第九章

 私がつくった資料への課長のダメ出しがあまりにも理不尽過ぎて、私はついに喋れなくなってしまった。前にこのフォントを直せと言ったのは課長で、今回そのフォントにダメだと言ったのも課長だった。私がしようとする謝罪は余りにも嘘っぱちすぎて、私の中の大いなる人間的な部分がその発語を妨げた。喉の奥では、ただ「あっ、あっ、」と吃るような声が出る時の動きをした、というか、喉が痙攣をして、ひきつるような感じを覚えた。あまりにも長い沈黙の後に、私は滑り出すように喉から「すみませんでした、」と言葉を流れ落として、資料を受け取り机に戻り、そしてすぐにまた立ち上がってトイレに行った。洗面台に両手をついて、咳をするように何かを吐き出した。排水金具の周りを取り囲むように、血が付いた。それは真っ赤で、なぜだかあのカップルのキスを思い出した。私はこの私の分身が、私の威厳を保ってくれているように思った。少しの間、愁いを抱えた瞳と表情でその血を見て、その血が洗面ボウルの傾きにそって幾筋にもなって排水管へ吸い込まれていくのを見た。また少しして、その血をさっと流して、手を洗って、席に戻った。少し泣いた。それをその後二度ほど繰り返して、私は早退して病院に行った。診断書が出た。私は三日休めることになった。




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