エッセイ投棄ポイント

真里谷

【私は何を喪ったのだ?】2024年7月26日「たとえTragedyであろうと、Despairすること能わず。私は私を認識する」「ただ、"What have I lost?"なのだ」

あまりにも体調がしんどいので、FANBOXに書く。カクヨムもあったなと思う。こっちにも書く。中身は同じ。SEO的にはコピーコンテンツで赤字警告を食らう系。


「省力でございますなァ」

「私の場合は、怠惰を美しく言い換えたもんだ」


https://mariyatsu.fanbox.cc/

https://mariyatsu.fanbox.cc/posts/8289217


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2024年7月24日(水)19時ごろより、7月26日(金)未明まで、私は過眠をしていた。30時間近い過眠。異常である。異常であるが、それが異常であることを忘れていた。


ただ、この異常のなかで、何かが喪われた。


何を喪失したのか?


そいつがわからない。自分にとって大切な何かが"落ちた"。そうとしか形容できない。しかも、それが良いものか悪いものかもわからない。自分が命を落とす予感などはない。苦痛は続いている。今までもそうだったように。しかし、何かが違う。


「私は何を喪ったのだ?」


■現状を確認する


私は、おそらく、現在進行形で愚かである。これからも愚かであろう。その懸念をようやく抱き、自らのものとした。それを前提として、私が保有している病の状況を確認する。


▼【疾病I】強直性脊椎炎(AS) or 体軸性脊椎関節炎(axSpA)


前者は2015年に厚生労働省の指定難病に追加された。難病番号は271番である。私はその前に確定診断を受けたが、実は今は「強直性脊椎炎の患者として認定されていない」。つまり、厚労省が難病と認定するにあたって、その水準を引き上げた可能性が考えられているが、そもそもそれに属さない可能性とてある。


なお、確定診断を受けたのは当人もAS患者である順天堂医院のAS専門外来であり、「再びそこまで通院できれば、難病治療の恩恵に浴せるかもしれない」という程度である。よって、現状は「身体表現性障害(現・身体症状症)」、さらに症状から判定するなら「体軸性脊椎関節炎(axSpA)」となる。


症状はすべて「強直性脊椎炎(AS)」であるし、より患者の多いアメリカの基準に照らせば、私は「強直性脊椎炎(AS)」患者である。しかし、日本においては患者数も少なく、CRP上昇などのない非定型症状であるため、「強直性脊椎炎(AS)」患者としては認定されていない。そういう状況だ。よって、医療費の助成もない。私は時に詐病ではないかとさえ疑われるが、症状は「強直性脊椎炎(AS)」である。なんて読みにくい文章だ!


▼【疾病II】線維筋痛症(FM)


ASあるいはaxSpAは、私にとって生まれてからの"最悪の幼馴染"である。24時間続く炎症。時に寝たきりにまで追い込んでくる痛み。


2024年6月、その痛みが軽快し、ようやく社会復帰への道筋が立ってきたと思ったところに、思わぬゲストがやってきた。そいつはとてつもない痛みを伴い、もともとの痛みでさえ頭髪が抜けるほどの痛みを味わってきたが、薬が効かない痛苦を流星雨のように降らせてきた。


私は中学生のころ、いろいろあって彫刻刀で背中を刺されたことがあるが、それに近い痛みが続く。起きている時が特にひどい。寝ていると楽になる。


ところが、AS系の痛みは多少動かないと痛みが増悪する。


増悪は、憎悪を呼ぶ。多少は健康な時に言えるシャレだが、健康でない時はシャレにならなくなる。


▼【疾病III】注意欠陥・多動性障害(ADHD) and 自閉スペクトラム症(ASD)


厄介なやつら。説明も厄介だ。症状も厄介だ。そして……疾病Iおよび疾病IIとの相性が最悪だ。今日、それを実感した。30時間以上の過眠が何度も続く。それは異常だ。異常だが、正常に理解できる範囲だった。


ところが、今回の過眠で、何かを喪った。奪われたのか、それとも治ったのか。何もわからない。なんとも奥歯に物の挟まった形で学ぶ"Que sais-je?"だ。あるいは、エミール・デュ・ボア=レーモンに寄せてもいい。つまり、彼の言うとおりに"Ignoramus et ignorabimus"というわけだ。これに対するダフィット・ヒルベルトの反駁のように"Wir müssen wissen, wir werden wissen."もつぶやいておこうじゃないか。


ああ、しかし! そいつらはもはやカビの生えたモノに過ぎないという。偉大な人物たちさえも、あらゆる命は踏み台にして目指す。何かを。そいつは何だ?


▼【疾患IV】自己免疫性肝炎とか心血管疾患とかいろいろ


わからん。有るかもしれない。無いかもしれない。上記の3点セットが常に中心だ。


■何もわからない


今回の過眠は、怖かった。何かを喪ったことだけがわかる。寿命か、それとも知恵か。病ではない。まだ身体は痛い。「幸いモルヒネを使っていない」だけだ。トラムセット、セレコキシブ、プレガバリンがなければ、もっと痛みにのたうち回っている。


だが、何よりも恐ろしい。


私は人間が怖くなった。もとより、それはあった。


しかし、身体障害、精神障害、そして精神障害の重度さゆえの生活能力から知的障害まで、3つの障害を得た私だ。「人間としては健常者に比べて不適格」となった私は、少しでも社会の重荷たる現況から抜け出さんとしてきた。


それでも、ずっと疑いを抱いていた。何もわからないという恐怖が、可燃性の気体に満ちた空間に佇んでいると気づいた時のような、慄然たるものとして認識されるように。


人間が、最も、怖いのだと。


わかっている。私も人間の端くれだ。一応は。


けれども、一応だ。健常ではない。壊れている。免疫機能は自己への攻撃に余念がない。かくのごとく、毎日のように自らを襲う焦熱に苦痛を与えられている。


そのうえで、思う。健常なる人々が、その健常さでもって、とても未来に寄与するとは思えない論争に時間という何物にも代えがたい資産を浪費する。健常な肉体と健常な頭脳を持っているはずの彼らが、何がゆえにか歴史の"韻を踏む"活動を続けている。


健常とは何だ?


『旧約聖書』に収められた『ヨブ記』は、かくのごとくに書く。


"So are the paths of all that forget God; And the hope of the godless man shall perish"


されば、私はこう書こう。


"So are the paths of all that forget 'Aktion T4'; And the hope of the regardless man shall perish"


きっと私が、何度でもあらゆる生命のたどるであろう道の、標的となることは避けられないから。裏を返せば、私自身が、その精神の継承者となる可能性とてある。


だから、怖いのだ。


If we destroy each other, I'm afraid, aren't these animas shall called "animus"?


That cannot be called Homo sapiens at all.


"Lpysywc, S ptk'x wopgqrf td."

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