第22話 助手キューリュと研究の打ち合わせ

 朝食の給仕のために3人のメイドのうち1人だけがダイニングに残った。寝室や水浴び場で残りの2人が片付けをする音は小さく聞こえていた。それでメイド全員なので、3階の片付けは誰もしていない。やはりメイド追加の私の判断は間違ってない。

 いつものシリアルと卵、そしてフルーツジュースが並べられている。今日は焼き菓子もあった。一つだけつまんで、あとは研究室の助手にもっていくために包んでもらった。

 簡単にお互いの今日の予定を話した。ネゾネズユターダ君には特別な予定はないけど、今日は魔法の実習があるそうだ。火の玉を出したり土の壁を作ったり。私はそういうのは一切できないからうらやましい。私の方は真空結界の魔法を調べるつもりだった。転送ゲートについてはあてがついているのであとまわしで問題ない。真空結界は、まだ断言できないけど私の苦手なジャンルっぽいので、そのときは助手の助けが必要になるかもという話をした。

「お嬢様、それでは髪を結います」食べ終わるとメイドが声をかけてきた。

「ん」

 軽く結んであるだけの髪は私の背中で揺れていた。クローゼットに移動する私のあとをついてくるメイドは、目を伏せて足音も立てなかった。寝室にはシーツが剥ぎ取られたベッドがあった。メイドの姿は見えない。水浴び場の方からリズミカルな水音が聞こえた。奥の洗い場の音だった。クローゼットに入るとメイドは失礼しますと言って私の髪をまとめあっという間に結い上げていった。私は服に開いた胸の脇の穴に手を入れた体勢で終わるのを待った。出産で大きくなったお腹の皮はもうほとんど戻っていた。

 やりにくいけどこの服の穴に肘まで突っ込んだら変な感じになるなー、などと考えているうちに髪が結い上がった。頭の後ろでまとめられた。

 あ、忘れてた。「そうそう。携行できる杖が欲しいわ。気にしなくても持ち歩けるような。髪留めとかかんざしになる魔法の杖ってないか、ちょっと探しておいてくれない?」

「かしこまりました」

 リビングではネゾネズユターダ君が制服のポケットに手を入れて立っていた。私を見るとポケットから手を出した。「行こうか」

「うん」私はその手を取った。

 彼が玄関のレバーを下げて扉を開けると、音もなく見送りに3人揃ったメイドたちが行ってらっしゃいませお嬢様と声をかけた。その声が弾んでいるように聞こえた。私も楽しくなって行ってきますという返事が思ったより明るく出た。

 ネゾネズユターダ君とつないだ手もいつもより大きく振ってしまうというものだ。

 手をつないで歩く朝の数メートルを行くと、私たちは手を離した。じゃあまたねと手を振った。そんな私たちを見ている人はいなかった。正門からの通り道も寮との連絡通路からも離れた、人の少ない私たちだけの通学路だった。

 1階の先輩研究生に挨拶し、2階に上がって自分の研究室に入った。応接室は無人だった。研究室への扉には隙間が開いていた。私はその隙間に向かっておはようと挨拶した。おはようございますと隙間から返ってきた。

 私は応接室のホスト側である奥の長椅子に座った。

 研究室からブロンド髪の助手、キューリュがのそっと出てきた。立ったまま、メモなどを何も見ずに話し始めた。「今日ですが、お嬢様の被験者募集が貼り出されます。それで、こちらでよろしいでしょうか?」彼女は応接室の入口の棚に置いてあった紙を手に取った。私に渡すのではなく、そのまま読み上げ始めた。「被験者募集。妊娠初期の女性。若干名。報酬は金貨10枚。実験の内容については詳細を説明会にて。ザラッラ゠エピドリョマス・ギュキヒス」

 この要項の文言が良いのか悪いのか判断がつかない。ただし、学校の関係者がみんなで相談してこの文言を決めたのだろう。もっと詳しい説明があるバージョンもあれば、もっと説明が少ないバージョンもあったはずだ。最終的にこれになったというなら私がつべこべ言うことではない。関係者の決定に従おう。「いいわ。それでお願い」

「金貨10枚とお嬢様の名前でなんとかするつもりですね」助手のキューリュは紙を棚の元の位置に戻した。彼女の言い方には関係者への皮肉を感じた。

「そうだね」私は彼女の不満げな碧眼へきがんを見た。「集まるかな?」

「無理でしょう。『妊娠初期』が不穏ふおんすぎます。悪魔降臨の儀式と思われて終わりですよ」

 実際にそういう儀式があるわけでも、それを本気で信じている人がいるわけでもない。助手が言っているのは大衆イメージの話である。小説や演劇ではそういう悪魔の演出がある。非合理ではあるが私も同じ感想だった。「そうだね。私もそう思う」

「どうしましょうか?」

 私は手を組んで膝を抱えた。「すぐに実験が開始できない感じなんだ。結界を構築する必要がある。だから最初はこれでいいよ」私は助手が、パンツの腰の横穴から私の足の付け根を見ていることに気づいた。膝を下ろす。アピールするつもりはなかったんだ。「内容についての噂をちょっとずつ流して応募者を集めよう」

 まだ彼女の声には不満があったが、「分かりました」と返事を口にした。

 この被験者が何の魔法の実験なのか、彼女にはまだ話していなかった。「で、私がこの妊娠初期の妊婦を集めて何をしているか、これから説明するけど、これはまだリョグジュ教授とうちのメイドとネゾネズユターダ君にしか話してないからね。しばらくは秘密でお願い」

 彼女は口を開きかけていた。私の方を見ずに次の話題に移ろうとしていた。来客側の長椅子を見て、そちらに回り込んだ。腰を下ろした。「分かりました」

 そこで私は彼女に『遠隔子宮』の構想と、どのように構築するつもりなのかの案を話した。説明会はリョグジュ教授から課せられた募集のための条件であることも話した。

 話のあいだ、彼女は特に質問を挟まなかった。終わると彼女は言った。「説明会の内容については私に任せてください」

「ありがとう! 本当に助かる」私は実験内容をそのまま話すことしかできない。被験者に分かるように、参加したくなるように話すのは専門外だ。

「真空結界についても関係者に相談しておきます」

「よろしく!」

 彼女は魔法そのものや技術そのものについては何も指摘しなかった。実現可能性とか難易度や社会的影響など、また、なぜ私がそれを開発しようと思ったのかも聞かなかった。ただ開発にあたっての実験手続きや関係者への連絡などを検討し、懸念点やスケジュールを質問した。私はそのあたりは何も考えてないので、彼女が自分の案をざっと話し、私はそれでいいわと承認した。

 助手は足を組み、顎に手を当てて、応接室の中央にあるオークの一枚板のテーブルを見たまま固まってしまった。

 私は助手の思考がまとまるまでじっと待った。足を組んで、またシャツの穴に手を入れて自分の下乳を触っていた。

 助手は慌てて組んでいた足をほどいた。「すいません。考えごとをしてました」

 私は笑顔を作った。脇穴に突っ込んだ手を伸ばしてそのまま胸の中央の穴から手を出し、かまへんでと振ってみせる。

「また、ふざけた服ですね」

「ちゃんと締めつけてるから胸のあたりは崩れないんだよ」

「とりあえず、『遠隔子宮』の研究については了解しました。なんとかなると思います」

「うん」私は穴から手を抜いた。そして膝の上に手を置いた。「被験者も、私の3人目が間に合うと思う。あと、うちのメイドたちも協力すると言っている。こっちはまだ間に合うか分からない」

 え?という顔になった。その反応は予想通りだ。

「まだ文献で見た程度なんだけど、『女同士で子供を作る魔法』っていうのがあってね。それで私とメイドたちの間で子供を作るって話になった。メイドたちの志願だよ。勘違いしないでね」

 助手は、ん、え、はあ、と声を漏らした。そして今度は両肘を膝に乗せて手を組み、前傾姿勢になり、また机をじっと見て動かなくなった。

 私はまた脇の穴に手を突っ込んだ。そのための穴ではないんだけど、妙におさまりがいい。穴のへりに手首を引っかけると落ち着く。

 やがて助手は咳払せきばらいをした。「ん、まあ、それはそれで別にいいと思います」納得したというより、深く考えても無駄と判断した様子だった。

 それで生まれてくるのはザラッラ゠エピドリョマス・ギュキヒスの子供なので、よく考えれば別にいいということにはならない。このときは助手も頭が回らなかった。その問題が議論されるのは少しあとのことである。私自身はもっと考えていなかった。生むのがメイドなのでメイドの子供と思い込んでいた。私が生む子供がギュキヒス家の物になるという価値観があったので、そうじゃない場合はギュキヒス家のものではない。その子供は実家とは無関係という気分になっていた。

 問題に気づかなかった理由として別のことを考えていたというのもあった。私は、机を睨んでいた助手が顔を上げて私を見て「私も産みます」と言うんじゃないかと思っていた。そっちのことを考えていた。しかし彼女は別にいいと思いますと他人事のように言うだけだったわけで、思っていたのとは違った。

 うぬぼれていたと冷静になった。そんな彼女に改めて「あなたも私の子供を産まない?」とは聞けない。世界でも上位に入る無責任な質問をしてしまうところだった。私は助手に、「うん。まあ、別にいいよね」と生返事をした。

 この場ではその話はおしまいだった。

 私は応接室の椅子から立ち上がった。「じゃあ私はまた図書館に行ってくるね。手続きはお願い。『真空結界』も『転送ゲート』も手続きのあとだから、まだしばらくは私の趣味の読書をやるわ」

「あ、はい。あの、もう一つ」彼女も立ち上がった。「動物実験の方です。通用門にもう持ち込みがあったらしいんですが」

 私はあーっとうなった。「どうしようかな? フラスコを使った転送ゲートならもうやってもいいんだけど……」

「確実に失敗してフラスコの中がグロいことになりますよ。さすがにかわいそうじゃないですか?」

ねずみかもしれないよ」

「ああ、鼠ならまあ……」

 鼠は害獣である。処分する数は多ければ多いほどいい。

 助手は研究室を出て行こうとする私のためにドアを開けながら言った。「家畜も含めて妊娠している動物という募集にしていましたけど、しばらくは処分する獣に限るとしましょうか?」

「そうだね。牛や馬を連れてこられたらさすがにね」

「ではそのように変更しておきます」

「よろしく」私は研究室を出た。

 外に出てすぐ、大きすぎず慌ててもいない静かな音で後ろの研究室のドアのレバーの音が聞こえた。振り返ると助手がゆっくり顔を出すところだった。

 彼女は私と目が合うと、「あ、あの」と言ってそこで言いよどんだ。

「なに?」

「あー、あの……もう一つ連絡があったはずなんですが、忘れてしまいました」

「そう」

 彼女は言葉を続けた。「あと、これはその忘れてしまった話とは別なんですけど、私もお嬢様の子供を産むことはできますか?」

「さっきも言ったように可能性が見つかっただけの魔法だから期待させても悪いけど、産みたいなら覚えておくわ」

「はい。よろしくお願いします」

 私は彼女に手を振った。「こちらこそよろしくね。ありがとう」

 私が前を向くより先に彼女は研究室に引っこんでいった。それからすぐにまたドアが開いた。「思い出しました」

 今度の彼女は急いで顔を出していた。

「病気の兎が学校に持ち込まれたそうですけど、もう対応済みです。職員が原因を突き止めました」

 私は分かったと返事をした。

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