顔のない探偵② 水戸黄門殺人事件

まさきひろ




「こんなのでよかったですか?」

 と言って、僕は書店や古本屋で買い漁ってきた4、5冊の本を若月さん――僕のボス。若月探偵事務所所長・若月幸樹わかつきこうき――に見せた。

「うん。ありがとう」と若月さんは礼を言うと、その中の一冊、矢田挿雲著『水戸黄門』(鱒書房)という文庫本を手にとって、パラパラとページを繰り出した。

「それにしても、意外でした」

「何が?」

「若月さんが水戸黄門に興味があったなんて」

「あはは」若月さんは声に出して笑った。「僕だって意外だよ」

 僕が買ってきた本はすべて水戸黄門に関する本だった。若月さんから、何でもいいから水戸黄門について書かれた本を買ってくるよう、頼まれたからだった。そんなことなら他人に頼まず自分でやればいいだろうと思われるかもしれない。しかし、現在の若月さんにはそれができない。なぜなら、いま若月さんは入院中だからだ。南の島で連続殺人鬼に剥ぎ取られた顔の定期的な治療だ。現在、顔がどんな状態になってるか見たいかい?、と訊かれたが、遠慮した。もちろん、若月さんも本気ではないと思う。

「これこれ。これを知りたかったんだ」

 と若月さんはお目当てのページを見つけて、僕に示した。「藤井紋大夫刺殺事件」という見出しがあった。

「何ですか、これ?」

「水戸黄門が犯した殺人事件だ」

 テレビでからからと好々爺の顔で高笑いする黄門様がそんなことをするなんて、にわかに信じがたく、

「マジですか?」

 と僕は訊いた。

「ああ、マジだ。水戸黄門こと水戸藩主・徳川光圀が家老の藤井紋大夫を斬り殺した」

「殿様が家来を殺すのは、江戸時代だから珍しくもないんでしょうが、普通なら、切腹ですよね」

「そうだね」

「それをわざわざ斬り殺すなんて、よっぽどのことですね。何があったんですか?」

「諸説あってね、それでちょっと調べてみようと思ったわけさ。体の前に頭のリハビリだね」

 推理小説において、入院中の探偵が暇つぶしに歴史の謎を推理するというのは、ジョセフィン・テイの『時の娘』、高木彬光の『成吉思汗ジンギスカンの秘密』が有名で、若月さんはそれに倣おうというのだろう。もしかして以前から考えていたのか尋ねると、

「いやいや、そうじゃない。平塚さんがきっかけだよ」と若月さんは言った。平塚さんとは病院の女性看護師で、年齢は――直接本人に訊いたわけではないので、あくまでこちらの見立てだが――三十代後半か、四十代。体型はふくよかだが、仕事は手際よくテキパキとこなしている。「ぼくが退屈しているのを見て、テレビを見たらと薦めてくれたんだ。しかし、ぼくはテレビは見ないだろう。とくにワイドショーなんか、不安や怒りを煽るばかりで見てて気が滅入ってくる。そう言ったら、ドラマだったらスカッとしますよ。とくに時代劇の、水戸黄門がよろしいです。正体隠して諸国漫遊中の黄門様が旅先々で悪家老や悪代官、悪徳商人の不正を知り、事件解決に乗り出す。そして最後は、黄門様が印籠を見せ、悪人たちが土下座する。これには毎回胸がすく思いです、って」

「で、見たんですか?」

「見ないよ。でも平塚さん、それから毎日、水戸黄門の魅力を話してくれるんだ。頼みもしないのに」

「それは迷惑ですね」平塚さんが張り切って若月さんを水戸黄門ファンに変えようとしている姿を想像して僕は苦笑した。

「そもそも時代劇の水戸黄門は虚構だからね」と若月さんは言った。「全国行脚なんかしていない。あと、助さん・格さんも、モデルはいるみたいだが、実際とは違う。風車の弥七、うっかり八兵衛、かげろうお銀にいたっては架空のキャラクターだ」

「でも、平塚さんの考える水戸黄門のイメージが大多数の日本人の水戸黄門のイメージですよ」

「まあね」

「しかし、平塚さん、よく水戸黄門本人の殺人事件のことを知っていましたね」

「平塚さんが教えてくれたんじゃないよ」

「じゃあ、誰が?」

「長沢先生さ」

 長沢先生というのは皮膚科の医師で、若月さんの担当医だ。髪は真っ白だが、顔はそう老けて見えない、まるで昔の香港カンフー映画の師範みたいな見た目である。

「平塚さんと違って、長沢先生は水戸黄門に批判的でね。水戸黄門は日本の右翼の源流だっていうんだ」

「え、そうなんですか?」

「右翼の歴史を遡っていくと、水戸学に辿り着く。その水戸学をはじめたのが水戸黄門こと徳川光圀。事実、明治維新から戦前にかけて愛国者の鑑としてさかんに本に取り上げられた」

「それは知りませんでした。しかし、それを知ったら、水戸黄門が人を殺したってのも不思議じゃないかも。桜田門外の変を起こしたのは水戸藩士でしたよね?」

「そう。つまり水戸黄門には二つの顔があるわけだ。はたして、殺人事件をおこしたのはどちらの水戸黄門だろう。どうだい、興味が湧いてきたかい?」

「ええ」

「よかった。とりあえず、君が買ってきてくれた本を読んでみて、そこからさらに読みたい資料があれば、君に頼むことにする。書店で購入するか、図書館から借りるかは、本次第だ。いいかな?」

「いいですよ」僕は笑顔で答えた。「それで給料をもらってますからね」

 


                            (つづく)

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