幸せのチョコレートケーキ

七草かなえ

幸せのチョコレートケーキ

 子どもの頃、誕生日を迎えるのはとても楽しいことだった。


 怖いものなど何も無かった。目に見えるものすべてが新鮮で、世界全部が自分を歓迎してくれているようにさえ思えていた。


 私が生まれたときにいただいた、ドレスを着た象のぬいぐるみの『ばばちゃん』を連れてどこにでも行った。


 原っぱを走り回った、川辺でザリガニ釣りをした、友達の家で疲れるまで遊んだ。


 誕生日には両親と弟、同居の父方の祖父母が祝ってくれて、お気に入りのお洒落な洋菓子店のチョコレートケーキを食べた。


 甘く濃厚でちょっぴりほろ苦いケーキは、母お手製の鶏の唐揚げと同じくらいに大好物だった。


 幸せな一日の夜には、ばばちゃんと一緒に満足の吐息をついて眠った。


 優しい家族、気の合う友達、誰もが祝福してくれた。


「明日も楽しみだね、ばばちゃん」



 小学校も高学年になると、状況が変わってきた。

 私は本が好きだった。毎日昼休みになれば図書室に駆け込んでいた。物語もノンフィクションも図鑑も読んだ。


 だけどクラスの子たちはそうでも無いようだった。テレビやネットの中のイケメンだったり可愛かったりするアイドルやタレントが流行っていた。


 休み時間は先生に隠れてジュニア向けファッション雑誌が回し読みされていた。

 私の元に雑誌が回ってくることは無かったけれど。


 小学校六年の夏、父方の祖父が亡くなった。祖父の死を人づてに知ったクラスメイトから、すれ違いざまに「ユーレイがいる!」と騒がれた。

 それでも同じように本が好きな子たちがそばにいてくれた。


 誕生日には彼女たちも家に招き、チョコレートケーキでお祝いした。

 クラスの大半の子たちとは話さなくなってしまったけれど、親しい人たちが祝福してくれたからそれで良かった。


「また明日ね、ばばちゃん」



 中学生になると、私は迷子になった。

 どの部活に入れば良いのか分からない。お母さんは運動部に入ればクラスの中心グループの子たちと仲良くなれると言ってきた。

 でもその子たちは本が嫌いだから、私は仲良くする気は無かった。結局どの部活にも入らなかった。


 入学して間もなく進学塾に入れられた。県内有数の『良い学校』に行けるよう頑張れとも言われた。

 この頃から友達と距離を置くようにもなった。私と仲の良い子が立て続けに学校に来なくなってしまったのだ。

 そりゃあ学校に来るたび物がなくなったりバイ菌扱いされたりしたら、来る気無くなる。先生方はいじめっ子たちを気に入っていたからアテにできなかった。


 私も机に落書きされて行きたくなくなったけど、出席日数は高校受験に関わるからと無理やり登校させられていた。馬鹿な学校に行くともっと酷いいじめに遭うとも言われ、私は無抵抗に頑張った。


 最近本を読めていない。三者面談で先生から「誰とも交流せず本ばかり読んでいる」と言われて以来、ページをめくる手も図書室のドアも鉛が入ったみたいに重くなってしまっていた。


 誕生日はただ単にケーキを食べるだけの日になっていた。

 祖母に認知症の症状が見られるようになり、家族からは分かりやすく笑みが減っていた。


 弟は友達と遊び勉強もきちんとする普通の子。

 親戚一同は家の跡継ぎとなる長男の弟が順調なら私のことなんていいじゃないか、と両親を励ましていた。

 多分、どうでもいいじゃないかと言いたかったんだろう。


「明日は良い日になりますように、ばばちゃん」



 高校生になった。私は入学式の日に外に出られなかった。

 その次の日も、その次の日も出られなかった。


 そのまま夏が始まる頃に。


 いつの間にか投薬、入院等の措置がとられた。


 数ヶ月後家に戻ると、部屋にはチョコレートケーキが一切れ用意されていた。


 弟さえ大丈夫なら自分はどうだっていい存在であり、それなら……。


「明日なんていらないね、ばばちゃん」



 十年過ぎて、私は二十代半ば。

 私は友達のばばちゃんと一緒に幸せに暮らしている。


 おとうさんにおかあさん、おばあちゃんはどこに行ったのだろう。

 たまに弟が訪ねてくるのとお医者様と看護師さんが来るのを除けば、とても静かだ。


 嬉しいことがあった、すごく久しぶりに本が読めたのだ。


 大好きな本が読めて大好きなばばちゃんがいる。それだけで私は充分だった。


 私はもう、誕生日にチョコレートケーキを食べることはない。

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