スーサイド・シンドローム

富田

一章 夢の世界で会った人だろ

第1話 さよなら三角 またきて地獄

 川辺に咲く彼岸花に見送られながら歩いていると、ふと思うことがある。何だってこんな奇妙な花を好き好んで植えるのだろう、と。墓地なんかじゃ当たり前のように生えているけれど、見ていて気持ちのいいものじゃない。天を仰ぐ紅い花弁は、まるでこの世のものとは思えない不気味さじゃないか。

 そうボヤくと、隣を歩く糸杉菊花いとすぎきっかは「違いない」なんて言って笑う。オレンジ色の日差しに照らされて、彼女の黄金色の髪が輝いて見えた。


「彼岸花って毒があるんだぜ。だから動物に死体を掘り返されたりしないように、墓場に植えたんだ。つまり植えざるを得なかったってワケ」


 菊花は得意気にそう語った。


「でもここ、墓場じゃないでしょう」

「別に植えてる訳じゃない、自生してんだ。あの世に彼岸花はつきものだろ」

「ふうん」

「ふうん、て」


 反応の薄さが癪に触ったのか、菊花は目の端を尖らせて私を睨んだ。西洋人形のように整った顔立ちが、見る見るうちに歪んでいくのは見ていて面白い。


「あのね、あんたが歩いている間暇だって言うもんだから、あたしが話し相手になってやってんだろ。そういう態度はないんじゃないかなあ」

「顔馴染みなんだからいいでしょう。〝あの世〟っていうのはそんなにサービス悪いのかしらん」


 ハァ、と大きなため息。あーあ怒っちゃった、なんておどけてみせると、もう一つ大きなため息が菊花の口から吐き出された。


「忘れているだろうから言うけど、あたしは死神であんたは……」

「死者でしょ」

「そう! 主導権はあたしにあるのよ」


 そう言うと虚空から大鎌を取り出して見せ、威圧するように構えた。全長二メートルくらいはありそうな巨大なソレを、彼女は軽々と扱ってみせる。


「……おー怖。死神様っていうのは連れてきた死者にパワハラしたって許されるご身分ですのね。羨ましい限りですわ」

「やかましい」

「鎌だけに?」

「うるさいな」


 それから暫く、彼岸花の列を眺めながら歩く。二人の間には沈黙が流れていた。

 かれこれ三十分以上は歩いただろうか。随分と長い距離を歩いた。心做しか両脚に乳酸が溜まっているような気さえしてくる。あの世でも疲れることってあるんだなあと、他人事のように思った。

 菊花は平然とした顔で歩いている。凛々しさを湛えた横顔を見ていると、不意に彼女の双眸と目が合った。


「あんたさ、現世に未練とかないの?」

「どうして?」

「暴れたり泣いたりしてないから。あんたみたいに二十歳そこそこの人間は皆、ここに来たら普通そうなるのよ」


 未練。執心が残っていて諦めきれないことを、ヒトはそう言うらしい。

 小夜さよは元気だろうか。菊花の言葉を聞いて、私はふとそんな事を考えた。

 小夜というのは私の家で雇っているメイドのことだ。幼い頃から一緒に過ごし、私は彼女を姉のように慕ってきた。ずっと世話になってきたものだから、もし未練があるとすれば彼女になるだろうか。


「まあ、あるよ」

「へえ意外。恋人とかいたっけ?」

「そんなとこ」

「ちぇ、盛っちゃってさ。病弱お嬢様のクセに」


 いいよなあ、なんて菊花は言う。重そうな鎌を軽々と肩に担ぎ、嘆息を漏らす。

 私にしてみれば、そんなことで一喜一憂できる方が羨ましい。何と言っても足が痛くて死にそうなのだから。今にも脹脛が攣りそうだ。

 それからまた十分程歩いた頃だ。視界の端に映る彼岸花が疎らになっていく。ふと視線を上げると、赤色の絨毯が途切れた先に真っ白な建物が見えた。結婚式を挙げるチャペルのような、落ち着いた雰囲気だった。

 ようやく着いたのだ。


「彼岸花の葬列はここで終わりさ。後はあんたの命運を決める地獄の裁判が待ってるぜ」


 菊花は飄々とした様子でそう言った。

 彼女に背を押され、私はチャペルへと足を踏み入れる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 昔のコンピュータゲームには「いのちだいじに」というコマンドがあったらしい。仲間のキャラクターや自分が死なないように、精一杯頑張る。そういう命令だ。いやまあ、もしかしたら今もあるのかもしれないけど、兎に角昔からあるらしい。

 味方の体力が低ければ回復魔法を唱え、毒や麻痺を瞬時に治す。敵が強大であれば、味方が傷つく前に強力な魔法でそれを倒す。事務的に回復させるだけじゃない、まるで周りを気遣っているようじゃないか。

 興味深い話だ。二十年も前から、AIは既に他人を思いやる知恵を得ていた。


「それで、何が言いたいのだ」


 厳かで低い声が私を見下ろす。簾の奥から響く声が、大きな岩みたいに私を押し潰そうとするのだ。


——いえいえ、ただの世間話ですよ。そういうのってダメでしょうかね。


 口に出して言ってみようか。まあやめておこう。地獄の閻魔大王相手にそんな口が利ける者がいるなら見てみたいものだ。振り返れば目に映ってしまう。そういう態度の悪い『被告人』は皆、針山地獄が歓迎してくれる。ああ怖い。


「長旅で疲れているのだろうが、同情はしない。三途の川からここまでの距離は生前の罪の大きさに比例する。恨むのならお前の罪を恨め」

「罪だなんて、そんな恐ろしいことした覚えはありませんわ」

「被告人、お前の罪は重い。神より与えられた肉体を傷つけることは大罪に値する。また、生前に行った善行はそれを打ち消す程のモノでもない」


 閻魔様は一度大きくため息を吐き、続けた。


「人間とは努力の生き物だ。自分がどんな状況に置かれようと、努力次第で幸福を掴むことができる。努力を重ねることで、人は各々における最高の生涯を送って死ぬことができる。それこそが人間のあるべき姿だ。だがお前は違う」


 嫌悪。閻魔様の口からは私に対する嫌悪が感じられた。

 私は少し考えるフリをして、


「私、地獄に堕ちるべきじゃありませんか。だってほら、他人どころか自分を思いやることだってできやしない。退屈しのぎのゲームですらできることを、私はできない」

「お前は地獄に逝きたいのか」

「もちろんですよ。そんな貴重な体験、いくら生きてもできやしない」

「天国は貴重ではないと?」

「ありゃ、一本取られた。じゃあ天獄はどうです、間をとって」


 そんなものはない、と一蹴すらされない。無視されたのだ。

 そういえば考えてもみなかった。天国とはどんなところなのだろう。善行を積んだ人間が行き着く場所? この世で体験できないような幸せが溢れる場所? こりゃ参った、揺さぶられてしまう。


「じゃー天国行きます。閻魔様、お元気で」

「無理だ。お前には善行が足りん」

「地獄行きですか」

「いいや地獄も無理だ」

「ならやっぱり天獄?」

「そんなものはない」


 一蹴された。


「どこ行きゃいいんですか」

「現世だ。お前はそもそも死んでいないではないか」

「ええ! そんなあ」

「お前はただでさえ他人と比べて寿命が短い。残りの人生でしっかりと善行を積み、天命を迎えるまで二度と来るんじゃないぞ。……菊花!」


 閻魔様が側近の死神を呼んだ。法廷の扉が開き、そこから菊花が顔を出す。


「全く、地獄の裁判所に常連ができるなんて思いもしなかった」

「同感です。ほら、閻魔様だって忙しいんだ。さっさと歩く」

「はあい」


 菊花が私の身体に手を翳すと、ふっと意識が消えていく。裁判所から帰る時はいつもこうだ。無意識のまま歩かされて、気づけば現世だ。

 勘弁してくれませんか、と訴えたいくらい。

 あれ、告訴ってどこにすればいいんだろう。ああでも、い……しき…………が。

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