレックスの仲間であり、今生において至高の魔法使いと名声のあったエルフ、ラナリアは、魔王討伐に向かう道中「人の恨みはかくも消えないのか」と独白したことがあるという。それは、魔王軍によって家族を惨殺された、アレックスの心情を察しての発言だったとされる。彼女は魔王との戦いで死亡し、アレックスの憎悪はラナリアの血が混ざったことで更に増大していた。アレックスの憎しみが、その後どのように、彼の精神の波の中で処理されたのか誰も知ることはできなかった。
ラナリアの言葉はアレックスを救世主と仰ぐアレキサンドリア軍にも当てはまった。アレックスと同様、将兵の多くも憎しみや恨みを抱き続けて生きてきたのだ。彼らの、仇敵の血を望む意志は、そう簡単に消えるものではなかった。
王歴一年、魔物狩りの炎がオリンシアの緑豊かな世界を再び包んだ。作戦に参加していた将兵たちは、アレックスによって憎悪を無理やり抑えつけられ、それに耐えなくてはならなかった。だが彼らの感情を抑制していた者は死んだ。心の内で煮詰まった意志が、他者への暴力となって外界に具現した。そこには倫理や他の生命を尊ぶ心はなかった。血の臭いと臓物の腐臭、剣戟の音が支配する闇の世界であった。将兵たちは本能のままに剣を振るい、矢を放ち、肉を切り裂き、踏み潰し憎むべき敵の血を全身に浴びた。彼らを邪魔する者は何者であろうと問答無用で処刑された。その中には同じ人間の姿もあった。
この間、アレキサンドリア軍への敵意を表明していた種族の者たちは、ことの成り行きを見守っているか、身の安全の確保するため奔走していた。それはアレックスの後を継いだオトフリート一世によって、連帯免除法が施行されたからである。連帯免除法とは、勇者アレックスのパーティーに参加していた個人及びその同族、並びに彼らを旅の道中で助けた個人は、魔物狩りの対象から外されるというものだった。アレックスのパーティーは、人間三人パーティー一人、竜人一人の計五人であった。人間族は基本的に魔物狩りの対象ではないため除外される。そのため、ラナリア個人とエルフ族、竜人族のドーソン個人と竜人族がこの法律の対象となった。オリンシアに住む種族は魔物まで含めると数十種類にもなる。その中のたった二種族だけが、生命を脅かす血生臭い現実から開放された。
王都アレキサンドリアの中央には王城があり、その周囲を囲むようにして軍務省庁、国務省庁、宮内省庁が存在する。それぞれの省庁は組織内部で更に細分化されており、国務省内の一角に、連帯免除法を管理運用する部署が設けられた。部署はその日に窓口を設置し、近い内に大挙してくる異人に備えた。
翌日、彼らの予想は的中した。身の潔白を証明して、生命の安全を確保したい哀れな客が、オリンシアの至る場所から殺到した。ある者は大陸の辺境にある砂漠地帯から、またある者は大陸を取り巻くように流れる海の底から。係官たちには想像もできない最果てからやってきたのだった。だが明確な記録も、証拠もほとんどない中で自分の立場を証明することなど不可能に等しい。係官は、証明に必要な証拠を一覧化して手渡し、揃えてから出直すよう言い渡した。連帯免除法が適用される証拠とは、アレックスやパーティメンバーの直筆の手紙、譲渡された特注品、金銭などのやり取りを記録した伝票などであった。加えていつ、どこで、どのような状況下でという状況証拠も必要であり、ほとんど証明は不可能だった。
異人たちは憤慨を露わにし、窓口が設けられた会場は怒号で溢れかえった。あるドワーフが係官に「わしはアレックス様に新品の武具、鎧を献上した!アレックス様はわしに礼を述べられた。そしてわしの功績は代々まで語り継がれるであろうと!それで証明したい!」と言った。係官は「口頭での賞賛や褒美は証拠にはなりえぬ。場所と月日、理由が書かれた手紙ないしは書類を持ってこい」と答えた。
言わずもがな、この悪法は、彼ら他種族のことを思う真心から産まれたものではなかった。人間族が、彼らのことを考えている、というポーズを見せるためのものにすぎなかった。しかし、最低限の体裁も守られているとは言えないありさまで、係官の態度と人間族の選民的思想は、彼らとの対立を深めるばかりであった。それでも家財一式をひっくり返し、なんとか身の証をたてることに成功した者もいた。彼らは不運な仲間を哀れに思い、証拠品の偽造や状況証拠の捏造に協力した。
はじめこそ、熱心に証拠と証言の矛盾を突き詰めていた係官たちも、年月が経つにつれて、作業の煩雑さに嫌気が差しはじめ、処理も適当になっていった。また魔物狩りも終息に向かっていったことも手伝って、異人たちが危惧していた暗澹たる未来は、ついに訪れることはなかった。だが依然として人間族はオリンシアの頂点に立つ存在であり、世界に安寧と秩序をもたらす存在として君臨していた。
その混乱の中で人間族に続き、社会的な身分を確立していた種族もあった。それは、アレックスのパーティメンバーだったラナリアとドーソンの種族、即ちエルフ族と竜人族だった。彼らの種族は、早い内から連帯免除法によって身分が保障されており、阿鼻叫喚を友として生命の証明をする必要がなかった。またこの二種族はアレックスの旅が始まったその時から、魔王討滅の最後まで行動を共にしたこともあって、尊敬の念を集めていた。
特にエルフ族とラナリアを賞賛する声が大陸中に響いた。絶世の美貌と当代一の力量がラナリアの人気を高めており、それに加えて魔王との戦いで散華したという結末が人気に拍車をかけていた。竜人族であったドーソンも人気はあったが、竜人族は他種族から見たらどの顔も同じに見えた。加えてドーソンは感情の変化に乏しく、静かで堅実な性格であったため、一般大衆の偶像にはなりえなかったのだった。
どの種族にも打算的な人物はいるもので、その状況を利用しオトフリート一世に近づき、懇意となることで人間に次ぐ地位を獲得したのだった。
この事実が知れ渡ると始めこそ不平不満の声は上がったものの、「それもやむなし」と付されて終わった。
それから数年後、魔物狩りが終わり脅威は消えた。オリンシアに住む多種多様な生命たちは、種族間の垣根を越え荒れ果てた土地を復興し、散ってしまった御霊を供養した。そして何十年ぶりかの月日を経て、本来の生活を営みはじめたのである。
魔王は勇者アレックスと彼の仲間たちによって滅ぼされた。その日からどれだけの月日が経ったであろうか。静かな清流のような、穏やかな時間の停滞が、ようやくオリンシアに訪れたのだった。
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