第5話 浄化者

 高熱に侵され朦朧とした意識の中で、ロス家で学んだ事や記憶が断片的に浮かんては消えていく。


 瘴気災害はこれまでの歴史で八回起こり、その度に浄化者が鎮めて来た。

 一度目は対処方法が分からず、この土地で広がった瘴気が大陸の五分の一を覆ったという。

 その時災害を鎮めたのは双子の浄化者だったと記録にある。

 孤児だった彼らは逃げそびれ瘴気の中に取り残された。

 けれど魔力を一切帯びなかったその双子は瘴気の中でも問題なく活動が出来た。

 彼らが瘴気の中で生活することで、徐々に災害は治まって行くのを知った権力者が、二人に瘴気の中で暮らすよう頼み込み、数十年をかけてようやく大陸に平穏が戻った。

 危機は去ったと胸を撫で下ろした百年後、再びフィクロコズで瘴気が噴き出した。

 大陸を上げて魔力を帯びない者を探し、二度目の災害は被害が広がる前に収束できた。

 瘴気災害がこれで終わりだという確証はないと判断した大陸の権力者は、二代目の血を継ぐ一族にロスの家名を与える。

 それからこの大陸では八歳になると全ての民が魔力測定を行う事を義務付た。瘴気災害のない時期に浄化者を見つけるとロス家に入ってもらう。それと同時に著しく魔力含有量が少ない者も本人の意思の元、ロス家の養子として迎え入れた。

 浄化者の血を絶やすことなく、魔力含有量の少ない者同士の血を掛け合わせ、常に魔力含有量が極端に低い者、稀に浄化者を生み出す一族を作り上げた。

 けれどそう都合よく瘴気災害に合わせて浄化者が現れるわけではない。

 百年に一度の時期が近づくにつれ、大陸中が固唾を飲んで浄化者出現の報告を待つ。

 だが、どんなに待っても現れない時もある。

 偶然現れるのを待つよりも、人の手でどうにかできる手段を講じようという者が現れるのは必然だった。


 そしてあらゆる研究の末に生み出されたのが、魔術によって浄化者を作り出す方法だ。


 特殊な染料で魔糸の機能を阻害する魔法陣を直接背中に描く事で、浄化者と同じ効果を備えた人間を作り出せる。

 この魔術は魔力含有量が低ければ低いほど成功率が上がる為、魔力含有量が低い者しかいないロス家にはうってつけの有用な技術だった。

 外部から新たな浄化者を見つけるよりも、瘴気の中で一人で生きて行ける技術と知恵を身につけているロス家の人間を送れる方が、迅速に対処できるうえ信頼できる。


 その魔術が初めて行使されたのは四回目の瘴気災害の時だった。その時のロス家には微量ながらも魔力を含んだ者しかおらず、魔術師からの提案にすぐ一人の青年が立候補した。

 理論は確立していたものの、実践するのはこれが初めて。成功の保証はないが他に選択肢はないと、迷うことなく速やかに儀式は執り行われた。

 背中に特殊な染料で肌に直接、魔糸の機能を打ち消す魔法陣を描く。

 理論上、魔糸が機能しなくなれば瘴気は体の中に留まらず、浄化作用だけが働くようになる。

 しかし、元々少ないとはいえ、魔糸の機能を奪う事は人体に多大な負担を与えた。

 陣を描き終わった後、魔力を失った肉体が安定するまで発熱や原因不明の体調不良に苛まれる。

 生死の境を彷徨うような一週間。それに耐えきった青年は、その後瘴気災害に向かい見事鎮めることが出来た。

 人の手によって生み出された浄化者が誕生した瞬間だった。

 その後、ロス家に浄化者が生まれず、魔力測定でも見つからなかった場合は、ロス家の者が速やかに術を施され瘴気の浄化に向かった。




 そして九回目の災害が訪れた今回、ロス家は全員微量ながら魔力を含んでいた。

 魔力測定でも浄化者は見つかっていない。


 義父と義母はもう年で陣を刻む体力は残されていない。

 ロス家直系の義弟と血の繋がらない義妹は愛し合っている。結ばれればいずれ彼らの血が新たな浄化者を産んでくれるはずだ。

 同時に複数人を浄化者に出来れば、効率も上がるけれど、この陣に適応出来るかどうかは運次第で最悪死ぬ場合もある。

 陣が描けるほど低い魔力含有量の対象者は、現在ロス家にいる俺と弟、妹の三人。弟や妹に試すのは俺が死んだ後でいい。

 

 五人ほどの魔術師が一晩かけて俺の背中に魔術で陣を刻む。

 終わった後、ズキズキ痛む背中の激痛を堪えながら、魔法陣が体内から魔糸の機能を奪う喪失感に耐える。体に流れていた温かいものが無くなり、代わりに冷気が通り抜けていくような寒さで体の芯から凍えていく感覚に襲われる。

 魔糸の機能を完全に止めるまで体が抵抗するのか、高熱が出た。

 魔力は温かかったのだと、寒さで歯を鳴らしながらひたすら耐えた。

 けれどどれほど辛くても俺の大切な人たちが暮らす世界を守れるなら、何だって受け入れられる。


 そうしているうちに熱が下がり、魔法陣から光が失われると術式の完成が告げられて、検査の結果魔糸の機能は停止したことが確認された。


 こうして俺は九代目の浄化者になった。


 背中に魔法陣を描いたのは十年以上も前だったのに、今更あの症状がでるなんて思ってもみなかった。

 ロス家に置いてあった文献には何も書いてなかったから、俺だけに現れた容態なのかもしれない。


 もう二度と味わいたくないと思っていたあの辛さが鮮明に蘇る。


 強烈な寒さと体のだるさと引きつるような背中の痛み。夜になるとうっすら魔法陣が光っているのが分かった。

 朦朧とする意識で栄養剤を溶かした不味い水を喉に流し込んだ。

 途中で口の中に甘い味がしてうっすら目を開けたら、サリが自分のご飯である果物を俺の口に押し込んでくれていた。

 ありがとうの意味を込めて撫でたところまでは記憶にある。

 眠って起きたら口周りから服、シーツまで果物のカスと果汁が散ってあちこちにサリの足跡が付いていた。

 酷い惨状だが、サリが俺の為にしてくれたと思うと愛しさと有難さしかない。

「サリ、水浴びしよう」

 俺が無意識に撫でまくったせいか、サリの体はあちこち果汁だらけで所々毛が固まっているし甘酸っぱい匂いもしている。

 汗と果汁でベタベタになった俺の首元で寝ていた記憶もあるので、毛繕いではどうにもならかったんだろう。

「きゅ……」

 嫌そうな返事だが、このままにしていたら毛が固まってしまう。

「禿げたくないだろう? 濡れタオルで拭いてやるから」

「きゅ!」

 水に濡れなくていいのならと途端に元気になって俺の肩に飛び乗った。


 ベッドから降りてみたらよろけることもなくしっかり立てた。熱はすっかり引いて体のだるさもない。

 何日も臥せっていたと思えないほど快調になった体を動かしてみる。どうやら魔法陣は今度こそ俺に馴染んでくれたようで、体を貫く凍てつく様な寒さを感じることも無くなった。

 ようやく魔法陣と俺の体が噛み合ってくれたという事か。

 サリを伴って外に出て自分が浴びるより先にタオルを水桶に浸す。

「ほら、サリ。拭くぞ」

 固く絞って広げると、サリはその中に大人しく入って来た。

「この辺固まっちまったなぁ、引っ張るからな。痛くても噛むなよ?」

「ぎゅ……っ」

 丁寧に濡れタオルで拭い、固まって絡まった毛を解していく。何度もタオルを濯いでサリのべたつきが無くなるまで丁寧に拭いてやる。

 最後に乾いたタオルで尻尾の先まで綺麗にして手を放した。

「よし! もうこれで大丈夫だ」

「きゅ!」

 すっきりしたのか、サリは肩に乗って体を震わせふかふかになった自分の体を満足気に毛繕いする。

「結構な日数寝てた気がするが、体が軽い。むしろ寝込む前より調子がいい」

 軽い運動をしてみたがどこにも不具合はない。むしろ瘴気の中だなんて思えないほど体が軽い。

 これが本来の魔法陣の理想形なんだとしたら、俺は随分と制限された中で動いてたことになる。

「俺も水浴びるから、少し退いてな。そこにいると水がかかるぞ?」

「っ!」

 俺の言葉にサリは肩から脱兎の如く離れて薪割り台の上に乗った。

「本当にお前、水浴び嫌いだな」

 毛繕いを始めたサリを見ながら井戸から水を汲み上げた。

 散々汗をかいた肌は気持ちが悪いほどべたついている。

 何日臥せっていたか正確には分からないが、大量の汗が染みこんだシーツを今から洗う気にはなれない。

 今日は別の部屋を使うしかないが、ベッドを整え直す前に、とりあえず汗を流したい。

 水はうっすら濁っているような気はするが不快な匂いも変な味もしない。

 散々飲んだものだから今更気にする事もない。

 誰にも迷惑をかけるわけでもないと全裸になり、好きなだけ辺りを水浸しにしながら体を洗う。

 全身の汗を流してさっぱり体を拭いたところで下着とズボンだけ身に着けて、練習用の木剣を取った。


 型稽古をした後、実際に戦った魔物を思い出したり、仮想の敵を想像しながら剣を振る。

 そのうちサリがそこに混じって来て俺と軽い手合わせのようになっていく。

 木刀を持ったそれなりに腕の立つ人間と互角に戦えるウサリスってどうよ?

 油断すると鋭い蹴りが襲ってくる。一応手加減されているらしく多少吹き飛ばされる程度なのがサリの凄いところだ。

 剣が風を切る音が心地よい。戦っている実感が楽しい。

 やっぱり俺は剣が好きだ。

 心行くまでサリと手合わせしていたら、いつの間にか日が暮れていた。

「流石に腹が減ったな」

「きゅぃ!」

 思い出したように鳴り出した腹の音が止まらない。

 ご飯の予感にサリがソワソワと俺の肩の上で跳ねている。

「今作ってやるから少し待ってな」

 サリをあやしながら台所に行き、保存庫に入れていた肉と干し野菜を使いスープを作った。

 サリにも多めに果物や茹でた肉を出してやる。

 生肉より茹でたり焼いたりした物の方が、サリは好きらしい。

「今日の糧に感謝します」

 命を食べることに感謝を捧げ、スプーンを手に取り一口啜る。

「ん、我ながらうまい」

 食べ始めたら止まらなくなり鍋一杯のスープはあっという間に消えて行った。

 サリも山盛りの食事を綺麗に平らげて、眠そうに顔を擦っている。

「明日は北の方に行ってみるか、もう少し山に近い場所に拠点が欲しい」

 あと数年したらこの拠点のある村は瘴気の外に出る。

 出来ればもっと瘴気の濃い山裾の傍で生活がしたい。そこがこの瘴気災害最後の拠点となるはずだ。

「小屋なら建てられるから、良さそうな場所の下見をしよう」

 たった一人の任務。

 けれど、その分自由だ。俺一人で何でも出来る。ロス家で教わった事が全て役に立っていて、何があった方がいいのか、どんなことが不便だったかを事細かく記録してくれていた歴代の浄化者たちには感謝してもしきれない。

「俺、こういう生活結構合ってるんだな」

「きゅい!」

 家の外からは何の気配もしない。獣の息遣いや虫の声すら聞こえないあまりに静かな場所。

 俺は一人だが、サリがいる。

 一人だが孤独じゃない。

 それだけで十分だと、俺の膝の上で丸くなって眠り出したサリを撫でた。

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